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「理想」≧「現実」「幸福度」はギャップの度合いで決まるー『菜根譚』  

真の幸せとは何か

自分の考える「幸せ」をイメージしてみてください。
おそらく多くの人は「それなりに金銭的な余裕があり、心身が健康で、優しい家族や仲間に囲まれて暮らしている状況」を思い浮かべたのではないでしょうか。

引用したのは、『別冊100分de名著「菜根譚(さいこんたん)×呻吟語(しんぎんご)』にある一文です。著者は中国思想研究の第一人者、湯浅邦弘大阪大学名誉教授(以下、湯浅先生)。

『菜根譚』と『呻吟語』は、ともに中国は明時代に刊行された処世訓の名著。処世訓を現代風にいえば、「世の中を上手に生きぬくヒント(智恵)集」といえるでしょう。中国に流れる思想「儒教」、「道教」、「仏教」にもとにしながら、人生の成功と失敗について綴っているのが特長です。
片や『呻吟語』の著者は、「成功の人」である呂新吾(ろしんご)。片や『菜根譚』の著者は、「挫折の人」である洪自誠(こうじせい)。ともに明の時代に官僚でした。

成功の人と挫折の人、それぞれが人生について語っているのですが、両者に共通しているテーマの1つが、真の幸せとは何か、ということです。

「幸せ」=「理想」-「現実」

人間は何をもって幸せと感じているのか。
幸せに生きるとは、どういうことか。

湯浅先生はそのことから説き起こしています。

「人間の幸せ」の感じ方には、「理想」と「現実」のギャップが深く関係しています。
「理想」と「現実」が近ければ近いほど、自分は「幸せ」だと感じ、逆に「理想」と「現実」との隔たりが大きくなるほど、自分は「不幸だ」と感じてしまいます
(*一部を修正して引用しています)

「人間の幸せ」の感じ方には、「理想」と「現実」のギャップが深く関係している。ということは、「幸せ」を感じるためには、「理想」と「現実」のギャップができるだけ小さくすればいい、ということになります。
 では、どうやってギャップを埋めていくのか。
 それを考えるときに、西洋文化圏と東洋文化圏では、プローチの仕方が異なるっている、と湯浅先生は指摘します。

西洋文化圏では、大きな夢や理想を抱き、そこに向かってひたすら努力することが、幸せに近づく方法だと、多くの人は考えているようです。理想を高く掲げて、それに向かって努力するというアプローチです。「アメリカン.ドリーム」という言葉などはその象徴でしょう。
一方、日本を含む東洋文化圈では違います。夢や理想の大きさを少しずつ調整して、現実に近づけていくことで幸せを得る、という方法が一般的です。
(*一部を修正して引用しています)

「不幸感」が増すリスクも考えよう 

大きな夢や理想を抱き、そこに向かってひたすら努力して、幸せに近づくアプローチ。
 一方、夢や理想の大きさを調整して、現実に近づけることで幸せを感じるアプローチ。後者は、大きな夢を抱くことよりも、「現実と折り合って生きる」ことに重きを置くことを優先する、ということです。

 夢や理想に近づくことを願って、あれこれと挑戦をし、トライしても、望むような結果が得られないこともあります。その場合は、「幸せ」を感じるどころか、「不幸感」が増してしまう。そのリスクも考えに入れておきましょう、と湯浅先生はアドバイスしています。

大きな理想を掲げた場合、それに順調に近づけているうちは問題ないのですが、逆に「理想」と「現実」が乖離していく状況に陥ると「不幸感」がどんどん増していきます。
(*一部を修正して引用しています)

 いまのような時代は、現実と上手に折り合いながら、幸せを感じることができる東洋的な考え方が、上手に生きていくヒントになりそうです。
 湯浅先生のアドバイスをもとに、『別冊100分de名著「菜根譚×呻吟語」』を読み進んでいきます(次回へ続きます)。


『菜根譚』著者:洪自誠(こうじせい)。
書名は、宋代の王信民(おう・しんみん)の言葉「人常(つね)に菜根を咬みえば、則ち百事(ひゃくじ)做(な)すべし」に基づいています。「菜根」とは粗才な食事のことで、そういう苦しい境遇に耐えた者だけが大事を成し遂げることができる、ということです。


『呻吟語』著者:呂新吾(ろしんご)。
書名の「呻吟」とは重病人のうめき声のこと。ただし、呂新吾自身が病気に苦しんでいたわけはなく、社会の混乱や腐敗に向けて発した嘆きを、「呻吟」という言葉に託した、ということです。


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