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【ポーランド旅行】Auschwitzとイスラエル・パレスチナ問題について考える

ヨーロッパ留学をしている間に絶対に訪れたかったAuschwitz-Birkenau、通称アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に行ってきたため、そこで感じたことを記録します。

アウシュヴィッツはナチスドイツによる民族浄化政策に基づきユダヤ人の大量殺害を行った場所として広く知られています。現在では、その残虐なホロコーストの様相を示すために、関連施設を残し続けることで同じ歴史を繰り返さないという思いが込められた場所とも言えます。

私は、アウシュヴィッツを訪れた際には、ホロコーストについて学ぶ以外にも、長く未解決のままであるイスラエル・パレスチナ問題について一考するべきだと考えております。

したがって今回は、アウシュヴィッツでの経験とこうした民族問題に対する私の考えについてお話しできればと思います。

アウシュヴィッツ強制収容所

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所博物館の詳細な展示に関しては、多くの動画クリエイターが配信しているところとなります。したがってこうした具体的な展示内容紹介はそちらに譲るとして、私にとって特に印象的であった展示について言及できればと思います。

なお、今回は英語のガイドツアーに参加し様々な説明を受けながら訪問しました。

ARBEIT MACHT FREI

ドイツ語で「働けば自由になれる」という意味の門

よく写真で見かけていた門ですが、いざ直接目にすると生々しさが際立ちます。
この門をくぐると空気が一層重く感じられました。

9歳の少女が処刑された脱衣所

女性が裸にされるという場所

「死の壁」という場所をご存知でしょうか。この付近に存在する枕木を組み立てた壁で、数千人の囚人がそこで見せしめとして銃殺されたといいます。

その銃殺の直前に囚人は全裸にさせられます。写真は女性たちが死の壁での処刑前に服を脱がされる脱衣所です。

この部屋で銃殺されるケースもあったそうです。私が参加したグループのガイドさんは「9歳の少女がこの場所で射殺された」という話をしてくださいました。

こちらの左横にまた別の部屋があるのですが、少女はそこで死刑判決を受けます。そしてこの脱衣所で全裸にされ、銃で撃たれ亡くなったとのことです。

何の罪もない少女が訳も分からぬまま射殺されることを想像した時、筆舌し難い恐怖や悍ましさを覚えたのは言うまでもありません。

ルドルフ=ヘスの最期の場所

ルドルフ=ヘスの処刑台

ルドルフ=ヘスは元アウシュヴィッツ強制収容所所長です。(なお、ナチ党副総統のルドルフ=ヘスとは同姓同名の別人です。)

驚くべきことに、彼は収容所の壁を隔てた真横に自宅を構え家族とともに住んでいました。

そんな彼はドイツ敗戦後この場所で絞首刑となります。

最近の映画に「関心領域」という作品があります。まさにこのルドルフ=ヘスが主人公なのですが、その映画はホロコーストを題材としているにも関わらず殺害シーンが全くありません。巧みな音響の工夫を用いヘス一家の様子を描いた作品であり、気味悪さを覚えるとともに違う視点からアウシュヴィッツを考えさせられる作品でした。

女性が住んでいた最悪なバラック

ビルケナウの方にあった女性の収容施設における寝床

こちらはアウシュヴィッツから少し行ったビルケナウの方にあるバラックの内部です。

この寝床には当時簡易的なマットがあったそうですが、そこは虫の蠢きによってぞわぞわと動いていたとのことです。

そしてここは1段につき8人が窮屈な中眠ることになります。つまりこの写真の3段に24人が寝ていたということです。

「私たちのグループは今日22人だ。それより多い人数がここで寝て、朝早く起きて働き、虫がうじゃうじゃいる極寒の中身を寄せ合い寝ていたんだ。」というガイドさんの言葉に、改めて衝撃を覚えることとなりました。

現在のイスラエル・パレスチナを考える

では、ここからはイスラエル・パレスチナについて少し触れられたらと思います。

19世紀後半から始まったシオニズム運動は、このアウシュヴィッツにおける大虐殺を皮切りに一層強化されました。
その結果イスラエルという国家建設に至るわけです。

今日、イスラエル軍によるガザ侵攻以降、パレスチナ自治区であるガザ地区においてハマスとイスラエルの戦闘が起こるなど、イスラエルとパレスチナ・周辺アラブ諸国の対立が強まる一方です。

よくネットを見ていると、「イスラエルは人殺しの国だ」という過激な言葉を目にします。

アウシュヴィッツでの悲劇的な虐殺を経験したユダヤ人たちが、今度は何の関係もないパレスチナ自治区の民間人を殺害している。
さらにその応酬としてハマスが2023年の音楽祭無差別襲撃のような恐ろしい殺害を行う。

現状、領土的・民族的問題を抱えていない国家である日本からすると理解しがたい状況ですが、すなわち「民間人の命がどうこうより、下手すると紀元前から続いていた領土・民族的問題の方が重要視されるべきだ」との見方が、イスラエル・パレスチナに限らずアラブ諸国の間で共有されているということになってしまうのではないでしょうか。

となると、アウシュヴィッツの「何の罪もない人が命を無差別に奪われる」ことを二度と繰り返さないようにしなければという教訓は、いったいどこで生かされたというのでしょう。

イスラエル・パレスチナ問題を考える際、我々のような「部外者」の国が何を言ったって当事者にしか分かり得ない領域があるという結論に至りがちです。
しかし、私たちにできることを模索する姿勢は絶対的に必要であるはずです。その足掛かりとして現在起きていることを知るところから始めなければなりません。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所での経験は、私にとってこうした思いを一層強くすることになりました。
まさに映画「関心領域」のように、「目をそらすな」というメッセージを受け取らされるいい機会になりました。

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