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初めて落語を聞いた夜

イベントから帰る夜行バスで初めて落語を聞いた。


この週末、私は地方イベント、彼女は浅草へ落語を聞きに行った様だ。
落語を聞くと言う選択肢がある事に驚く。
休みの日が来た、落語に行こう。と私はならないし、選択肢にも上がらない。
体を休め、溜まった家事を消費する事を真っ先に考えてしまう。
彼女はそんな切羽詰まって生きていないのだろう。

Twitterを見る限り絵師も浅草に行ったようだ。
2人で休日に浅草で落語を見て、写真映えするスポットを周り、可愛いかき氷を食べる。絵に描いたような生活で羨ましい。


もちろん、落語を聞こうと思ってもどの様にするのか分からないので、ネットで調べるしか出来ない。

調べて見るものの訳が分からない。古くからある芸事は歴史が長く庶民には理解しきれないのだろう。

とりあえずYouTubeで検索して上に出て来たものを見てみた。

桂歌丸の竹の水仙というものを見た。

桂歌丸はなんとなく知っている。笑点の司会で何年か前に死んだ人だ。

落語は話始めに雑談の様な話(枕と言うらしい。)をして、その流れで本題に入る様だ。

動画は40分弱あり、話の内容、笑いのツボ、何も分からず、ただただ苦痛な時間だった。

これを彼女も絵師も面白いと思い、わざわざ浅草まで休日を潰してまで行く物なのだろうか。

昨日は特別公演で整理券を貰う為に朝早くから並んだ様だ。

信じられない。


彼女は常々落語についてツイートしていたのでこれを理解し、楽しんでいるのだろう。

絵師は楽しめたのだろうか。
いや、彼女の趣味だから着いて行ったのだろう。

面白くない事でも彼女の為なら時間を割くのだろう。


教養も知識もなく楽しめない独り身の私と、絵師に愛され文学的な知的な趣味のある彼女、あまりにも対象的過ぎて比べる事すら烏滸がましいのかもしれない。

どうして私の人生はこうも上手く行かないのだろう。


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