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裸の王様の娘(4)

「依存」

これは父について考える時に、いつも思う言葉だ。

祖父よりずっと前の代から、王の発言は絶対だった。だが、父はそれを良しとはせず、わざとユーモラスな雰囲気を出して、周囲が意見を出しやすいようにしていた。あえて反対意見を出させるような、見当違いの発言をすることもあった。「自分に対する依存」に不安を感じていたかのように。なぜ、わざわざそんなことをするのか、幼心にそう思ったが、それについて深く考察することはなかった。

父はやはり、わざと「裸の王様」を演じたのではないだろうか。

仕立て屋はパレードの前に姿を消していたし、本当のところはどうかわからない。仮に父が仕立て屋の言葉を信じて、存在しない服をまとっていたとしよう。だが、その状況でわざわざ娘に「いいかい、アン。明日のパレードの様子をしっかり見ておくんだよ」と言うだろうか。「自分の姿」ではなく、「パレードの様子」を見るように、とはっきり言った。父の目は、浮ついた感情は一切なく、どこを見ているのかわからないほど、穏やかで全てを悟っていた。

これから先は私の想像でしかない。

日頃、自分がおかしなことを言っても賛同する雰囲気に、反吐が出るほど嫌気を感じていた父が、仕立て屋が持ってきた衣装を何着も試着する間に、

「私が裸で歩いたら、どうなるだろうか?」

とふと思った。最初はきっと、純粋に好奇心だけだったのだろう。仕立て屋も巻き込んで、計画を練ったのか。あるいは、父を騙せると踏んで、口が上手な仕立て屋の話に、乗っかるふりをした上で、この突飛な作戦に飛びついたのか。何れにしても、最初はごく直近の部下達を騙すための、ちょっとした遊び心だったのかもしれない。「王様、もう何やってらっしゃるのですか」と大笑いしたら、緊張が少しは緩むんじゃないかと。それが、こんな馬鹿げた状況なのに、優秀な部下たちが大真面目に口を揃えて、「お似合いでございます、Oui, Sire.」と言ったから、引くに引けない状況になり、それに対する絶望でいっぱいになったのか。いずれにしても、最後は盛大な実験をしようと思い立ったのではないか。

父はその直後、お忍びで酒場に繰り出し、ケビンと意気投合したという。ケビンのTojiの話は、父のその時の心境にぴったりと、パズルの最後の1ピースのようにはまった。心柱に各柱が依存すれば、中央にエネルギーが集中し、必ず破綻を迎える。一見、従順さがなく、緩い繋がりでいる五重の塔の方が、よっぽど力強く、どんな局面にも立ち向かえるのではないか。

資源もない、この小さな国では知力が全てだと父はよく言っていた。平和であるからこそ、自由闊達に各々が意見を交わし、個々が緩く繋がって「国」を形成する方が、よほど強い国になる。まずは、自分の意見を鵜呑みにする、この馬鹿げた状況を各自が認識し、再構築しなければこの国の将来はない。「私が道化者になって、それが叶うなら本望だ」。そう考えたのではないか。

ケビンと出会った父は特別な運命を感じたことだろう。だから、自分の死後に私の側にいてやってほしい、という無茶なお願いをしたのだ。

人との出会いは、不思議な力がある。出会うべきタイミングで、本人が望んでいるか否かは無関係に、ただ「出会う」。そこに反発するエネルギーを使うことはいかに無意味なことか。理性や正義や社会通念ではその「出会い」を説明できない。宇宙の理が、人間ごときの力で理解することさえできないのだから。

私は、そっと口に含んでいたそれを、今度は口の中で激しく動かした。

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