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人間は宇宙人が撒いた種かも

人間は、遠い宇宙の中のどこかの星に生きている知能の優れた生き物が
地球に撒いた「命」の種によって、進化したものだと思っている。

しかも、最初に撒いた命の種は、遺伝子の優劣がバラバラで、アインシュタインみたいな頭脳をお持ちの人間、あるいは私たちみたいないわゆる普通な凡人、または障害持ちな人間それぞれだ。

時間が経ち、それぞれの人間が子孫を持ち、だんだんと周りの人間の刺激を受け、いろんな方面に進化していく。多分、科学技術もそういうふうに本日のレベルに達したと思う。

いずれにして、その遠い星の宇宙人のレベルになるでしょう。あるいは、超えるかも。誰もわかりません。だって、人類は果てもなく潜在能力を持っていて、プラス探求精神で、どこへも行けるような気がします。

だったら、私たちのような凡人たちは、毎日なぜいろいろ悩むのだろうって思っちゃう。仏教では、三毒などと言われる貪(とん)瞋(じん)痴(ち)というのがある。それが人間が持つ潜在的な煩悩だと言われている。そのような煩悩を持ち悩んでいても、この命になんの役に立つのだろうと思う。

ただ、この瞬間を見つめて、手を動かして、何かをこなす。深く探求し、試行錯誤し、それなりに少しずつ進歩する。労力が伴う、時々成果が見えないかもしれない。でもその一瞬一瞬の起き沈みこそが、人生の醍醐味で、その探求の過程こそが意味があって、喜びすぎたり、凹みすぎたりするのももったいない。最高なことも一瞬で終わるし、ドン底の次はいずれ光が見えてくる。

宇宙人も人類がどこまで発展していくのかがわからないかもしれない。ならば、このちっぽけな命をせいぜいいっぱい経験して、喜怒哀楽も全て受け止めて、弾けさせていくじゃないか。

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