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人生ではじめて風呂のなかでアルフォートを食う(学ぶに暇あらずと謂う者はもし暇があってもぜってえ学ばねえから、残念)

七月十九日

それが急速に軍国調に変っていったのは、二・二六事件や盧溝橋事件以後であった。国民生活全般にわたって消費の節約が求められ、緊張と耐乏を余儀なくされるようになった。一九三八年(昭和十三年)、綿糸・ガソリン等配給キップ制、三九年、物価統制令、白米禁止、パーマネント禁止、ガス節約令、そしてさらに米の禁止令が出され、米の販売が国家管理に移された(米穀管理規制実施)。一九四〇年(昭和十五年)には、贅沢品禁止令が出され、街に振袖姿やガソリン自動車がしだいに姿を消し、「ぜいたくは敵だ!」という立看板が街頭に立ちならぶようになった。金歯以外の金製品には供出、買上げの処置がとられ、革製品や婦人用ハンドブックなども三十円円以上の品は売れないようになった。

色川大吉『ある昭和史(自分史の試み)』(中央公論社)

十一時起床。紅茶。
きのうは夕暮れ後の二時間歩行のあと、風呂のなかでブルボンのアルフォートを食べた。十二個のやつ。しかもストロベリー。湯に浸かりながらお菓子を食べることはたいへん楽しいことだと知った。入浴のあと中野拓夢の好守備集をユーチューブで見た。彼は小柄で童顔だけに喉仏がとてもセクシーに見えた。隣の爺さんが帰って来た。きょうも世界は不快なことと不条理なことで満ち満ちているだろう。

菊田幸一『死刑と日本人』(作品社)を読む。
日本における「死刑の歴史」が俯瞰できた。死刑の存廃議論において、多くの人はあまりにイデオロギッシュ(無思索的)で、結論を早く出し過ぎる。
この碩学の著者によれば、「日本人」の通性として、なにかと死んで世間に詫びる強い傾向が見られると言う。不祥事を起こした会社の役員らがハゲた頭頂部をカメラ(衆人)にさらすあの見慣れた謝罪会見はかつての切腹の名残なのだとかいう類推は、もはや陳腐なものになっている。「禊を済ませる」という言葉もまだ生々しい。そういえば日本は加害者家族にやたら厳しい国だという指摘もある(阿部恭子『息子が人を殺しました』)。
死刑をめぐる作品ということで、永山則夫の本が紹介されていた。連続ピストル射殺事件で死刑が決まったあと、彼は獄中で猛烈な読書欲に駆られ、ノートに思うところを書き続けた。そのうちのひとつが『無知の涙』(一九七一年)。これが売れたんだ。昔ぱらぱらと読んだ記憶しかないが、彼の生い立ちをそこそこ詳しく知っている今読んでみると、また違ったふうに読めるかもしれない。書きかけの「大論理学ノート」に尋常でない未練を残したまま死刑に処された彼に憐みを禁じ得ない。もっと読みたかったし、もっと書きたかっただろう。チクショウ、死刑制度死ね。ニッポン死ね。もうすこし生きていたらジャン・ジュネのような「世界文学」も残せたかも知れないじゃないか(買い被り過ぎか)。極貧と暴力のなか育ち娼婦と乞食以外はぜんいん敵だと世を呪った末に人を殺め死刑判決を受けたような人間でなければ抱けない思想や綴れない文章もきっとあるだろう。ところで被告人に死刑を適用する際の判断基準に「永山基準」というのがある(一九八三年の最高裁)。よく「三人以上の殺害は原則死刑」なんて言われるが、この「永山基準」は今もなんだかんだ一定の力を持っているということか。
現行憲法には死刑についてちょくせつ明文化された箇所はない。死刑は憲法三十六条(公務員による拷問・残虐刑の禁止)に照らして違憲だと言う声もあるが、最高裁は合憲としている(一九四八年)。憲法三十一条(適正手続の保障)の半面解釈により「死刑も可能」であるとする観点もあることは、今回はじめて知った。こんどもっと詳しく調べてみたい。備忘のためその条文を引いておく。

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

e-Gov

著者は死刑を廃止したうえで、被害者家族への賠償に繋がるかたちの終身刑を導入すればいいと主張する。「なんか生かさず殺さずみたいで気持ち悪いな」というのが俺の感想。「人道的」というのも一皮むけば、「使える労働力はなんでも使え」という経済合理主義なのではないのか。くそくらえ。

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