流れに身を任せよう

相変わらず鬱が辛いにも関わらず、身体症状も辛い。体が痛んだり、痒かったり、違和感を感じたりすることがある。ただでさえ、鬱で辛いのに勘弁しておくれ。あまり長続きするようならまた病院にすっ飛んでいかないといけないではないか。鬱になってから2年間経つが、さまざまな身体症状が生じた。そのたびに病院にすっ飛んで行った。そして検査をしてもらうのだ。大体何も問題ない。行っていない病院は産婦人科くらいだ。なんとか薬で良くならないものだろうか。僕の主治医は「精神的な痛みに効く薬はありませんので、気にしないか、耐えてください」と言われた。僕の主治医は名医なのかもしれない。

ああなんでこんなに参ってしまっているんだ。何で鬱なんだ。こういう風に考え出すとマズイ。過去に原因を探しているからだ。僕の場合は、仕事のストレスの反動だと思っている。ただ、2年も鬱が続くとは思わなかった。もはや鬱の症状なのか、鬱に合わせた生活を長期間送ったための症状なのか分からない。こうして悪循環していくのだ。だから流れを変える必要がある。鬱が恐ろしいのはそれが難しいことなのだ。なぜならどう見積もっても何かしたいと思えないのだ。だから長期化してしまう人が多いのだと思う。単純に鬱が長引いているのか、それとも、悪循環によって鬱から抜け出せないのかは分からない。僕の場合は仕事を辞めてから鬱になった。仕事を辞める前は働けるくらいには元気だったのだが、辞めてから力尽きるように鬱になった。いやあ、人生どうなるか分かりませんね。皆さんも気を付けてください。

僕は普通に生活を送りたいだけなんだ。たまにあの時こうしておけばよかったと回想する。普通に中学へ行って、工業高校の電気科なんかいって、彼女を作って、電気工事士になって、結婚して、子供を作ってみたいな具合で良かったじゃないか。佐伯一麦の『ア・ルース・ボーイ』みたいなのに憧れるのだ。ただこれは今だからそう思うのであって、当時の僕には無理だっただろう。また、僕は建設現場で働けるような体力が無ければ、メンタルもないと思う。僕は全く勉強をしていなかったし、将来のことなんて何も考えていなかった。だからこうなってしまったのか。いや、将来のことを考えていたからといって、全てがうまくいくとは限らないだろう。それに僕は中学3年生の時に吐き気を催すようになり、それから引きこもっては社会復帰を繰り返しているのだが、この経験がなければ、本や音楽、映画に出会わなかったと思うので、それに関しては感謝しなくてはいけない。上に書いたような進路をたどっていたら僕は間違いなく、本を読むことや音楽を聴くこと、映画を観ることはなかった。まあそれはそれでいいではないか。上に書いたような現実的な生き方ができなかった。本や音楽、映画の世界に浸る夢想的な生き方になってしまったのだ。ただ、いつまでも夢想的でいるわけにはいかない。やはり現実に帰らなければならない。そう思って、就職して現実を生きていたのだが、まあ鬱になってしまった。

もうこれからどうなるか分からない。流れに身を任せよう。

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