★児童・生徒指導91★生徒指導提要から考える その28(いじめ その4)
今回も「生徒指導提要」を読んで、考察をしてみたいと思います。あくまでも、読んで感じたことや考えたことなどの、個人の一見解です。また、読み進めながら書いていくため、全体像を見通した内容になっていなかったり、解釈の仕方が変わっていったりする可能性もあります。
今回も「第4章 いじめ 」に焦点を当てていきます。(前回の★児童・生徒指導90★の続きです。)
「4.3 いじめに関する生徒指導の重層的支援構造」において、いじめについても、生徒指導の4層の指導構造である①発達支持的生徒指導、②課題未然防止教育、③課題早期発見対応、④困難課題対応的生徒指導の視点が重要であることが説明されています。
そして、「4.3.1 いじめ防止につながる発達支持的生徒指導」では、発達支持的生徒指導における留意点として、4点が述べられています。
前回は③の「『どうせ自分なんて』と思わない自己信頼感を育む」について、子どもたちは、比較の波にさらされ、「活躍の場があること」に秀でている子が多く注目されることになること、教育課程や学校の方針、教師が重きを置いていることなどによって、子どもの活躍の場は決められてしまうこと、について考えてみました。
それでは、子どもたちはどのようにすれば比較の波にのまれないで済むのでしょうか。教師のマインドとして大切なことについて考えをまとめていきます。
教室に絶対的な安心感をつくり出す
比較の波にのまれないようにしたいと思っても、先述のように、学校のあらゆる場面に「比較」は蔓延しています。その上で、さらに子どもたちの関係性において、「比較」に重きを置く雰囲気が出来上がっていては、比較の波から逃れることは困難になるでしょう。
そこで学級では、たくさんの「比較」される要素があって、自分の「できる・できない」が目に見えて分かってしまっても、「大丈夫である」という安心感を生み出すことが大切だと思います。
なぜ、比較が怖いのかというと、最も大きい理由は、それによって自分の「できない」部分が露呈し、周りから馬鹿にされたり、負の注目を浴びたりすることになるからではないでしょうか。まずは、そのように降りかかる負の側面を排除すること、そして、そのような負の出来事は起こらないという安心できる環境が必要です。
それでは、その安心はどのようにして生み出せるのでしょうか。
比較対象が存在する枠を広げる
安心感を生み出すためには、互いの長所・短所も認め合う雰囲気づくりをするなど、様々なアプローチがあると思いますが、子どもたちにまず語って、意識させたいのは、比較対象が存在する枠を広げることです。
比較対象とは、学級であれば級友のことです。私たち大人は今になって考えてみれば、小学校や中学校の「学級」というコミュニティは非常に狭いものであると感じることが多いのではないでしょうか。しかし、今を生きる子どもたちの多くにとっては、そのように考えることは難しいでしょう。自分が生活する学級という空間が、全てであるかのように感じてしまう子どもは多くいると思います。そのような中で感じる負の目線は、まるで世界の中で自分がちっぽけであるかのような錯覚をさせてしまうかもしれません。
しかし、実際には、学級の中で特定の分野に秀でている子も、比較対象を広げれば「上には上がいる」ということになるでしょう。(もちろん、その中でもトップクラスになっていく子は存在しますが。)学級の中で活躍する子やその価値を下げるわけではなく、子どもたちの周りにはまだ見えていない部分がたくさんあるということを伝えることも必要だと思います。
活躍の場を意図的につくり出す
子どもたちが活躍する場を意図的につくり出すための効果的な実践は、たくさん発信されていると思います。各教科はもちろん、特別活動などを工夫することで、多くの子どもたちが活躍する機会を生み出すことができると思います。
場を生み出すこと自体は大切であると思いますが、そこに至るときの教師のマインドと語りの方が大切であると思っています。
私たちはよく、何かが「できる・できない」ということを考えるときに、「『全くできない』ではないからOK」と考えることができずに、「そこそこ『できる』けれど、トップクラスに『できる』わけではないから、ダメだ」などと悲観的に考えがちになってしまいます。自分にOKを出すハードルを非常に高いものにしてしまっているわけです。
この状態で子どもたちに、自分の得意などを生かす機会を与えても、その中でまた、「あの子の方がよくできる」「あの子の方が価値がある」「あの子のやつの方が人気がある」…などと、負の感情につながってしまうことがあります。ある分野でトップクラスに秀でることは、とても素晴らしいことではありますが、「そうならないと価値がない」と考えるのは極端であり、そうではない、ということを伝えることが大切だと思います。その上で、ひとりひとりが自分が活躍できる機会を生み出すのであれば、それは意味のあるものになるのではないでしょうか。
「比較」自体が悪いわけではない
比較することは、「頑張ろう」というプラスのエネルギーを生み出すこともあり、それ自体が悪いわけではありません。負けても負けても、その悔しさによって這い上がり、結果を出す人もいます。また、比較によって自分の欠点を見直そうという前向きな気持ちや行動なつながることもあります。
しかし、状況やタイミング、心の在り方などによっては、「どうせ自分なんて」につながってしまうこともあるのです。そのようなときには、意識的に比較から離れるという選択をすることも必要です。そして、「比較」自体が悪なのではない、ということも子どもたちには伝えたいことです。
それでも「どうせ自分なんて」
それでも、これまで育ってきた環境や性格などによっては、「どうせ自分なんて」が強い子はいることでしょう。
手順を踏みながら活躍の機会を生み出しても、「自分にできることはない」「大したことはできない」と言って、やらない子もいるかもしれません。自己肯定感(「生徒指導提要」では、自己信頼感)は一朝一夕に高まるものではないのです。あらゆる場面で自己肯定感を高めることができるようにしていく必要はあります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。