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学会遠征編ショート版 第40話 喧嘩

He is the craziest.

 まあ5kmならと思い、歩いて向かうことにした。もちろん蒸し暑さは夕方になっても加減を知らず、カッターシャツが体に張り付いてくる。お互い学会のついでで来ているのでノートパソコンなどの荷物もリュックに背負って移動しているというのが、余計に徒歩移動の難易度を加速させる。CRAZYはケニア人ということもあってか、暑さにはめっぽう強い。僕も小中高とサッカーを続けてきた身として真夏の暑さには十分慣れているつもりではいたが、あまり得意ではない。代謝がよすぎるせいで汗が滝のように流れてくる。持っている水が足りるかどうかが心配である。暑さに悶えながらも、歩いていけば景色をゆっくり楽しむことができる。改めて、自然も文化も熱帯地方だ。濃い色の木々や濁った川、南国フルーツの出店をいろいろと写真に収めながら進んでいった。
 最初は楽しかった。CRAZYと一緒に写真を取り合ったり、思ったことを言い合ったりとさながら旅行気分だ。しかし、10歩進んでは
「写真撮リマース」
「写真撮リマース」

次第にノイローゼになってきた。確かに、景色は美しい。だがしかしそれ以上に暑い。塗った日焼け止めも剥がれ落ちるくらいに汗をかいていた。こんなに立ち止まっていたら一向にたどり着けそうにないので、少しずつ写真を断るようにしていった。そのうえ、CRAZYは学会用のリュック以外にサブのバッグはない。そのため、水を飲んだり、写真を撮ったりするたびにものを持っててくれと頼んでくる。暑くて心に余裕のなくなってきた自分はこれすらも受け入れられなくなってきた。そのため、道中で肩掛けバッグを買うことになる。しかし、時刻は16時を過ぎているため、たいていの店が閉まっている。大体どこのお店にも対応してもらえなくなった。CRAZYはしょんぼりしていたが、彼は素敵なバッグと出会ってしまった。お店に置いてあるもので、それを購入しようとしたら、やはり閉店時間を過ぎていると言われてしまった。しかし、彼にとってそのバッグとの出会いは運命的なものに等しく、簡単には勝負を降りなかった。この懇願というのか交渉というのかよくわからない直談判がうまくいき、売ってくれることになった。とここでまた問題が生じる。その店はクレカが非対応なのだ。つまり、CRAZYの持ち金では足りない。現金の入った財布を見せて、これでは買えないと駄々をこねたら、最終的には半額で売ってくれた。これが彼の会話術ということなのだろうか。お店を出るときはまるでおもちゃを買ってもらった子どものようだった。嬉しすぎてまたもや写真大会が始まった。しばらくは未知を通りすがるいろいろな国籍の旅人に自慢までしていた。よく海外旅行では知らない人にフレンドリーに話しかけられるということがあったりするようだが、実際に起きているこれがその一例なのだということだろう。まるで買ってもらったおもちゃを学校の皆に自慢する子どものようであった。まだ3kmある。本当に歩行でよかったのか。道中の綺麗な寺院にも寄り道しながら、へとへとな脚はただ前を目指すばかりであった。
 ここでまた、例の呪文が唱えられる。
「写真撮リマース」
もう嫌になってきた。ここまでペースを他人に乗っ取られることに嫌気がさしてしまい、僕はこれをもってCRAZYを置き去りにすることにした。お互いの歩きたいペースがあまりにも違いすぎる。呪文を無視して先に進むことにした。少し進めばCRAZYが点になるくらい距離ができていた。奴は相変わらず数歩歩いては写真を撮っているようである。
 エメラルド寺院はもう閉鎖していた。中には入れないので、外から概観を撮ることしかできない。折り返して帰る道中でまたCRAZYと合流した。その会話の一部始終がこちらである。(CRAZYのセリフは太字)
「なんでおいていったの?」
「君があまりにも遅すぎるからだ。」
「だって景色がこんなにきれいじゃないか。」
「暑くて耐え切れない。写真の頻度を減らしてほしいと頼んだはずだ。」
「Why?」
「君といるのは疲れる。自分勝手すぎる。」
「どこが自分勝手なの?」
身勝手さを自覚していない時点で、もう何を言っても無駄だと悟ってしまった。これを言い返せるだけの英語力は自分には無かったというのもある。思えば、英語の通訳者として連れてきたつもりが、なぜか自分が英語で話したりすることも多々あった。出発前の準備の時点で飛行機やホテルの予約にさんざん時間を取られてしまった。出発のギリギリまで予約していなかったため、金額が高くなってしまい、それでまた揉めたりもした。いろいろ手間のかかる問題児だった。挙句の果てにはホテルも、さらには帰りの飛行機までも勝手に違う便を取ってしまい、明日は一人で勝手に変えるようである。もう手に負えない。ここでまた彼とはお別れすることにした。以降は実質1人旅となる。皮肉にもCRAZYとのここまでの会話を通して、最低限何とかなる気がしていた。それに世の中には1初めから1人で海外に旅行する人も多い。それなら自分にだってできるはずだ。そう思って独り身になったら、疲れていたはずの足が異様に早く回るようになった。まるで離婚が成立して気が軽くなった独身貴族のようだ。これが自分に合った生き方なのかもしれない。新たな自分に出会えたような気分になり、また自分のできることが広がったような気分にもなり、心がすっきりした。

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