足るを知る(タルヲシル)
最近、読んだ本でとても面白い本がありました。
それは、『自分とか、ないから。~教養としての東洋哲学~』という本です。
本書の著者・しんめいPさんは、東大卒のこじらせニート。
新卒で大手IT企業→地方で教育事業→フリーランス→お笑い芸人
と、自分探しをし続けた結果、虚無感から「無職」に。
5年間、布団に引きこもっていたが
「東洋哲学」に出会い、衝撃を受ける。
ともすれば難しい「東洋哲学」をクスリと笑える内容にして、わかりやすく解説してくれている本です。
この本の中には、ブッダ、龍樹、老子、荘子、達磨、親鸞、空海など、「東洋哲学」の有名人のさまざまな教えが紹介されています。
哲学書なのに、とても面白く読みやすいので、ぜひ機会があれば読んでみてください!
この本でも紹介されている、老子という人物の言葉で、「足るを知る(タルヲシル)」という言葉があります。
「足るを知る」という言葉は、「足る(たりる)」とは「満足する、十分である」という意味です。この言葉の意味は、「必要以上のものを求めず、今自分が持っているもので満足することを知る」ということです。
具体的には、欲望や物欲を無限に追求するのではなく、自分が持っているものに感謝し、それで満足することが幸せにつながる、という教えです。物事や状況に対して無理に欲を出さずに、現状に感謝し満足する心を持つことが大切である、という意味合いが含まれています。
私はこれを「座右の銘」として、習慣的に考えるようにしています。
今、我々が生きる現代社会においても、「もっと幸せになりたい」とか「幸せになる為に、もっと頑張らなきゃ」と考えている人はたくさんいると思います。
私自身もそうでした。周りを見渡せば、自分より年収の高い人、結婚して幸せな家庭を持つ人、人望があり周りに人が集まってくる人などに、嫉妬心を持つ毎日でした。
でもこの言葉に出合って、考え方が変わりました。
そもそも、「もっと幸せになりたい」とか「幸せになる為にもっと頑張らなきゃ」って、現状、幸せじゃないという事を言っているのだと思います。
本当にそうでしょうか?
本当に現状って幸せではないのでしょうか?
私がこの言葉に出合ったのは、かれこれ10年以上前になります。その時は新卒で務めた会社を辞め、田舎に戻りニートをしていた時でした。
その時の私は、働いていない自分の環境を周りのせいにしたり、勝手に不幸のどん底にいるような気持ちで、働いていない自分が恥ずかしく、友達からの連絡もすべて絶っていたような状態でした。
でもこの言葉に出合って、自分は今不幸のどん底にいるように思っているけど、実際は、今日もご飯たべれているな、暖かい布団で眠れているな、健康な身体があるなって思えるようになったのです。
そう、これって本当に「幸せ」なことですよね!
ひと昔前の戦争をしていた時なんかを考えたら、今いる自分って天国にいるぐらい「幸せ」な状態なんじゃないかって思えたんです。
それからは自分の考えは変わりました。日々に感謝をして生きていけるようになりました。
連絡を一方的に絶っていたのにも関わらず、なんとか私に連絡を取ってこようとした友達にも謝って、また連絡をするよになりました。
そこから、再度転職活動をし、良い会社に転職、結婚することもできました。
そういえば「勝ち組」という言葉がありますよね?
あれも結局、他人との比較なんだと思います。
別にぶっちゃけ他人と比べる必要はないのかなと思います。
自分が「幸せ」だと思えればそれで良いのだと思います。
今、ある当たり前に感謝し、それに全力を出し切れば、いくらでも幸せになれると思います。
人間の欲なんて「もっともっと」と際限なく広がっていくものだと思います。
そうではなくて、「今日もご飯が食べられた」「今日も元気な身体がある」ありがたいな~ くらいに幸せの基準を下げれば、もっと幸福に人間は生きていけると思います。
幸せの基準なんて、人それぞれです。それこそ他人と比較して決めるものでもないですし、自分軸で考えれば良いと思います。
「ありがとう」という言葉は、「有ることが難しい」が語源だと聞いたことがあります。
日々の「当たり前」を見直して、周りのすべてのものに感謝して生きると、本当の意味で「幸せ」になれると思います。
「足るを知る(タルヲシル)」という言葉には、そんな意味が込められている言葉だと思います。
ちなみに、一番最初の写真は、京都の龍安寺というお寺にある蹲踞(つくばい=手水鉢)です。
中心の口の字を回りにある4字と共用して「吾唯知足=われただたるをしる」と読みます。(機会があればぜひ一度行ってみてください)
みなさん、足るを知って、日々に感謝をして「幸せ」に生きましょう!
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