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社会人2年目にして再考した「研究」という営み

少し経済的に余裕ができたら、そしてスペイン語がもっと分かるようになったら、翻訳の本場ヨーロッパの大学院に博士号を取りに行くのもありなのかなって最近思う。解明したいことは明確にはないけど。確立されたフレームワークの中で、もしくはそれに基づきつつも枠からはみ出して、もっと考え続けたいなって思う。

でも、修士課程を修了した時は「私は研究者じゃない」って強く思っていた記憶があって、それが少し引っかかる。

あの気持ちは突き詰めると多分、研究活動においては常に限界点を明確に述べるべきで、それがなんか自分の元々ネガティブな性格に合わなかったんだろうなーと思う。

がんばったのに「これができなかった」「今後はこれをもっとやらないといけない」が頭と心の中で先行して、苦しかった。

ただ、仕事を始めてみて数年経って思うのは、学生の時の授業の課題みたいに「スパッ!これで終わり!」みたいな仕事ってないし、どんな仕事も一旦は時間で区切るけど、いくらでも考え続ける、改善を目指し続けることは理論上可能で、それの最たるものが研究であって、人間の生きる世界において意味と価値のあるものなのかもしれない…と思ったりする。


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