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「どうぞ」と「仲良く」は呪いの言葉?
元不登校の上の娘と、就学前に発達障害グレーゾーンと診断された下の息子、6歳差の姉弟を抱えるワーママの話。
私が息子の発達に悩んでいた小学校入学前後、一方の娘はというと、都内の私立中高一貫の女子校に入学していた。
娘は人間関係に対しては繊細な面があり苦労していたが、お勉強を含む学校生活全般については、あまり困ったことがなかった。
性格はおとなしめな方だったが、小学校では概ね成績上位だったし、芸術系に長けていた。
なので、中学入学から不登校っぽい状況に陥る中3ぐらいまでは、正直ほぼノーマーク・ノーケアーだった。
ただ、クラス替えや部活動、習い事などで、高頻度でお友達関係に悩まされているようだった。
お悩みのパターンは概ね決まっており、気の強いお友達に執着されすぎてしまうケースが多かった。
これは遡ること保育園の年少の頃から同じパターンなので根が深い。
人間は、生まれたての赤ちゃんですら、性格が異なる。
自己主張強めの赤ちゃんもいれば、あまり大人の手を煩わせないタイプの赤ちゃんもいる。
娘の赤ちゃん時代は、自己主張強めだった。
泣く、と決めたら、絶対泣き続けてやる。みたいな。
保育園に入りたての頃も、好きなおもちゃは絶対人に貸さないし、今日はこの服が着たい!と決めたら、気温一桁でも半袖のプリンセスのお洋服を着て、両鼻から鼻水を垂れ流しながら登園した。
口癖は「自分!」だ。
自分でやりたい!自分で決めたい!自分のもの!のような感じで、3歳前後ぐらいまでは主張全開だった。
この主張の強さは、後々にお友達とのトラブルに繋がりかねない、と考えた私は、その芽を摘むべく、お友達に「どうぞ」って譲ろうね。誰とでも「仲良く」しようね。
と、口を酸っぱくして言い聞かせた。
これは娘にとって、呪いの言葉だったかもしれない。
子どもは、まずは自分という個を確立し、それが守られている安心感を得て、他者と関わるフェーズに成長していく。
その、個の確立と自分が守られている絶対的な安心感が育まれる大事なフェーズで、私は娘に自分自身や自分の大切なものを守ることよりも、お友達に譲ることを推奨していた。「どうぞ」って。
そしてお友達とトラブった時、自己主張をやめて誰とでも「仲良く」するよう強要していた。
自分自身よりも他者を優先すべし、というメッセージになっていたと思う。
これは当時の私自身のビリーフでもあった。
そんな私の教育が功を奏し、年少になる頃にはお友達との喧嘩やおもちゃの独り占めは無くなった。保育園や小学校では、娘は穏やかな子として認知されていたと思う。
が、その頃からお友達を優先するあまり、自分のやりたいことができなかったり、本当は遊びたくないお友達と一緒に行動することを求められて、フラストレーションを訴えることがしばしばだった。
そんな娘の声に、娘ちゃんは優しいねぇ、えらいねぇ、と今思えば頓珍漢な評価をしていた。
不登校になってから、娘に「そんな全員と仲良くできるわけが無いのだから、気にしなければいい。自分のやりたいようにするのが一番だ。」なんて言ってみたのだが、ふと、それって今まで私が娘に伝えてきたことと真逆では?立派なダブスタでは?と思った。
親の伝えるメッセージが、後々に子どもの人生にどのような影響をもたらすのか?
もっと真面目に考えるべきだったんだなぁ、と。
娘には申し訳なかったと思う。
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