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【雑感】夫婦になるということ


「これ、君が好きそう」


わが家で良く使われるフレーズです。
私が妻に言うこともあれば、妻が私に言うこともあります。

必ずしも自分の趣味にあっているわけじゃない。
でもちょっと気になる。なぜならパートナーはきっとそれを好きだから。

結婚してしばらく経ったご夫婦なら、そういうものを見つけるときってたまにあると思います。例えば、

  • 街中を歩いていて、新しいカフェの黒板書きのメニューを見たとき

  • noteの記事を読み漁っているとき

  • ボーっとテレビを見ていたとき

  • サブスクの音楽サービスで楽曲をシャッフル再生していたとき

などなど。

でもこれって、考えてみるとちょっと不思議な現象です。

自分が好きなものではないのに、気になる。
しかも、「パートナーはこれを好きに違いない」というほぼ確信に近い気持ちがある。

本来はパートナーのアンテナに引っかかるべきものが、自分のアンテナにも引っかかるようになる感覚。

まるで、パートナーの目線と思考が自分の中にインストールされたみたいです。


そこまで考えたとき、「そもそも夫婦になるってそういうことなのかも」と思いました。

夫婦になるって、要は「二人が一緒になる」ということなのですが、普通そのイメージは「別々の人格の二人が、ひとつ屋根の下に暮らす」という感じだと思います。
でも、それだけじゃないのかも。

自分の中にパートナーの目線と思考を受け入れるという形で、自分の中で二人が一緒になる、ということなのかも。

私の中に妻の人格の一部が入り込み、妻の中にも私の人格の一部が入り込んでいる。

それが「夫婦になった状態」の本質なのかもしれません。


そのうち子どもの分の目線と思考も私の中に入ってくるのかな?


そんなことをふと思った週末でした。



ではまた!

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