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「ラバーソウル」2|SF短編小説に挑む#2

エピローグ↓(読んでいない方はこちらから)

愛すべき主人公と幸福な社会の隔たり①

今ではこの世界われわれのせかいで生きている人類のほとんどが、人生の幸せを可視化できる方法を知っていた。
この世界の人類は運が良く、かつ貪欲だった。
過去、人類は狡賢い生き物であり、私利のためなら何でもする生き物であった。その利己的な欲求に駆られた哀れな生き物を、それぞれの宇宙では”人間ヒューマン”と呼んでいた。(奇跡的に、この世界でも呼称は同じであった)

全宇宙にとって、我々はまさしく”人の間”として存在しているのだ。

人間は一世紀前まで、宇宙物理のわずか5%程度しか理解できていなかった。その2%は相対性理論にてよって解き明かされ、2%は古典量子力学で、残りの1%は電磁気学によって解明されていた。
言わば、広い宇宙のアリのような小さき存在であった。
他宇宙アナザーコロニーでは、”人間”のことを”宇宙アリ”とも呼んでいた。ワラワラカサカサと群れるその様を、”アリ”という表現がよく表していた。

――「宇宙アリの繁殖力は宇宙随一であり、唯一の本能的な理性を持っている」

というどこかの研究者のセリフが、多くの他宇宙で(各宇宙で仔細な表現は異なるが、意味は大体同じ)広まるほど、“人間”のその愚かさは多世界で揶揄されていた。

その”アリ”は、自身の本質には目を向けずに前だけ一方を、滑稽に見続けていた。ひたすら前に前にと何世紀にも渡って進み続けた結果、彼らが通った跡には、踏み潰された無数の死骸が広がっていた。

“人間”はその無知さを知らず、資本主義という悪魔を呼び起こした。その使い方を知っていたのはマルクスという賢い男だけだった。
その悪魔を人類は制御できなかった。社会は盲目的に形成され続け、無秩序を形成していた。

民衆は自由だ平等だなどと、真の意味も理解せず滑稽にも私欲を叫び続け、同族で争い合うことを止めなかった。

今ではそんな愚かな歴史が義務教育の教科書にざっくりと載っている。見出しは「白痴で空虚な100年間」である。

一世紀前の歩みが今も続けられていたら、“人間”は三十年前にその三分の二が無残な死骸の山となり、地球の生態系は壊滅的になっていたと言われている。
しかしある時、偶然的に発見された物質のおかげで愚道の歩みを止めることができた。

物質は多世界とのコネクションであった。
つまり「多世界解釈」の決定的な根拠である。
そして宇宙アリの知識は5%から20%となった。

知識の拡充により新たなテクノロジーと新たな幸福の形が生まれた。
人間はやっと、真の豊かさを見つけた。
知恵の実を食べた愚かな人間は、新たな知恵の実をしっかりと調理したのだ。

***

雑踏の中、“人間ヒューマン”の顔に曇りはない。
群衆は駅から広場に向けて歩いていた。広場では月に一度の”多世界上映イベント”が開催される予定だった。
”多世界上映イベント”とは、言葉通り「多世界」の光景を大きなスクリーンで映し出して観賞するイベントである。多世界を映し出すことは熱狂であり、喜びであり、官能であり、祝福であった。その新エロティシズムは現代のヌーベル・バーグとしてブランド力を発揮していた。

それは月に一度、日本の東京と大阪にある大きな公園の広場で開催される。日本では東京と大阪で開催されるが、アメリカでは色々な州で見ることができ、中国では多くの省でイベントが行われる。先進国は月一の頻度で開催されるが、発展途上国では年に一回といった程度だ。

日本は先進国の中でも開催地域が二か所と少なく、この時期には決まって東京と大阪に群衆が集まる。このイベントは多くのエネルギーが発電される機会でもあり、政府によって行われていた。

雑踏の中、一人だけ下を見て歩く男がいた。
この男こそが、愛すべき主人公である。

その他群衆の老若男女は顔を上げ、それぞれ互いにコミュニケーションを取っていた。
「おや、その服はあの限定の”ほにゃららxxx”ですね?」
「よく気づきましたね!限定200個のレア品ですよ!」
「素晴らしい出来栄えだ。また民主主義で獲得者を?」
「ええ、ええ。参加者で話し合い、誰がこれを買うか決めましたよ。私の想いが売り主に伝わったようで。」

背の高い見事な着こなしの紳士二人は民主主義を好んだ。紳士二人のその体格は、日本人の垣根を超え、日本においての多種多様の民主的象徴であった。

「ほら早く来なさい、はぐれないで、ほら早く。」
「ママ、あそこに下を向いて歩いてるおじさんがいるよ!病気なのかな?」
「きっと病気なのよ。可哀想に、あまりジロジロ見ちゃいけません。」

上品な母親の息子は、他人にとても親切だった。彼の優しさは、この社会の基盤によって形成され道徳されていた。
男にはその優しさが苦しかった。
そして男はおじさんという歳でもなかった。

公園は160,000平方メートルの面積を持ち、その中で広場は46,000平方メートル程を占めていた。歴史的建造物の東京ドームと同等の大きさだった。そこに押し寄せる群衆の数は膨大であることが容易に想像できよう。

上映は13:13きっかりに開演され、17:17きっかりに終演する。これは素数が神の数字と崇めたどこかの権力者が決めたことであった。
群衆もそれで良いと思っていた。
幸福によって作られた心は、他人を容易に享受できるだけの余裕を生んでいた。

男はこの世界に馴染めていないごく少数として群衆の中を歩いていた。この世界で独りでいることは非道等的なことであり、そして道徳的でない者は顔を上げて歩く理由がないのだ。

孤独の男の名は高橋であり、この物語の愛すべき主人公である。

愛すべき主人公と幸福な社会の隔たり①(完)

二◯二四一月
Mr.羊
Photo by pkkn_manga

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