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古典リメイク『レッド・レンズマン』3章-2

3章-2 キム

「でも、ここではもう……注目の的よ」

 レストラン中からの熱烈な視線を受けて、クリスさんは辟易としているようだ。ホテルの支配人が飛んできて、奥の別室をご利用下さいと提案する。

 結局、そのホテル内の、クリスさんが取っている部屋での会食になった。最高基地の首席補佐官にふさわしく、広々とした快適なスイートだ。豪華な料理が運ばれ、シャンパンの栓が抜かれる。

 しかし、ベスさんとアマンダさんがハートマークを飛ばしてリック先輩にかかりきりなので、ラウールとクリフはあてが外れた格好だった。二人とも、あわよくば、と期待していたらしいのだが。

「……俺らはしょせん、見習いの小僧だもんな……」

「大先輩には勝てないよ……」

 小さくぼやきながら、ひたすら料理を平らげるしかない。いいことだ。二人とも、たまには、しおれればいい。ぼくはクリスさんにまとわりつくのに忙しいから、他のことはどうでもいい。

「何かカクテルを作りましょうか。デザートをもっといかがですか?」

 と、慣れない奉仕を試みる。

「もう結構よ。これ以上は食べ過ぎになるわ」

「はあ、今の体型がちょうど理想的ですね。今日のドレスはまた、とてもお似合いです」

 ぼくが精一杯にこにこしても、クリスさんはそっけない。

「養成所では、女性の口説き方も教えるの?」

「いや、まさか……紳士のたしなみとして、ダンスくらいは習いますが」

「格闘技の腕前は、昼間、しっかり見せてもらったわ。さすがね」

 と言うのも、別に褒めているわけではなさそうだ。レンズマン候補生なら何でもできて当たり前、と思っているのだろう。年下の男には……というか、男全般に興味がないのだろうか。

 しかし、ぼくだって、つい昨日までは、女性に興味がなかったのだ。クリスさんが突然、劇的に変貌することだってあるだろう。

「それはそうと、昼間の坊やたちは、どうしたかしら」

 あ、よかった。クリスさんの方から、話題にしてくれた。ぼくは、ちらりと胸を見てしまったことなんか、全然、覚えてもいないふりをする。実際は、これから毎晩、夢に見るとしても。

「彼らはもう、故郷へ向かって旅立ちましたよ。伝手をたどって確認しました。もう心配ないと思います」

 候補生は訓練期間中、あちこちの基地や艦船に仮配属されて、そこで鍛えられるのだ。個人的な知り合いも、各地にできている。

「一生の夢が砕けたんだから、ショックなのは当然よ。立ち直る手助けが必要なのかも。そういう制度を作るべきかしらね。相談施設とか……」

 ああ、職務上の心配か。

「でも、候補生はみんな、プライドが高いから。そんな施設には、近寄らないと思いますよ」

 これまで、正直なところ、養成所から消えていった仲間たちのことまで、心配する余裕はなかった。自分が卒業生総代に決まったからこそ、こうして話題にできる。

「それが問題ね。レンズマンになれても、なれなくても……選抜されただけで、人生が狂うわ。罪作りな制度よ」

 いや、ぼくの人生は、別に狂っていないと思うのだが。クリスさんは、やはりレンズマンの存在が気に入らないのか。

 部屋の向こう側では、気を取り直したらしいラウールが、リック先輩に頼んでいる。

「あのう、一瞬だけ、レンズに触らせてもらってもいいですか?」

 彼はお坊ちゃま顔をした甘いハンサムだが、実は剛胆である。迂闊に触れれば気絶、強引に身に付ければ死ぬと言われているレンズに、興味津々らしい。どうせもうじき、自分のレンズをもらえるというのに。

「いいとも、試してみたまえ」

 大先輩に快諾してもらったラウールは、おずおず手を伸ばし、人差し指の先だけで、先輩の手首に輝くレンズの表面に軽く触れた。その途端、白い光が弾け、彼は感電したかのように飛び退る。

「うわあ、拒否られた!! レンズが生きてる!!」

 クリフは慄然とした様子だったが、リック先輩は軽く笑った。馴れていることなのか、女性たちも笑う。

「男の子って、試してみたがるのよね」

「実験精神は立派だわ」

 この人たちから見れば、ぼくらはまだ〝男の子〟か。しかし、これから経験を積んで、ものに動じない大人になればいいことだ。

 レンズをもらって、数年、うまく生き延びられたら、その時はきっと……人々から仰ぎ見られるような男になっている。そうすれば、クリスさんだって、少しは見直してくれるのではないか。

「あのう、クリスさん、明日のご予定は?」

 ぼくが尋ねると、深い金茶色の瞳が、まつげの影を落としてこちらを見る。

「どういう意味?」

 背筋がぞくりとする。視線だけでぼくを吊り上げ、固定し、串刺しにできる人だ。いつかこの目に、親愛の情が浮かぶことがあるのだろうか。

「ええと、つまり、このメンバーでドライブにでも……それとも、クルージングの方がいいでしょうか」

 最初は、グループデートの方がいい気がする。というか、一対一のデートなんて、とても了解してもらえないだろう。

「そうね……」

 クリスさん自身は気乗りしないようだったが、ベスさんとアマンダさんが左右から勧めてくれた。

「どこへでも、行くに決まってるじゃないの!! そのためのバカンスなんだから!!」

「あなたも行けるでしょう、リック?」

 やはり、本命はそっちか。先輩は苦笑した。

「いや……ぼくは用があるので。今夜は楽しかった。そろそろ失礼するよ」

「ええっ、もう!?」

 美女二人ははっきりと落胆し、それがラウールとクリフを傷つけた。まあ、たまにはいい薬だ。世間の女性がみんな、自分に惚れるなどと思わない方がいい。いくらレンズマンになっても、だ。

 クリスさんだけが、弟を見送りにエレベーターホールまで出た。ぼくは少し離れて戸口から様子を見ていたが、クリスさんが声を低めて、長身の弟に言うのはわかった。

「こんな所に来る暇があったら、ベルに会いに行きなさい。これ以上、あの子を泣かせないで」

 そうか、何かで聞いたことがある。独立レンズマンとラ・べルヌ・ソーンダイク博士との、なかなか進展しないロマンスのことを。

 だが、長身のレンズマンはにこりともしなかった。さっきまでぼくらに見せていた物わかりのいい顔とは、百八十度違う厳しい顔つきだ。

「個人的には会わないよ。会う必要もない」

 クリスさんが数瞬、絶句した。

「だけど、それじゃ……」

「前は子供だったから、親切にした。それだけだ」

 内心、戦慄した。これが、本当のリック・マクドゥガルなのか。女は彼の弱点にならない。誰からも、そう思われるように振る舞っている。たった一人の姉にさえ、本心は見せないのだ。

「リック……」

「ぼくのことより、姉さんが結婚しなよ」

 彼は厳しい顔から一転して、夏の青空のような笑顔になった。だが、それもまた仮面にすぎないとわかる。彼は任務のためなら、たとえ姉だって見捨てるだろう。彼自身の心さえ、とうに捨てているのだから。

 それがレンズマンなのか? ぼくだったら、そんな人生に耐えられるか? 想像しただけで、孤独に凍りつきそうだ……

「年下でもいいじゃないか。口説いてもらえるうちが花だよ。キムボール・キニスンでなくてもいいから、いい男を捕まえて子供を生めばいい」

 慌てて身を隠したが、もちろんリック先輩には、ぼくの動作など丸見えだろう。レンズマンは常に、周囲の人間の動きや感情を把握していると言われる。それが本当かどうかは、自分が実際にレンズをもらったら、初めてわかるのだろう。

(いや、クリスさんの相手は、ぼくでないと困るんですけど……ぼくを応援して下さいよ)

 と先輩に心で送信した、つもりになった。どうせ来週には、レンズをもらえるのだ。そうしたら大先輩とも、直接、心と心で遣り取りできるようになるだろう。

 孤高の戦士は、エレベーターで地上に降りていった。きっと、新たな仕事に向かうのだろう。

 ぼくだったら……レンズをもらっても、好きな女性を遠ざけたりしない。せっかく、クリスさんと出会ったのではないか。

 父だって、母と結婚した。ぼくを儲けた。好きな人の元に戻るために、生きる努力をすればいいのだ。

 ***

 レンズマン養成所、ウェントワース・ホール。

 砂漠気候の荒野に広大な施設が広がり、大勢の候補生が厳しい教練の日々を過ごしている。マラソン、水泳、射撃、格闘術、戦闘艦の指揮や、他種族に関する講義……宇宙船で辺鄙な航路を飛ぶ実習もあるし、あちこちの基地で下働きをする期間もある。

 合間に試験があり、合格点に達しなければ、そこで失格だ。こっそりと泣く者があり、黙って立ち去る者がいる。残った者には、去る者のことなど気にかけるゆとりはない。明日には、自分も退学を宣告されるかもしれないのだ。

 それでも、百名にまで絞られた最上級学年には、弛緩した雰囲気が広がっていた。もう、試練の時期は終わったのだ。いま残っている者は、レンズマンになれる。話題はもっぱら、来週の卒業式のこと。

「うちの妹がさ、誰か紹介しろってうるさくて。たった一日のために、ドレスを何十着も用意してるぜ」

「誰か頼むよ。うちの姉貴と踊ってやってくれ。でないと、ぼくがいびられる」

「誰でもいいなら、俺でもいいか?」

「助かるよ。俺そっくりの不細工な姉だけど」

「まさか、それほどひどくはないだろ?」

「おい、喧嘩売ってるのか」

 食堂のあちこちで、冗談交じりの平和な会話が飛び交っている。あと数日で、五年を共に暮らした仲間たちともお別れだ。任官すれば、みんな遠い場所へ旅立つことになる。ボスコーンと戦うか、麻薬組織を追うか。それとも、辺鄙な星系に、新たな基地の建設をするか。

「よう、キム。おまえんとこに姉さんか妹はいるか?」

「悪いね。うちは母だけだよ」

 お母さんはもうそろそろ家を出て、この地球へ向かう頃だ。

『あなたなら大丈夫と思っていたけれど、とうとう、やり遂げたわね。おめでとう』

 最終試験の報告をした時、誇らしさと、寂しさの混じる笑顔でそう言われた。ぼくが遠い宇宙で死ぬことを、きっと内心、覚悟している。それでも、候補生に選ばれた時は、笑って家を送り出してくれた。なるだけ長く生き延びて、孫を抱いてもらうのが、ぼくの責務だ。

 もし、卒業式にクリスさんが来てくれたら、母さんに紹介できるかもしれない……今はまだ、遠い憧れの人にすぎないが。

 ところが、年輩の事務職員がぼくを呼び止めた。

「キムボール・キニスン候補生。ホーヘンドルフ校長がお呼びです。五分以内に校長室に出頭して下さい」

 もう何十年も、同じ呼びかけを繰り返してきただろう人だ。何の感情も籠もっていない。ざわめいていた食堂が、一瞬、墓場のように静まり返った。

 ぼくも信じられない思いで、立ち尽くす。候補生が校長室に呼ばれる理由は、ただ一つしかないからだ。

 ――退学の宣告。

 いや、まさか。ぼくはもう、卒業式で総代を務めることに決まっている。行列の先頭に立つのだし、スピーチ原稿まで作ってある。きっと、式次第の変更とか何かだ。

 だが、みんなの強張った顔、ありえない静けさが、ぼくの不吉な予感を強化していた。ラウールとクリフが、真っ青になって飛んでくる。

「キム、間違いない。あいつらが逆恨みで、あることないこと密告したんだ」

「あの時、逮捕しなかったのが悪かったのかもしれない」

 酔ってクリスさんたちを襲った、レイフたちのことか。

 だが、ホーヘンドルフ校長は歴戦のレンズマンである。そうしようと思えば、誰の心でも簡単に読めるのだ。何が起ころうと、事実は隠せない。それに、一緒にいたラウールもクリフも呼ばれていないではないか。あの事件は、関係ない。

「審査は公平だよ。それは、歴史が証明してる。ぼくにはきっと、何かが足りなかったんだ」

 レンズマンには絶対必要な、何かが。

 言いながらも頭から血が引き、足が震えてきたが、必死で平静な顔を保った。これまで退学になった仲間たちは、みな、この苦痛に耐えたではないか。少なくとも、この養成所の敷地を出るまでは。

   『レッド・レンズマン』3章-3に続く

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