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黄金をめぐる冒険㉒|小説に挑む#22

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

いつの間にか空の微量な明るさは失われ、地面を映す僅かな光さえも乏しくなっていた。目を凝らすと岩や枯れ木の影が何とか輪郭を持つ程度で、辺りの黒は徐々に他の色を喰い始めていた。

元々、空からの恩恵は心持ち幾らかという程度であったけれど、全く明かりが無いのでは天と地ほどの差があり、僕の視界の助けになっていた明かりは、今では目先の奥ですら見えないほどに弱々しくなっていた。

あたりの暗闇を見渡すと、前方少し左手に微かな灯りが見えた。きっと小屋の灯りだろう。あのご婦人が言っていた通り、七合目に着くころにはしっかりと夜になっていた。僕は言われた通りに七合目で一泊しようと思い、小屋の灯りを目掛けて歩いて行った。

小屋の外観は暗闇のせいで全然分からなかった。入り口の隣にある小さな窓から発光されている灯りを頼りに、何とか入り口の引き戸が開けられるくらいは手元が見えた。小屋には光の存在が最小限しか許されていないような暗さがあった。
僕は僅かな灯りを頼りに、入り口の引き戸を開けて中に入ってみた。

小屋の中はとても静かだった。そしてやはり暗かった。だが、外と比べると視界の活動範囲は大分広い。中には男が四人休でいて、既に寝付いている様子だった。あとは小屋の切り盛りを任されているであろう女が一人と、居間の真ん中にストーブが一つあるだけで、宿泊機能として必要最低限の小屋だった。寝床と居間には仕切りがなく、寝床では無造作に男たちが寝袋にくるまっていた。
それぞれが来客に対して気づいてないようで、、僕が中に入ってもぴくりとも動かなかった。

居間と対角に台所らしき狭い部屋があり、女はそこに一人座っていた。丁度玄関の上がりを中心に、左手には男四人とむさ苦しそうな寝室、右手には一人の女と簡素な狭い部屋という配置である。これまでと違って女の見た目はとても若かった。おそらく消えてしまった彼女と同じくらいだろう。そしてとても寂しそうな目をしていた。

僕は靴を脱ぎ、できるだけ音を立てないようにそろりと玄関の上がりに登り、恐る恐る息を潜めて、床のきしむ音に慎重になりながら、男四人の寝る居間へと入って行った。小鹿みたいにぷるぷる震える足で床に腰を下ろそうとすると、疲れのせいか足の力が抜けてしまい、思いっきり尻餅をついた。
どすっという大きな音が小屋の中に鳴り響いた。気持ちの良い尻餅だった。僕は驚異的な敵を前にした地球の戦闘員が、あまりの敵の強大さに驚いて豪快な尻餅をつく、そんなアニメのひとシーンを思い出した。あれはとても愉快で明快な表現だ。

僕はそんな馬鹿な思い出しを直ぐに投げ捨て、辺りをきょろきょろと見回した。恥ずかしかったのか、男たちを起こしたのかと肝を冷やしたのかよく分からないが、とりあえず転んだら周囲を見回すのが”普通”なのだ。
だが、別段誰も起きる気配はなかった。

「そんなこそこそしなくて大丈夫ですよ。ちっとやそっとじゃ彼らは起きないんだから」と彼女はこちらを向いて笑っていた。少しの揶揄と僅かな親しみが含まれた笑い方だった。
「それに、少しくらいうるさくしても怒る方なんていません。気にせずゆっくりしてって下さい」

僕は軽く会釈をして、一晩泊めてもらえませんかと彼女に声を細めて彼女に尋ねた。彼女はどうぞこちらへという手招きをして、僕を向こう側に招待した。僕は勧められるがまま向こう側に行き、椅子に座って彼女と向かい合った。
彼女の居る場所にはダイニングテーブルが真ん中にあり、そのテーブルを挟むように椅子が二つある。それ故に彼女と僕は向かい合って座っていた。

「どこから来られたのですか?」
「東京という場所から来ましたが、ご存じですか?」
「はい、それではここまで随分遠かったでしょう」
「ひどく疲れた気がします」
「ゆっくり休んでいってください」

文字通り、疲れた気がするだけの感覚があった。なぜか疲れているという確信がまるで持てなかった。だが、実際疲れているに違いないのだろう。疲れているから尻餅をつき、彼女が笑ったのだ。

「お水を飲まれますか?」
「いや…… ここで水なんて必要ないのでは……」
「そうですね。ですが、やはり何かを飲むのは良いことですから」
彼女は少し寂しそうな顔をしていた。僕は言葉が出なかった。ただ曖昧に頷くことしかできず、それを見越した彼女は、
「では少しお待ちになって」
と言って、機能的不十分だが必要最低限な台所へと水を取りに行った。

彼女は水とグラスを持ってきて、水を注ぎ僕の前に置いてくれた。僕はグラスを手に取り、その水を一気に飲み干した。また注ぐ、そして一気に飲み干す。これを何回か繰り返した。とても軽快なテンポだった。彼女はとても楽しそうに、そして優しく水を注いでくれる。それも何回も。

心地の好い時間が流れた。この簡素な無機質な”地獄の道”ではじめて穏やかな気持ちになった。

だが、水は僕の体内に全く吸収されずに、すぐさま尿意へと変わった。体がパイプ管になったみたいに、口から入った水は河口の塞き止め部まで一気に流れ、水がそこから溢れ出そうな勢いで僕を襲った。
水は下に向かって流れる。いきなりの悲劇に僕は焦り、便所はどこかと彼女に急ぎ訪ねた。

「トイレはこの台所を向かって右手にあります。出た水はそのままこの小屋の地面に流れますので、特に流す必要はありません」
そう聞いて、僕は急いでトイレへと駆け込んだ。

彼女に注がれた水は僕の体をパイプ管のように通り、元居た大地へと流れ出ていった。その一連の流れは一切の不純を含まない還元のように、彼女から生まれてこの場所の一部へと還っていく。それは”地獄の道”が僕という存在を、いや、この地に足を踏み入れた不純物を拒絶しているかのようであった。

全ての還元を終えたあと、僕はしばらくトイレにぽっかりと開いたその地面へと繋がる穴を見ていた。僕は彼女に”便所”という言葉を使ってしまったことに対して恥ずかしさを感じ、羞恥心と後悔で押しつぶされそうだった。僕は”便所”と言い、彼女は”トイレ”と言った。
穴があったら入りたい気分だったが、さすがにトイレに開いた穴だけは嫌だと思い、トイレを出て、彼女の座る小さな空間へと還った。

第二十二部(完)

二〇二四年六月

Mr.羊
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