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正義について 哲学の先人達と近年のアニメ(ONE PIECE NARUTO BLEACH等)から引用して考えてみる

正しいとされるものが相対的でしかないこと
常識は普遍的ではないこと
理屈は全て突き詰めると屁理屈だということ

自分は正しい選択を求め続けていたけど、
その正しさも相対的でしかなく、
統計的な正しさは証明できることがあっても、全ては暫定的だということ
そしてそこまで正しいと思えたとしたとて、
必ずしも行動の結果に満足できるわけではないこと

正しさと言うものを語る上で外せないのは、
そこにすでに議論を重ねてきた先人達の知恵。

語り尽くすと文学か哲学オタク以外は読む気をなくすと思うので、控えめに書きます。

正義。力。 正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。
力のない正義は無力であり、
正義のない力は圧制的である。
力のない正義は反対される。
なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。
正義のない力は非難される。
したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。
そのためには、正しいものが 強いか、
強いものが正しくなければならない。

正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。
そのために、人は正義に力を与えることができなかった。
なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったからである。

このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、
強いものを正しいとしたのである。

パスカル(パンセ5章298)

正義とは、己にふさわしきものを所有し、
己にふさわしきように行為することなり。

プラトン 国家

正義は武器に似たものである。
武器は金を出しさへすれば、敵にも味方にも買はれるであらう。
正義も理窟をつけさへすれば、
敵にも味方にも買はれるものである。

芥川龍之介 「侏儒の言葉」

うん。不毛。

ここ数年のアニメからも、
正義対するセリフを抜き出して見ましょう!

人は皆すべからく悪であり
自らを正義であると錯覚する為には、
己以外の何者かを、己以上の悪であると錯覚するより他にないのだ  
確信した正義とは、悪である
正義が正義たり得る為には
常に自らの正義を疑い続けなければならない

BLEACH 東仙要

海賊が悪!?海軍が正義!?
そんなものはいくらでも塗り替えられてきた!
平和を知らねぇガキ共と
戦争を知らねぇガキ共の価値観は違う!
頂点に立つ者が善悪を塗り替える!
今この場所こそ中立だ!正義は勝つって?
そりゃそうだろ、勝者だけが正義だ!!

ONE PIECE ドフラミンゴ(57巻)

大切なものを失う痛みは誰も同じ
お前もオレもその痛みを知る者同士だ

お前はお前の正義のために・・・
・・・オレはオレの正義のために
オレ達は正義という名の復習へと
駆り立てられた普通の人間だ
だが復習を正義と言うならば
その正義はさなる復習を生み・・・
憎しみの連鎖が始まる
今 その事象の中に生き過去を知り未来を予感する
それが歴史だと知る
人は決して理解し合う事のできない
生き物だと悟らざるを得ない
忍びの世界は憎しみに支配されている

NARUTO ペイン(47巻)

結局どれも同じような意味を語っていますよね。
人間の語り出す正義なんてのはあくまでも、相対的で視点による。

だから、正義なんて、正しさになんて、拘る必要がない。

というわけにもいかない。

前述したように、
どんな理屈も所詮は屁理屈で
どんな正義も悪になり得り、
常識も普遍的ではない。
資本主義と社会主義でもお互いの主張する正義は大きく異なる。

もちろん、そんな大きなスケールで考えなくても、

この記事を書いている僕と、
読んでいるあなたとでも、

とあることに対する正しさの認識は一致し、
とあることに対する正しい考え主張が一致しないと思う。

でも僕らはこの呪いから逃れることはできないんじゃないかと思う。

「ただしいなんて、考える必要がない」
と思っていることが

「正しい」

と無意識で思ってしまっているから。

こんな事実が分かっても、
人は正しくありたいんだと思う。
僕もその1人かもしれない。

そして、正しいとは何か追求した人達は、
大抵同じ所に辿り着く。
これもアニメからの引用ですが、

「道を極めた者が辿り付く場所はいつも同じだ 時代が変わろうともそこに至るまでの道のりが違おうとも 必ず同じ場所に行きつく」

鬼滅の刃 継国縁壱(12巻)

法を守るのは言わずもがなだけど、
それ以外に正しいかどうかに拘わることはそんなに重要なことではないと思った。

何が正しいのか。
これは相対的なもので絶対的なものではないと、理解した上で、相手の正義にも目を向けることが多分大切なんだろうなと。

そういう意味で、宗教が発展した意味も理解にそう難しくないと思う。
宗教は絶対的な正しさを提供してくれる。
だから同じ宗教の国同士だと、理解が難しくないことがある。
それはもちろん宗教よる文化的な背景による影響もあるかもしれないが。

この記事が正しいと主張したい事は、
正義同士がぶつかるのは論争に留めておこうよと言う事と、
相手の正義を理解できなくても認めるという努力はできる事はある。
ただし、憎しみが介在しない限り。

愚かしいけど、どうしようもないけど、醜いけど、
どこか愛らしく、
愛さずにはいられない。

それが人間なんだなーとか、
ぼんやり考えてました。

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