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古典リメイク『レッド・レンズマン』7章-2

7章-2 キム

 デッサが、恒例の休暇を取る時期になった。毎年、自分の誕生日の前後には、離れ小島にある別荘で静かに過ごすのだそうだ。意外だった。社交界の女王らしく、大勢を呼んで、華やかなパーティを開くものかと思っていたのだが。

「そういうのは、全部仕事がらみよ。年に一度くらい、静かな日々を過ごしたいわ。キム、あなたも休暇を取って、愛しい女神さまに会いに行ったらどう?」

 その考えにはそそられたが、それではスパイの任務がおろそかになる。手柄を立てないことには、永遠に解放されないかもしれない、という気がしてきた。

 ぼくはまだ一度も、監視役のレンズマンたちに連絡をしていないので(報告するようなことがないからだ!!)、本当に監視されているのか、それとも、単に一人で放置されているだけなのか、それすらもわからない。

 ただ、行きがかり上、やむなく、グレー・レンズマンの約束を信じているだけだ。ぼくが手柄を立てたら、クリスさんとの仲を取り持ってもらえると。

 そこで、静かにしているから、同行させてくれるようデッサに頼んだ。結局、本社の屋上から小型機で飛び立ったのは、女三人と、使い走りのぼくというメンバーである。

 首都のある大陸から二時間ほど飛んだところで、亜熱帯の緑の島に降り立った。

 周囲はどこまでも青い海。はるか彼方に、人のいない小島が点在するだけ。中央部の山地から、小川が幾筋も流れてくる。その周囲には鳥や蝶が飛び、鮮やかな花々が咲きこぼれている。まさしく、南洋の楽園。

 この島にある建物は、デッサの別荘一軒のみだった。緑の木々と、あでやかな花々に囲まれた、上品な建物だ。背後は山に連なる斜面で、前面はすぐに海。テラスに立つと、広大な海原の絶景が見渡せる。

(こんな所で、クリスさんとバカンスできたらなあ)

 と、しばしうっとりしたが、現実はそれどころではない。何か突き止めない限り、ずっと使い走りの身だ。

「さあ、しばらく、のんびりしましょう。坊や、あなたも好きに過ごしていいのよ」

 デッサはそう言い、シャンタルとユエンもそれぞれの部屋に落ち着いた。毎年、来ているので、彼女たちの部屋は決まっているらしい。ぼくも、海の見えるいい部屋を割り当ててもらい、一息つく。

 本当に、穏やかなバカンスだった。彼女たちは海辺を散策したり、プールで泳いだり、好きな料理を作ったり、本を読んだりして、それぞれ休暇を満喫している。

 使用人はいず、アンドロイドの召使が動くだけだから、邸内は静かなものだ。ぼくが召使として働かされるのだろうと覚悟していたが、そうでもない。女性たちは、自分のことは自分でしている。

 ぼくは空腹になったら食料庫からランチセットでもディナーセットでも出して、温めればいい。ワインもウィスキーも豊富にあり、好きに飲み食いしていいと言われている。

(彼女たちも、疲れていたんだな。本当に、ただの骨休めなんだ)

 そう納得し、ぼくも静かな休日を楽しむふりはしていたが、内心では、何か探れないものかと焦り始めていた。

 この調子では、何も成果がないまま、五年、十年が経ってしまうのではないか。そして、忙しいリック先輩は、ぼくのことなど忘れ去ってしまうかも。何十年もしてから、

(ああ、そんな任務を押し付けたっけ。あいつ、まだデスプレーンズ運輸にいたのか)

 などということになったら、泣くに泣けない……

 そこで、

「お茶を淹れましょうか。それとも、カクテルをお持ちしましょうか。背中に日焼け止めを塗りますか?」

 と、小姓のようにちまちま動きながら、デッサにまとわりつくことにした。彼女から子供時代の思い出や、学生時代の交友関係など、何でもいいから聞き出そうとしたのだ。もし彼女がボスコーンとつながっているのなら、最初の接点はどこにあるのか。

 しかし、疑われずに話を聞き出すなんて、そんな高等技術はぼくにはなかった。というより、そもそも、ぼくは、グレー・レンズマンから押し付けられた〝お荷物〟に過ぎないのだ。いつかデッサが彼と再会した時、言い訳できる程度に扱っておけばいい、というだけのこと。

「バカンスの時は、バカンスを楽しむものよ。ここでは、秘書の仕事はお忘れなさいな」

 デッサはぼくを追い払う仕草をすると、プールサイドのデッキチェアから起き上がり、白い砂浜を通って、海に泳ぎに行ってしまった。

(つきまとうのは、無理か……)

 水着姿でエメラルド色の波に入っていく時、光をきらりと弾いたのは、愛用の腕輪だ。

 白い肌と銀白色の髪に合う、プラチナ製の腕輪。高価そうな宝石が、びっしりと埋め込まれている。ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルド、翡翠……もちろん安い合成石ではなく、希少な天然石ばかり。あの宝石一つで、屋敷が一つ建つのではないだろうか。

 そういえば、ネックレスやイヤリングは毎日、違うものを身に付けているが、あの腕輪だけは常に手首にあるな……

 ふと、連想が生まれた。

 レンズマンの腕輪と似ている。

 人類のレンズマンは、大抵、レンズを腕輪に嵌め込んでいる。異星種族のレンズマンの場合には、それが首輪だったり、額飾りだったり、前足の足環だったりするのだが……

 自分の連想を、自分で笑った。あの腕輪は、何かの思い出の品なのかもしれない。初恋の男性にもらったとか。亡くなった夫の贈り物だとか。あるいは、幸運のお守りだとか。

 今でもまだ、ぼくには女性のことがよくわからない。ただ、デッサの場合、男性との親密な交際は一切ない。パーティや会合で有力男性に微笑んでみせても、思わせぶりに手を握ってみても、それは仕事を円滑に運ぶための潤滑油だ。

 派手な外見とは裏腹に、デッサはきわめてストイックな日常を送っているといえる。もちろん、怪しい動きなんてないし……

 リック先輩、何か深読みしすぎて、狙いを間違っているんじゃないだろうか。思考波スクリーンを常用している有力者は、他にも大勢いるのだから。

 シャンタルとユエンだって、それぞれ思考波スクリーンを身に付けている。単に、男性レンズマンに心を覗かれたくないという、女らしい恥じらいからかもしれないだろう……

 夜は、ぼくは自分に与えられた客室で本を読んだり、ニュースを見たり、クリスさんに手紙を書いたりして過ごしているが、女性たちは、デッサの部屋で遅くまで飲んでいることが多かった。

 それから、それだけではないことも、薄々わかってきた。翌朝の彼女たちの、しどけない様子、内輪の目配せ、気怠い雰囲気……

 鈍いぼくでも、悟らざるを得ない。彼女たちは、三人でたっぷり〝楽しんでいる〟のだ。親密なのは、職務の上だけではないらしい。

 なるほど、彼女たちのうち、誰一人として、男を必要としないわけだ。公私共に、三人で満ち足りているなら、会社のためにも、今の状態を保つことが一番望ましいのだろう。シャンタルとユエンは、デッサに全てを捧げているのだ。

 それにしては、よく、ぼくをこの島に連れてきてくれたものだと思うが……まあ、男ではなくて、小僧、という位置付けなのだろうな。デッサはリック先輩に会った時、

『あなたが推薦してくれた坊やは、この通り、特別扱いして差し上げているわよ』

 と言いたいのだ……

 ある日、シャンタルとユエンが朝寝坊している時刻、ぼくはプールサイドにデッサの姿を見た。

 涼しげな水色のサンドレス姿で、日除けの下のデッキチェアに寝そべっている。焦るのはよくないとわかっているが、スパイとしては、どんな機会でも利用したい。

 早く任務を片付け、クリスさんに会える場所に行きたいのだ。こうしている間にも、他の男が彼女に近づいているかもしれないではないか。

「お邪魔していいですか」

 と声をかけて近づいたら、飲み物を持ってくるよう言われた。言われたハーブティを用意して運んでいくと、彼女は上体を起こしてにやりすとる。

「クラリッサ・マクドゥガルとは、どう?」

 よく知っているくせに、聞くんだからなあ。

「手紙は毎週、出していますが、返事は最初の一通だけです。たぶん、読まれずに捨てられているんじゃないかと」

「可哀想に。まだあきらめないの?」

「はあ。他の女性には興味が持てませんし」

「冷酷な姉弟ねえ」

 自嘲の微笑みだった。ぼくよりこの人の方が、望みがない点では上だろう。

「いつから、リック先輩のことがお好きなんですか。もしかして、一目惚れ?」

 少し離れた位置に控えて尋ねたら、細い眉をひそめられた。

「なぜ、そんな風に思うの?」

 ぼくだって、まるきり鈍感なわけではない。

「最初の日、あなたと先輩がダンスする姿を見た時に、すぐわかりましたよ。あの時のあなたは、燃え上がる松明みたいでした」

 するとデッサは苦笑してから、疲れたように視線を離した。片膝を抱え、海を見ているようだが、実は何も見ていないのだろう。

「誰にでも、わかってしまうのねえ。それじゃ、リックも、わかっていて、あの態度なのね」

「たぶん……」

「ああ、馬鹿馬鹿しい」

 デッサは、自棄のような笑顔になって振り向いた。

「ねえ、あなたとわたしが深い仲になったら、どうかしら? あの人は、まずいと思うかしら」

「スパイの役に立つなら、それでいいと思うんじゃありませんか」

 するとデッサは、けらけらと笑った。女っぽいかと思うと、不意に、少女に戻る時がある。

「あなたも、とぼけた坊やねえ。たいした余裕だわ。レンズマン候補生は、一生そうなのかしら。たとえ訓練所を追い出されても」

 以前なら、傷口に塩をすり込まれたように感じただろう。しかし、もう一般人としての暮らしに馴染んできて、かつてのような高い緊張は忘れている。

「他の候補生のことは知りません。ぼく自身は、こうなって幸運ですよ。こんな呑気な暮らしができるなんて、思わなかった」

「下っ端秘書の暮らしでも?」

「地獄の訓練に較べたら、天国です。ナイフ一本でワニと格闘して、肉を食ったこともありますよ。よく知らない惑星に放り出されて、地元民と意志の疎通ができず、水を補充できるまで何日さすらったか……ミイラになるかと思いました」

 それもこれも、レンズマンになれるという夢があればこそ、耐えられた。今はもう、前世のようだ。

「じゃあ、一般市民になれて、満足なのね。あとは、クラリッサ・マクドゥガルと結婚できれば完璧?」

「クリスさんを追いかけられるだけで、結構幸せです。誰かを好きになれるのは、楽しいことですから」

 夜、眠れない時などは、色々と思い出して、苦しいこともあるが。

「でも、わたしのことは、崇拝してくれないのね」

 と、やや拗ねた口ぶりで言われた。

「尊敬してますよ。企業家として。それに、素晴らしい美人だし。毎日、目の保養です」

 これは本当のことだから、口にしても胸は痛まない。

「本当に、そう思う?」

「もちろん。ご自分が素晴らしい女性であることは、ご自分でご存じでしょう?」

「でも、リックには……」

 つぶやきかけて、デッサは苦笑した。改めて、ぼくに視線を据える。アクアマリンのような瞳に、ぼくの顔が映った。グレー・レンズマンなら精悍な狼かもしれないが、ぼくは子犬程度の代物だ。

「じゃあ、こっちへ来て。欲しいものが手に入らない、可哀想な女を、慰めてちょうだい……」

 デッサは膝を立て、ドレスの隙間から太腿をちらつかせた。これは、迷う。さすがに、そこまでの覚悟はしていない。後でクリスさんに知られたら、軽蔑されるに決まっている。

 だが、しかし、デッサに食い込める貴重な機会なのだとすれば……誘惑に乗っても、今より事態が悪くなることはないだろうし……それとも、ぼくは洗脳されかけているのかな?

 ためらいながら、デッキチェアに近づいた。彼女はしなやかに立ってきて、ぼくの腰に手をかけてくる。そして、悪戯な光を浮かべた瞳で見上げてくる。

「さあ、坊や、あなたも男でしょ? ここから、どうするつもり?」

 確かに、甘い香りのする美女で、ぼくの位置からは、深い胸の谷間がまともに覗き込める。そそられないといったら、嘘だ。しかし、この人が欲しているのはリック・マクドゥガルであって、ぼくはただ、お粗末な代用品にすぎないとわかっている……それでも……それでも……

 その時、やすりでこすられたような不快感が生じた。思わず皮膚が縮み、全身で身構えてしまう。あらゆる訓練が瞬時に甦り、神経が冴え渡る。

 これは……精神接触だ。誰かが、ぼくの心に触れている。デッサではない。もっと異質な精神の触手。ざらざらして、不愉快な感触だ。心が削られ、ひび割れ、そこから酸を注ぎ込まれるかのような。

 訓練生時代、本物のレンズマンから心の接触を受けた時とは、まるで違う。あれは友好的接触だったが、これは……これは侵入だ。誰かが、ぼくの心に細工をしようとしている。ぼくの記憶、ぼくの意志を捻じ曲げ、作り変えようとしているのだ。

 しかも、ぼくは今、デッサの身につけた思考波スクリーンの有効範囲内にいる。なのに、どこかから思考波が届くとは……!?

 不快感の源を、ぼくは本能的に察知したに違いない。ほとんど無意識のうちに、彼女の左腕にはまっている、プラチナの腕輪の下に指を入れていた。ちょうど、大きな青紫の宝石が嵌まっている下側に。

 そして、その瞬間、電撃のようなショックを受けた。細胞が破裂するかのような苦痛と恐怖。

 ――石が、ぼくを拒絶している!!

 反射的に飛び退り、プールサイドを走って思考波スクリーンの有効範囲外に出てから、凍りついたようなデッサと水面越しに視線を合わせて悟った――これは、レンズなのだと。

 レンズは常に彼女の腕の皮膚に触れるよう、腕輪に嵌められている。表面には被膜か何かがかけられて、本来の輝きを抑えてあるに違いない。だが、裏側はレンズがむき出しになっていて、持ち主との間に回路を形成している。その回路を、一瞬だけ、ぼくが遮ったのだ。

 おかげではっきりした。レンズの向こうに誰かがいて、その誰かがデッサを経て、ぼくの心に侵入しようとした……人間ではない。非人類的な誰かだ。しかし、このレンズ自体はデッサのもの――彼女の生命に同調する、擬似生命だ。

 意味がわからない。人類の女性が、レンズマンになったことはないはずだ。そんなことが可能なら、真っ先にクリスさんがレンズを手にしているだろう。

 思考が先に進む前に、凄まじい衝撃が来た。ぼくは倒れ、のたうち、それから硬直した。息ができない。指も動かせない。

 肉体ではなく、精神が貫かれる――破壊される――これが、講義で聞いていた精神攻撃というものなのか!!

   『レッド・レンズマン』8章に続く

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