こわい
幼少期の経験や環境は、大人になってからも影響を受けることがある。
6歳までの親の育て方によって、その人間の本質や気質がが決まると言われている。
私事にはなるが、大きなクソガキになっても、周りの人々のことを気にして生きている。
例えば、同じ職場、空間にいる人間が、どの様な行動を取っているかを把握出来ていなければ、自分自身が安心出来ないのだ。
時に、現在私は子育て真っ盛りなので、関連書物や、記事を調べる事が大い。
その中で、逆説的に気付いた事がある。
その人の性格を理解する事が出来れば、その人が育った環境を理解することができて、且つ、どう言う育て方、褒め方が適切かがみえてくるのだ。
私事にはなるが、私は非常に視野が広い。
仕事中、周りにいる人間がどんな動きをしているか?誰がどこに居るか?は大体把握出来る。
なので、周りの人が手伝って欲しそうな雰囲気を醸し出す前に、その人の所へ行き、誰よりも早く手助けが出来る。
まさに『転ばぬ先の杖』とは私の事なのだ。
この手の人間を、先程の様に逆説的に考えてみよう。
『視野が広く、周りの状況を常に注意してしまう事が癖の様になっている。』
と言う事は、裏を返せば、
『常に周りに注意しなければいけない環境で育った』
と言う事なのだ。
『育ってきた環境に安心感が無かった。』
とも言える。
安心感が無く、周囲に注意が必要な環境とはどの様な環境だろうか?
当然の事ながら、コレに当てはまる環境とは『自然界』である。
大自然とは、常に危険が付き纏う。
天候、気温、外敵、その他etc。
上げればキリがない程の身の危険が潜んでいる。
が、私は当然、幼少期にタタラバで捨てられて、狼に育てられたわけでは無い。
普通の日本家屋に住み、野犬や害虫から身を守りながら生きて来た訳ではない私が、どうしてその様な能力が過敏になったのだろう?
自然界と私の幼少期の環境に共通点があったとするなら、一つしかない。
『恐怖』
である。
私の両親は昔人間の為、子育てに対して殴る蹴るなど当たり前だった。
駄々を捏ねるとダメを連発され、一度で聞かなければ普通に拳骨が飛んで来た。
また、小さな頃から声が大きかったらしく、『五月蝿い!』とよく怒られ、小さい声で話す事を強要された。
幼少期特有のドタドタ歩きなども、蹴りで矯正された。
また、私には歳の離れた姉兄がいる。
コレにより、両親は『姉兄が観てくれている。』と思い込んでいた為、怒る時以外はほぼノータッチだ。
だが、当然の事ながら、姉兄はその頃思春期真っ盛り。
言語不自由で、『イヤ』しか言わない、所謂『秩序の敏感期』真っ盛りのクソガキの相手などするはずが無い。
それどころか、夫婦喧嘩は冷戦になる為然程だったが、姉兄の喧嘩は基本殴り合いだった為、危害が加わらない様にするので精一杯だった。
我が身を守る為には、家族の顔色を伺い、行動を予測して、如何に自分以外の家族の生活を円滑に進めるかに勤めた。
そうで無ければ、何時、誰から殴られるか分からなかったからだ。
定番のお仕置きは『押入れに閉じ込められる』だった。
恐らくは、コレが私の『閉所恐怖症』発症のトリガーになったのだろう。
このご時世でも、マスクを長時間付けると過呼吸が起きる。
まぁ、環境が良いとは言えないが、コレが虐待かどうかは、受け手…
つまり、私がどう受け止めているか?と言う話になる為、ここでは語らない。
ただ、幼少期に私を支配していた物は『恐怖』である事は紛いもない事実なのである。
この環境下で育ったからこそ身につけた『周り見』の能力と引き換えに、私は『1番身近な人間との信頼関係』を築けずに育った。
その為、当然の事ながら私は他人を全く信用していない。
他人を信用していない人間は『自分でやった方が早い』と思う様になり、結果パンクする。
更に、自己肯定感も否定され続けていた為全く無い。
そんな私が『子育て』に真っ向から向き合うに当たり、出来る事は何があるだろうか?
いや、そうでは無い。
『恐怖の檻から解き放った自分を見てみたい』
そう言う願望が目覚めて来たのだ。
当然の事ながら、私と息子は別の人間だ。
だが、彼を恐怖の檻から解き放ったらどうなるのだろう?
コレはもはや、研究者が興味を抱きワクワクしているそれと変わりは無い。
明らかに理由は不純。
たとえそうだとしても、私は彼を恐怖で縛り上げ無いと心に誓った。
自分の人生を振り返れば簡単に解る事だ。
私が大空へ羽ばたく翼をへし折ったのは『恐怖』と言う因子なのだから。
ならば私は、彼の大きな翼を精一杯守ればいいのだ。
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