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黄金をめぐる冒険㉑|小説に挑む#21

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

僕は心の中で「行ってきます」と言った。

自然と心で発露した言葉だった。昔、故郷を旅立つときに祖母に掛けた最後の言葉、あの時の気持ちのように少しの寂しさと少しの清々しかった。それになぜか、ご婦人との別れの言葉にはとてもぴったりな気がして気持ちが良かった。これが『ノスタルジー』というやつだろうか。

「新六合目」から歩き始めた僕の足取りは、妙に軽かった。そこから七合目に向かって黙々と歩いた。より傾斜が険しくなるのもお構いなしに、僕は砂も岩も軽やかに超えていった。

一つ分かったことがある。地獄の道は進めば進むほど地形が険しくなり、そして地形が険しくなればなるほど、静けさを増す。その増幅された静けさは僕をより一層独りにさせたが、それすらも妙に心地よかった。僕は孤独であると同時に、それを感じ、理解し、孤独と共に存在していた。
おそらく僕は孤独を受け入れ始めたのだろう。

これまでの人生、常に隣には孤独が居た。だから僕は、全くの独りなんてことは無かったののではないだろうか。そう思うほどに、今では孤独を身近な存在に感じる。

しばらくして、これは哲学的な超越とでも言うのだろうか、はたまた未知との遭遇とでも言うのだろうか、僕がそれを理解し始めた瞬間とき、そいつは現れた。

「私は孤独という者だ」
耳元から急に声が聞こえた。孤独という者?

僕はまた思考が勝手におしゃべりを始めたのかと思ったが、それは確かに僕の内部からではなく外から発せられたものだった。だが、辺りを見回しても誰も居なかった。

「私は孤独という者だ」
確かにその声は実態を持って僕の鼓膜を震わしている。果してこれはどういういうことなのだろうか?
僕は呆れて(半ば諦めて)、仕方なくその声に疑問を投げかけた。

「孤独? 孤独とはただの言葉ではないのですか?」
「その通りだ。私はただの言葉ではあるが、意味を持った概念でもある。意味があるものには必ず形式というものがある。所謂いわゆる諸君が認知できないだけで私は確固たる幾何学的なかたちを持って存在する。ただ次元のレイヤーが異なる存在というだけで、諸君とは共存関係にある」

孤独はとても論理的で無駄のない話し方をした。

「ではなぜ、僕はあなたと話ができているのでしょうか?」
「私たちはある程度の低次の存在と干渉することが可能だ。だが、諸君の次元は三次元でありその対象ではなかった。しかし諸君はここで深く孤独を認知しそれを受容したことにより、今まで認識していた次元を超越し一段階高次の存在として私という存在に干渉できるステージに足を踏み入れている。それ故に私は諸君と話すことが可能となった。元来、諸君たちは比較的に秀でた種族だ。私たちを認知できる唯一の地球内生命体であり、そのためにはある一定のラインを超えるトリガーが必要である。それが諸君の場合認知と受容であった。お分かりだろうか」

孤独の話は難しかったが、僕は何とか理解できた部分をオウム返し的に口に出した。
「僕はここであなたを知り、あなたを受け入れ、それがトリガーとなってあなたと話せる存在になった」
「その通りだ。ある意味では進化とも呼べるだろう。認知次元の超越、精神の向上、超人としての覚醒、万物の受容、人類の自然淘汰の終着が諸君だ」
「超人? 人類の終着?」
「それらの表現が受け入れ難いのであれば、恩寵と受け取ってもらっても良い」
「恩寵、進化……」

僕の精神は遂におかしくなってしまったのだろうか?  僕はここまで歩き続けた。ただそれだけだ。それで何が進化するというのだ? 
概念と話す?  考えられない。なんて奇天烈なんだ。あまりにもふざけている。

そういえば、ある囚人が暗くて狭い監獄に入れられ続け、とても長いあいだ陽の光と他者との繋がりを遮断されたことによって、精神が錯乱しはじめた。そして終いには幻聴が聴こえ始めて(そのため独り言も増えたという)妄想の世界に囚われてしまった、という話を聞いたことがある。
まさにこの囚人のように、僕は妄想の世界へと没落してしまったのだろうか。孤独と話をしているなんて気違いじゃないか……

すると孤独は、僕の思考まで読むことができるらしく、僕の見解を否定する正論を唱えた。
ことに私と諸君の会話は諸君の正常な精神から生じている結果である。諸君が現状感じている精神作用の正体は、ただの違和感である。君たちにとって進化を理解することは思いの外難しい作業なのであろう。それは承知した。まずはその性質を念頭に入れて初歩的に物事を捉えてみるといい。一つ、手引きとしての寓話を話そう」

孤独は咳ばらいを一つして、説明を続けた。
「アリが認知できるのは縦と横の世界、所謂二次元の平面世界までだ。アリは壁を登るが高さを認知しておらず、床を歩くのも壁を登るのも同じ平面を進むこととしか捉えられない。つまりアリにとっては床も壁も同等なのだ。これは明確に”壁”という概念が三次元だからである。
或る時、一匹のアリが”壁(高さ)”という次元を認知できるようになった。それと同時にそのアリは急に壁を登れなくなってしまった。”高さ”という知見を得ることにより、『落下』という恐怖を理解し共起されるようになったからだ。
他のアリは平然と”壁”を登るから自分がおかしいと感じ始める、そう違和感である。自分は変になってしまったのだろうか? 他のアリは”壁”を登ることは怖くないのだろうか? そのような物事の捉え方の差異が、周りとの認識の差分がアリの世界から三次元アリを乖離させ逸脱させていく。そして仲間からは後ろ指をさされ、変体のレッテルを張られる。三次元アリは進化的であり、進歩的な存在であり、種に起こった特異点としての変体であるのにも関わらずだ。その後も、その三次元アリが”壁”を登ることはなかった。三次元アリに生じたただの違和感が結果的に先進を後進させてしまった。これがこの話の教訓だ」

「僕は三次元アリと同じ轍を踏むわけにはいかないということですね……」
僕は孤独と話している。これは現実で僕の頭がおかしくなった訳ではなく、高次を認知できるようになった結果であると。

「僕は他の人よりも幾らか高次の存在となった。僕はこの違和感を認めなければならないのですね」
「その通りだ。自己の意識を連綿と捉え続けるのだ。諸君たちは主観と客観の両面で自己を意識することができる。だがそれは発展途上だ。故に諸君の自己認識は常にカオス状態である。所謂、主観と客観が未整理で共存している。だからこそ自分自身の本来の性質を捉え続けるのだ。そしてその変化を意識し知覚する、明々とな。これが三次元アリの教訓を孕んだ自己意識である。カント的に形容するならば”統覚”と言えよう」

「僕はまだ、やっと孤独という概念を認知したに過ぎません。だからあなたの言うことの八割はよくわかりませんし……」
「それでも諸君は二割を理解した。それだけでも十分であろう」

***

その後、孤独は僕と僕たちに対しての教訓と訓戒を幾つか述べた(もちろん八割は理解できなかったけど)。そして、いつ何時でも招喚してくれ給えと言って、ぷっつりと声が途絶えた。交信が終わって通信機器の電源を切れたように、一方的な終わり方だった。

「いつ何時でも招喚してくれ給え。Over」——

第二十一部(完)

二〇二四年六月

Mr.羊
#連載小説
#長編小説
#創作大賞に向けて

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