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(連載小説:第11話)小さな世界の片隅で。


前回巻末:歩が仕事を終え、家に帰るシーンから

自転車の鍵穴に、赤茶けた鍵を差し込む。朝と同様に2回、回すと”ガチャリ”と鍵が上がった。

輪留めから自転車の前輪を外し、自転車の向きを変えると、歩は帰路に向かって自転車をこぎ出した。

色んな思い、やり切れない思いを残しながら、歩の自転車は夜の道に消えていった。

北の空には、カシオペア座が白くひっそりと光っていた。

第11話

(X-7日)
くたびれた歩の自転車は、柔らかな夜の帳の中をゆっくりと走り、自宅に到着した。

歩は、家の駐輪場に自転車を止め、かごからバックを取り出し、玄関へ向かう。玄関のドアをガラガラと開け、家に入ると、うっすら夕食の匂いが残っていた。

リビングのドアを開ける。

”おぅ、おかえり。”
リビングに居る父親が声をかけた。

“おかえり。”
勝手口の奥で母親の声がした。

歩は、通勤の服から部屋着へ着替え、
そのまま、食卓のあるダイニングへ向かう。
食卓の上には、ラップがかかった状態で、いつものように夕飯が並べてあった。

奥の勝手口の方から、母が声をかける。

“それ、レンジであっためて。”

“あと、こっち(コンロの方)に、お味噌汁があるから。”

歩は、いつものように、ご飯をよそい、味噌汁、おかずを温める。全て暖め、テーブルに戻し、ラップを外すと、うっすら湯気が上がった。

暖まった器を手に持つと、少しホッとする。
暖かいものに触れると心が妙に落ち着くのは何故だろう。

テレビを見ながら、夕飯を食べ始めていると、母親が勝手口での作業を終え、ダイニングへ入ってきた。

戻ってきた母は、歩に声をかけた。

“歩。今日、おばあちゃんの月命日だったんだけど、覚えてる?”

“うん…、覚えてるよ。”
歩の母方の祖父は3年前に他界、祖母は、昨年他界している。

”それで、今日ね、ばあちゃんのお墓に行ってきたんだよ。”

“今日はさ、まぁ、最近ずっとなんだけど、ばあちゃんの墓まで、電車で行ってきてね。”

歩の住む市と、祖母の墓がある市は、車で、30〜40分かかる程度の距離がある。
電車だと、自宅の最寄りの駅~祖母の墓がある市の駅まで、大体20分位で着くのだが、自宅~駅、駅~祖母のある墓までは、結構離れている。両方の駅までの間の道を歩いて行くと、電車の時間に加えて30~40分位はかかるだろう。
また、地方という事もあり、電車も20分に1本来るかどうかだ。
要するに、電車を使うと、結構時間がかかり、不便なのである。

“はぁ…。何で電車で行ってきたの?”

歩が聞いた。

“歩は、覚えてないかもだけど、歩が生まれてから1年間は、あたし、まだ働いてて。あたしが仕事へ行っている間は、ばあちゃんが家に来て、歩の面倒をみてもらってたんだよ。”

“へぇ…。知らなかった…。”

“ばあちゃんは、自動車の免許なんて持ってないから、毎日、電車と歩きで、朝と夕方、家まで通ってくれてたんだよ。”

”その当時のばあちゃんの歳が、今のあたしより、ちょっと多い位だったかな。まぁとにかく同じ位の歳でね。“

”ふと…ね。当時のばあちゃんと同じ事をしてみようと思ったんだよ。“

”それで最近、月命日のお墓参りの時には、車で行かずに、電車で行く事にしてるんだよ。“

”はぁ…。でも大変でしょ…?結構…。“

”家から駅までも歩くし、電車も待つし、駅からも結構歩くしね。雨風がすごい日もあっただろうし、朝の通勤時間帯だったから、電車の中の混雑も凄かったと思うんだよ。ばあちゃん、本当に、毎日よく通ってくれたよと思ったよ。“

”そうだったんだ…。”

そんなに小さい時の事を、歩は覚えているはずもなく、また、祖母、母親の両方からも、そんな話を聞いたことが無かった。

”それで、お墓参りした後にさ、お寺の隣に、小さい公園があるでしょ?“

”あぁ、あるね…。“

”あそこに、小さいけど、ベンチがあってね。そこに座って、家から持って行ったおにぎりとお茶でお昼を食べてきたんだよ。“

”今日は静かでいい天気だったからさ、何か、良かったよ…。“

どこか懐かしむように、母は歩にそう話したのだった。

”はぁ…。“

何かそんな話を母親とした事は覚えている。しかし、その当時は、聞き流して、ちゃんと聞いていなかったのかもしれなかった。

そして、母は、多分、何か思う所があって、その話をしたと思うのだが、歩は、まぁそんな事があったんだ程度に聞き流していた。

しかし、2回目の歩には、何故だかその何気ない話の中に、大事なものがあるような気がした。

母は、その後、

”じゃあ、食べ終わったら、洗い物お願いね。ちょっと早いけど、あたしは、寝床へいくよ。”

”千絵、まだ帰ってきてないから。帰ってきたら、お味噌汁そっちにあるから、伝えといて。”

母はキッチンを去っていった。

歩は、キッチンにかかっているカレンダーに目を移した。
今日は、間違いなく、事故の1週間前の月曜日だった。

そして、ふと思い出した。
以前は、祖父や祖母の受診の付き添いや、その他の用事で、びっしりと埋まっていたそのカレンダーは、今は、父や母の定期の受診の予定がポツポツと書き込まれている程度で寂しいものになっていた。

何かを抱えているのは、歩だけではないような気がした。

食事を食べ終わると、食器を洗い、歯を磨いて、風呂へ入った。
入浴中、今日の一日を振り返っていた。

1週間前と全く同じ事が起こっていても、少しだけ感じ方が変わっていた。当時は極端に狭くなってしまった視野の周辺に、こぼれ落ちていたものがいくつか見つける事が出来た。

悪い事ばかりでもなかった。
気持ちの整理もできた様な気もする。

そして、明日は多分、未来を変える為のキーポイントとなる日だ。

どのタイミングかは、なんとなく予測出来ている。
あとは、間違えない様、自分で選択するだけだ。

風呂の中で、眼を閉じ、ゆっくり自分に言い聞かせてみる。

”おじいさん、いや、神様。見ててくれよ。”

風呂から上がった所で、千絵が玄関の戸をガラガラと開ける音がした。

脱衣所で着替えた後、リビングの片隅で、部屋着に着替えている千絵に向かって、歩は声をかける。

”千絵。母さんもう寝にいったから。夕飯、そこに出てるから暖めて食べてって。”

”…。”

”あと、向こう(コンロの方)に味噌汁もあるからってさ。”

”…分かった。”

2回目の歩でも、千絵に向けた口調は、ややぶっきらぼうなままだった。

少し反省しなきゃな…。

歩は心の中でつぶやく。

明日に備える為、歩も、少し早めに寝る事にした。
階段を上がって、歩の部屋に入り、ベッドに横になる。
習慣になっていた、寝る前のスマホもいじらずに、目を閉じた。
疲労もあったのか、歩は、すぐに浅い眠りに落ちていった。

その日、歩は、祖母の夢を見た。
それは、遠い遠い、昔の記憶と、亡くなる数日前、ばあちゃんに会った時の記憶。
夢の中でも、ばあちゃんは微笑んでいた。
歩に心配をかけない様にクシャっと微笑むその顔は、今でも、決して色あせ
ることはなく、その笑顔と一緒に、皺の刻み込まれた手の暖かさや、ばあちゃん家の匂いが、歩の傍で、ふっとしたような気がした。

(次号へ続く)
第12話

※本日もお疲れ様でした。
社会の片隅から。徒歩より。

第10話。

第1話はこちらから。




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