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【Team POCO!の素顔】vol.3 山本千聖

私たち POCO! は、入院生活を送っているこどもたちの療養環境・療養体験を変えることに取り組む入院中の子どもたちに特化した遊びのブランドです。
「ベッドの上から冒険を始めよう」を合言葉に、創造力・好奇心を引き出す特別な遊びという魔法を届けています!

こんにちは~!今日も dream writer✏️🌈 を務めるは、たなかのぶやです!(通称dream writerとは、POCO!の世界をちょっぴり皆んなにお裾分けするヒトです!)

インタビューという名の長めの雑談を通してメンバーのすてきな中身をみんなに知ってもらおう!というこの企画。今回はそのメンバー紹介第3弾!

今日のお話を聞いていくのは......ちーたんです!!

POCO!メンバー 山本 千聖(ちーたん)

POCO!メンバー 山本 千聖(ちーたん)
2002年生まれ。高校時代と大学時代の2度にわたる闘病を経験し、多くの人から受けた恩を次は他の人に送りたいと思うようになる。
命をつなぐことに貢献したいとの思いで日本骨髄バンクユースアンバサダーとして活動を行い、大学では骨髄バンク啓発学生団体「つなぐ」の代表を務め、若年層への啓発に励む。
また、入院中のこどもが夢を諦めている姿を目の当たりにし、「こどもが闘病中もワクワクできる社会を創りたい」と思いChild Play Lab.にジョイン。闘病経験で培った感性と公認会計士試験合格者としての会計知識を活かし、闘病中も将来への希望を抱けるようなエネルギーに溢れたこどもが増える未来を目指す。好きなことは、旅行と犬、ご飯!

慶應義塾大学総合政策学部在学中。

POCO!歴もまゆたんとの付き合いもダントツでメンバー最長のちーたん。
まさにPOCO!の原点ともいうべきちーたんの魅力について、Team POCO!の空気感とともにたくさんお届けできたらいいなと思います!


1. 高校時代のちーたんと闘病経験

・ ちーたんと闘病経験

ーーちーたんって大学で普段は何してるんやっけ?

私は慶應義塾大学の3.5年生で、総合政策学部っていうなんでも勉強できちゃう学部にいます。それで普段は興味のあるヘルス系とか経営、組織学とかの勉強をしてるよ。
それと、「骨髄バンクのユースアンバサダー」っていうドナー登録説明員としての活動と、学生団体で骨髄バンクの啓発活動もやってるよ。3.5年生って言ったのは、病気で半年休学したから今年の秋卒業ってこと。

・ 留学中に突如崩れた平穏

ーー病気になったから半年休学してるんやね。たくさん治療がんばったと思うけど、今はどんな感じなの?大丈夫?

うん今は大丈夫だよ。色んな活動もできてるしね。治療経過を言っておくと、最初は高校1年生の冬に白血病を発症して一通り治療を終えてたんだけど、大学1年生の冬にもう一度治療することになって造血幹細胞移植っていう大きな治療をしました。
その造血幹細胞移植っていうのに関わるのが骨髄バンクなんだけど、その治療が終わったのが2022年の夏くらいだね。今もくすりは飲んでるけど、こんな感じで元気にやってるよ。

ーーありがとう。初発の時は日本におらんかったとか言いよったよね?

そうなんよ。高校1年生の夏からアメリカに留学に行ってたんだけど、冬に留学先で白血病って診断されたの。
当時は、病名自体もなんかよく分かんなくて。でもお医者さんとか周りの人の喋る雰囲気とかから結構深刻なんだなって事はちょっと感じてた。そしたら「6~8ヶ月は学校に通えません」って言われて。それにかなりショックを受けた

アメリカの病院でパシャリ
留学先のみんなが慣れない中千羽鶴を折ってくれた

病気になったことより学校に通えないことへの衝撃が大きかったの。学校に通うということが当たり前すぎて、日常すぎて。それがなくなったらどうなるんだろうとか、私の人生これで終わり?みたいな感じで、希望を失った。実際に留学も途中で止めて、治療のために帰国することになったしね。

ーーそりゃショックよね...。簡単に共感していいことじゃないけど。高校生やったら留年する人もおったりするもんね。

そうそう。院内学級への転籍って大変なんだよね。うちの学校でも苦労してくれてた。結構大変だったみたいだけど、元担任の先生が尽力してくれたの。「前例がなければ作ればいい」って言って。そのおかげで無事留年せずに卒業できたんよ。

日本での院内学級で

ーーへええよかった。そこら辺って学校によってだいぶ環境が違って境遇を左右されると思うけん、すてきな環境だったんやね。


・ 治療を乗り越え考えたこと、進学先

ーーその頃からPOCO!みたいな活動をしたいって思ってたと?

んーとね。自分が経験したってのも大きくて、大学生でもう一度入院するぐらいまでは「闘病中の高校生の支援」に興味があったの。
院内学級に転籍できない人もいる、そもそも院内学級がない病院もあるっていう現状を知って。「自分は恵まれてたんだな」って思ったし、「そうじゃない人のために何かしたい」ってすごく思った。それこそ、慶應の受験の時は「闘病中の高校生の学習支援制度の拡充」とかを志望動機に書いてたんだよ。

ーー大学前からそういうことをしたいって気持ちがあったんや。それでいろいろ学べる慶應に進学したって感じ?

そうだね。でも実は進学先に関してはめっちゃ迷ったんだよね。(笑)
上智大学って分かる?そこにオールイングリッシュで授業する国際教養学部ってところがあるんよね。そこに行くか、慶應に行くかの2択で永遠に迷ってた。

留学に関しても途中帰国してて未練があったり、もっと英語喋れるようになりたいとかおもうことも色々あったし。その一方、慶應SFCは楽しそうだなとか、進路の幅広がりそうだなとか思ったり。
色んな人に相談もしたんだよ(笑)でも迷って迷って、「結局英語は手段でしかないから、目的にしちゃいけないかな」って思って慶應に決めたの。

ーーすごい、俺なんか大学とか何も考えずに選んでたわ、恥ずかしい(笑)

2. まゆたんと出逢い、POCO!ができるまで

・ 出逢い、支え、お互いにとって大きな存在へ

ーーあれ、まゆたんとのはじめましてはいつなんやっけ?付き合いが長いとは聞いてたけど。

私、入学してすぐから「すずかんゼミ」っていう、コミュニティに入ってて。そこでは、社会で大切なことってなんだろう?みたいなことに関して、みんなで相談し合ったりしながら学ぶんだけど、まゆたんとはそこでおんなじ班だったの。それがはじめましてだね。

興味のある分野が近くて親近感みたいなのは感じてた。こういう病児支援ってニッチな分野だと思ってたから。

ーーほええ。その後はどんな感じの関係だったの?

おんなじ班だったし、一年生の頃から交流はあったの。それでちょっとずつ仲良くなっていった。
今までプロジェクト一緒にやろう!ってなって、立ち上げようとしては結局上手くいかないっていうのを何度かしてた時期もあったの。その時は病児支援を今とは違う視点とか文脈でやってたよ。

誕生日が近くて一緒にお祝いしてもらうまゆちー

・ 北海道の田舎と東京の病室をつないだ絆

そんなこんなの付き合いだったんだけど、私は大学2年でもう一度長期入院しなきゃいけなくなって。当然ではあるけど、結構その時期はメンタルが落ちてたの。その時ちょうどまゆたんは、コミュニティナースとして北海道の田舎に1年近く移住してて、結構苦労してたみたいで。(詳しくはまゆたん紹介記事にて…!!)

そんな感じで二人ともメンタルが落ちてた頃にいつも電話してたの。私はほとんどまゆたんの話を聞いてるだけだったけどね(笑)でも、私の中ではめちゃくちゃこのまゆたんとの電話に励まされてた。その時は闘病生活からちょっと逃げられる、病気のことを考えないで居られる時間みたいな。すごくメンタル回復させてもらってた(笑)

北海道⇔病室で互いに支え合う

そんな感じで支えてもらいつつ退院できた。その後は、私は公認会計士を目指すからゼミに行かなくなって会わなくなったんだけど。けどまゆたんにずっと感謝の気持ちはあったんだよね。

・ POCO!原型のアイデアに誘われる

で、会計士試験がやっと終わって、何しようって思ってた時にちょうどまゆたんからご飯誘われて。喜んで行ったら、「こんなことしたいんだよね」ってPOCO!の話をされたんよね。その時は名前すらもなかったけど。

プロジェクトが上手くいかないことも何度かあって、それでも「どっかでまた絶対やろうね」とはずっとまゆたんと話してた。だから、先はどうなるかは分からないけどまた一緒にできるってことが嬉しくて、「一緒にやる」って即答したよ。
しかも内容もまさに私がやりたかったことだったし、「私が見たい子どものワクワクした姿を実現する手段がこれなんだ」て思った。一緒にやろうってなった経緯はそんな感じかな。これが去年の夏だから、23年8月のことだよ。

それが今もこうして続いてるから、「まゆたん、本当に納得できて最後までやり抜きたいって思えることをついに見つけたんだ」って思った(笑)プロジェクトが途中で終了するたびにさみしい気持ちがあったから今本当に嬉しいよ!

当時のふたり、にこにこ

3. 二度の闘病生活を通して、いま思うこと

・ 病児と一緒に日々過ごした中で受けた衝撃

ーーあれ、その時には「高校生の支援」って気持ちはどうなってたの?ていうか、今も「一番助けたいのは高校生」って気持ちがあったりする?

ん-、今は高校生だけじゃなくて子ども全般って気持ちが強いかな。二度目の治療期間で小中学生たちと過ごしたことでそう思うようになったと思う。
何というかそこで出会った子どもたちがすごく大人びてたんだよね。

私のいた病棟は、入退院を繰り返して年単位で治療してる子もいっぱいいるようなところだった。2回目の治療期間中は、病棟にいる小さい子たちの集団に混ざって毎日遊んでたんだよね。一度目の治療時は、自分のことで精いっぱいだったし毎日院内学級に通ってたし、そんなことはなかったんだけど。
とある日、そこにちょっと入院して手術すれば完治するみたいな子が入院してきたの。みんなで仲良くなったんだけど、その子が退院前に「僕は絶対治るからもう戻ってはこないんだよ。だからみんなとはもう会えなくなっちゃう」って言ってたの。それに対して他の子たちが「そんなことないかもよ。そんなの分かんないよ。」って答えてた。

それを聞いて「この子たちは人生を達観してる。いやむしろ、自身が置かれた現実からそうせざるを得なくなっちゃったんだ」って思って。子どもなのにキラキラしてなかった。治らない未来があるということを理解して生きてることがものすごく悲しかった。

院内の中庭に浮かぶシャボン玉

そんな子たちも普段はすごく子どもらしく楽しそうに遊んでる。でもその一方そんな一面も持っていて。そんな経験が、POCO!に関わってる一番の理由になっている気がする。子どもがワクワク・キラキラしている姿を見たいって強く思うよ。

実体験とそれを間近で見てきたから、ちーたんの想いや紡ぐ言葉にはぐっと力を感じるな。
こうやって一人一人のメンバーがこうやって自分の想いを最大限に重ねて事業に臨んでいるのが、改めてPOCO!の魅力だなあとしみじみ思います。


・ 自分が救われたから、次は自分が誰かを救いたい。骨髄バンクでの活動

ーーそうそう。2回目の長期治療中だった時に、骨髄バンクの事にも興味を持ち始めたってきいたんやけど。

そう。そのまゆたんといつも電話してた時期にね。
私が経験した移植(造血幹細胞移植)ってのは、自分のがん細胞に侵された血を他人の血と交換することによって完治を目指すって感じの治療なの。だから、そのために血をあげてもいいよっていうドナーさんが必要なのね、献血と同じような感じで。そのドナーさんを集めたりしてるのが骨髄バンクっていうものなの。

でも血をいただくには色んな条件があって、その条件に一致するドナーさんを探すのって一般的にも結構大変で時間もかかるの。
それは私も例外じゃなくて。ドナーさん探しで治療待機中の時期があったんだけど、その時結構不安だったの。まあそれによって自分のいのちが左右されると言っても過言じゃないからね。
そんな時にTwitterとかでいろいろ見てた時に、同じ大学で骨髄バンクの啓発をやってる団体を見つけたの。しかもおんなじキャンパスだった、運命じゃ~んって思った。

ーーそれって意図して探してたの?それともたまたま?

あ~。そう言われると探してた気がするね。そのドナー探しの待機期間に「ドナーが増えることって大事なんだな」って身をもって知ったからだと思う。悲しくなったり怖くなったりするから、あんまりネットの情報とかは見ないようにはしてたんだけどね。

そこから活動に参加するようになった。活動としては、大学内に献血カーが来た時に「ドナーの登録も一緒にしませんか?」って呼びかけたりしてるの。それと去年は映画の上映会もしたよ。白血病経験者の俳優の方が企画から主演までしてる映画があるんだけど、上映会とその俳優さんとのトークイベントをしたよ。

ーー何というか、自分が大変だったのに人を助けたいって気持ちになれるのほんとにすごいよね。

ありがとう(笑)でもそんなことないよ。自分が救われた、っていうことは誰かのおかげなわけじゃん?だから今度は自分が誰かを救いたいなって気持ちになった!

ーー今のなんかすごくドキドキしたんやけど。そう思うのが当たり前みたいに言うけど凄いことやと思うよ、ほんとに(笑)


・ 会計士の道と将来の夢

ーーずっと聞いてて思ったけど、向上心というか、在り方がすごくすてきよね。将来はどうなりたいとかあるの?

ありがとう。ずっと、何者かになりたいんだろうね(笑)
将来の話をすると、話を聞いてアドバイスするっていう仕事に結構憧れがあって。「人の足りないところを補って夢の実現をサポートする」っていうことに魅力を感じるの。両親が税理士で、経営者に感謝されてる姿を見てきた影響があるんだけど。

それと、仕事をお金を稼ぐ手段ではなくて、自分の大事にしていることを実現できたり、その価値を提供できるための手段にできる人になりたいなともずっと思ってて。そんな感じで悩んだ結果、両親の勧めもあって会計士試験を受けようってなったの。だから、将来は経営者を支えられるアドバイザリー業務がしたいなあって今のところ思ってるよ。

今のPOCO!でのちーたんの活躍は、将来にもすごくつながってるし、改めて今のちーたんにしかできないことなんだなって思ったよ。
POCO!には、こうして一人一人の生き方を尊重しながら、想いを力に変えてチャレンジできる環境があるんだなって改めて実感するよ。


・ POCO!での現在とこれからの夢

ーー今のPOCO!でこんな時にやりがいを感じるとかある?

そうね。子どものことを本気で考えて、メンバーそれぞれの多様な視点で議論している時が一番ジーンとくる。入院中に出会ったあの子たちが幸せになる世界に少しずつでも近づいているのかなって嬉しくなるのと同時に、当時の彼らのことを思い出して泣けてくるんだよね。
メンバー全員の実現したい未来が一致してるからこそ、そのためにそれぞれが自分の視点をぶつけ合ってるのがすごく好き。だし、そんな風にみんなが子どものために本気なことが嬉しい。そうやって本気で議論してこども目線で夢を描いて実現につなげていくところにすごくやりがいを感じる!

ーー確かに。みんなおなじ想いだけどみんな違う視点でめっちゃ面白いしやりがいだよね。

あとは、会計の知識があるからバックオフィスを担当することが多いんだけど、POCO!の魅力を書類で語ってそれが伝わった時はとっても嬉しいよ!いろんな場面でPOCO!のいいところを文章にするんだけど、その魅力が伝わるプロセス自体が楽しいし、「ちゃんと魅力が伝わってる!」って実感できることも嬉しいかな。

POCO!のメンバーと、こどもたちと一緒にワクワクな社会を実現したいのでこれからもがんばります!

ーーほんと、これからも一緒に頑張ろうね!!


いかがだったでしょうか?ちーたんの話を聞いてると、ぼくも病棟勤務時代の子どもたちやその時の色んな感情を思い出して色々考えさせられました。

チャレンジングで誰かの力になりたいと思えるちーたんだからこそ、病気の子どもと過ごした闘病経験がより一層彼女の想いの純度を高めているんだなとつくづく感じる時間でした!
こんなちーたんと一緒だから実現できる未来がきっとあるし、だからこそPOCO!みんなでこれからも頑張ろうって心から思います!

「子どもの未来をもっと良くしたい」と思う方々が、この記事を読んで少しでもワクワクしていたら嬉しいなと思います!
ありがとうございました!次回のメンバー紹介もお楽しみに~!🌈

私たち「POCO!」は、
「ベッドの上から冒険を始めよう」を合言葉に、
長期にわたって入院生活を送っている小学生を対象にした、創造力・好奇心を引き出す特別な「遊びという魔法」を届けています!
We are POCO !!!!!

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