まあや

足を止めてくださいましてありがとうございます。(「・ω・)「 親、兄弟、社会からも否…

まあや

足を止めてくださいましてありがとうございます。(「・ω・)「 親、兄弟、社会からも否定され続け、自分自身を『失敗作』と形容し続けた社会不適合者の私が、父となり、日々の子育てから学び感じた事を感情のままにぶん投げるエッセイ『日常デッセイ』を思い立ったら更新してます! おねしく!

最近の記事

もんてっそーり

初めての育児とはまさに戦争だ。 日々変化する我が子に対し、あの手この手で対応し、日々の作業が終わった頃には体が疲弊し気付けば寝落ち。 己が目覚める前に鳴き声と言う名の空襲警報に起こされまた戦場を駆け回る日々。 とは言え、昨今の育児本やネットメディアで調べれば、新米パパママが喉から手が出る情報が五万とあり、しかもそれは全て最新の研究や、多くの賢者達の経験から紐付けられており実績を残している。 つまり、それらのソーシャルメディアを使い、育児の何たるかを調べずに子供と向き合うと言

    • おとな

      私達夫婦は、付き合っている期間を合わせればかれこれ17年になる。 コレを言うと大抵の人に驚かれるのだが、付き合い始めてから、結婚して共に暮らす様になり、子供が産まれ子育てが始まり多忙を極める現在でも、1度たりとも喧嘩をした事が無い。 コレは単純に仲が良かったり、不満が無かったりなどと言うわけでは無く、はたまた言いたい事を言ってない訳でもない。 お互いの共通認識として、単純に喧嘩が嫌いなのでしないだけの話なのだ。 お互いがお互いに干渉し過ぎず、いい距離を保っているだけなのだが、

      • なんご

        生後6ヶ月の男の子は、表情が非常に豊かである。 彼はまだ言葉を話せないため、私達とコミュニケーションを取るためには、表情や行動、そして『あーあー』や『えぃー』などの言葉にならない言葉、いわゆる『喃語』と呼ばれる物で、我々に彼なりの意志を伝えてくる。 当然の事ながら解読は非常に困難。 だがしかし、その一言一言には確実に意志が宿っている。 私の遺伝子を半分有する彼から発せられる、『難攻不落の暗号文』と言われれば、興味を唆らない蝶ネクタイメガネ小僧はいないだろう。 喃語とは、生

        • こわい

          幼少期の経験や環境は、大人になってからも影響を受けることがある。 6歳までの親の育て方によって、その人間の本質や気質がが決まると言われている。 私事にはなるが、大きなクソガキになっても、周りの人々のことを気にして生きている。 例えば、同じ職場、空間にいる人間が、どの様な行動を取っているかを把握出来ていなければ、自分自身が安心出来ないのだ。 時に、現在私は子育て真っ盛りなので、関連書物や、記事を調べる事が大い。 その中で、逆説的に気付いた事がある。 その人の性格を理解する事が

        もんてっそーり

          ひづけ

          子供は時に思いもよらない事を教えてくれる。 私の息子も例外ではない。 時に、お誕生日などの、その人が持つ数字には何かしらの縁があると思っている。 例えば、私の親、兄弟、妻の親、兄弟の誕生日に中頃の日付を持つ物は居なくて、必ず1〜10日か、20〜31日に収まっていたりする。 そして、その日付には大体何かしらの縁がある数字が多い。 私の息子は29日に生まれた。 しかし、私達夫婦は『29日』と言う日付けに縁があるなどピンとこない。 「……肉の日…?」 などと言いながら思慮深く探し

          いわかん

          私達家族は、母と一緒に暮らしている。 つまり、私、妻、息子、母の4人家族だ。 そんな母が、白内障の手術の為、3日間家を空ける事となった。 息子が生後2ヶ月の頃だ。 驚いた事に生後2ヶ月の息子が、私の母を探して泣きじゃくったのだ。 私は息子に『チャアチャン(祖母の愛称)ちゃんと帰ってくるよ〜』と言いながら宥めると、その都度泣き止み、理解し、納得する様に落ち着きは見せたが、それでも、違和感は拭い去れないと言った所らしい。 当然の事ながら、3日後に退院したチャアチャンが帰ってく

          いわかん

          ぶらんここわい

          先日、2歳になる姪っ子と公園に行った時のはなしだ。 姪っ子をブランコに乗せてあげた所、『こわい〜』と泣き出したのだ。 普段からヤンチャで活発。永久機関の様に走り回り、あらゆる危険に自ら飛び込む勇猛果敢な姪っ子にしては珍しい反応だと思い、その時はすぐに下ろしてあげたが気には留めておいた。 その晩の食事中、姪っ子は、お椅子にはちゃんと座ってはいるのだが、なんだかフラフラ〜ゆらゆら〜と、落ち着き無くのんびり食事をしていた。 普段から姪っ子はそうらしく、そのため家では妹によく叱られ

          ぶらんここわい

          しこう

          子供と大人では、見えている世界はまるでちがう。 我々大人は、抽象化された世界に生きている。 この世界を、目に見える形ある物よりも、概念やアイデアに重きを置いて、それに基づき社会を形成している。 例えば、時間やお金、制度や法律など、コレらの概念を軸とし、この複雑に入り組んだ現代社会を、自分達が生き易い様に構築しているのだ。 コレに対して、子供達はこの世界をどう捉えているのだろうか? 先日の甥っ子の話だ。 『明日起っきしたらバァバの所に行こう!』 寝る前に義妹は甥っ子に話したら

          つわり

          妊娠中に起こるつわりは、コレから母になる多くの女性にとって大変な体験だ。 義母のつわりはとにかく酷かったらしく、それを聞かされていた私は、妊娠発覚時点で戦々恐々としていた。 ちなみに義母だけでは無く、義祖母も酷かったらしい。 妻の遺伝子に深く刻まれた『ツワリヒドイヨー』と言う無意識は、私たち夫婦にも、例外無く降り注いだ火の粉である。 妻曰く最初の数週間は軽い車酔い程度の症状を感じていたらしい。 但し、車酔いを感じない妻にとっては「変だなぁ?」くらいの感じだったらしい。 その

          おふろ

          我が家では、息子をお風呂に入れるのが私の責務になっている。 そうなるのには理由がある。 妻が目は非常に悪く、メガネを外すと目が3になる、曰いる『藤子不二雄体質』な上、コンタクトとも相性が悪い。 当然の事ながら浴室内でメガネをかけるとどう言う惨劇を引き起こすかは、全世界のメガネ愛好家なら想像に難く無いだろう。 我が子では、子供が産まれる前は、毎晩9時にお風呂に入っていた。 仕事を終えて帰宅し、そのまま飯を食い、なんだかんだ家事をして、最後の締めとしてお風呂に入る。 後は酒を飲

          こそだて

          昨今の育児書の多様性は凄まじく、『怒らない子育て』や『褒める子育て』など、激動の昭和を生き抜いてきたスパルタスポ根リゲイン世代からしてみれば、それはそれはぬるま湯教育と形容したい気持ちはよぉ〜くわかる。 しかしながら最新脳科学的な検知や、実際に昨今の育児方により成長した子どもたちの学歴面、年収面などを比較され、昭和世代は2000年代を生き抜くヒヨッコ達にマウントを取られ続けているのが現状だ。 中でもよく見かける単語として『非認知能力』と言うものがある。 非認知能力とは、数値

          こそだて

          さんご

          産後の女性の脳の状態については、産後うつや不安障害などがたびたび報告されていて、脳の神経回路も出産や育児に合わせて変化することが、昨今の研究などでも明らかだ。 私の妻も例外では無い。 普段しっかり者の私の妻も、産後には炊飯ジャーのスイッチを入れ忘れたり、お財布を持たずにお買い物したり、普段何気ない事でもミスをしてしまい、自己否定に陥る事も度々あった。 しかし、こう言ったヒューマンエラーなどは正常な状態の脳でも起こる事が日常の私からしてみれば、そんな状態のCPUを搭載している

          こども

          子供が産まれた時、『どんな出来事よりも幸せ』だとか、『涙が止まらなかった』などと言う定型的な台詞は良く耳にするが、私が子供が産まれた時に感じた感覚は『明確な死』だった。 思えば妻は、妊娠初期からつわりが酷く、約2ヶ月間は飲めず食えずの上吐き続けていた。 妊娠前の体重から10キロも落ち、元々痩せ型の体型がもはや病的なモノになっていた。 つわりが落ち着いてもからも食欲が戻る訳では無く、膨らむお腹に圧迫され、更に胎児による胃袋へのダイレクトドロップキックの弊害により、0.7人前