「できる学力」「わかる学力」
子どもの入った学校が縁で国際バカロレア(IB)についていろいろ学んでいくうちに、IBがよいのだ、ということより、IBで教育手法として採用している(という言い方が正しいのかどうかはわからない)「協同的探究学習」がカギのようだと気づいた。
そんなことを思いつくまでにいろんな本を読んだわけだが、そんな中で一番わかりやすい表現がこの記事のタイトル「できる学力」「わかる学力」だ。
「できる学力」というのは、解き方が1つに定まっており、計算式や公式などを直接適用して解決する日常に関わる定型的問題を解けること。「わかる学力」というのは、日常に関わる事柄について、多様な知識やスキルを関連づけて思考プロセスを構成し、事象や概念の本質を理解して解決できる非定型的問題とのこと。(出典:『カリキュラム・イノベーション~新しい学びの創造へ向けて』、他)
「できる学力」も「わかる学力」も両方重要なのだが、これまではテストなどでも理解度・成長度を評価しやすいということもあって前者が重要視されてきたようだ。または「できる学力」が身につけば「わかる学力」も鍛えていける、という順を追った教育が行われてきた。
しかしながら、現代に限らず人間が生きていく社会では、正解や解法が一つということはあり得ず、いろいろな問いを発して情報を収集して、都度最適と思われる判断を下していくのが普通だ。よって、「できる学力」よりも思考プロセスを構成して、問題を整理・構造化して都度解決できるようになる「わかる学力」が注目されるようになってきた。このために、チームで探究して、既存の知識を新たな枠組みで構成しなおすという協同的探究学習が注目されている。
というところまでが、本を読んできてわかったきたこと。
で、先日目にしたのが以下の日経新聞の記事。ここでも、効率的に正解を導くために公式を覚えるという「できる学力」を鍛えすぎて、その本質を理解するという「わかる学力」を伸ばすことを忘れてしまった弊害のようだ。
こうしてきてみると、一見、今の大学入試などに直結しないように見えるIBの学びは、まさに本質を理解するために探究し、チームで議論し発表して、さらに学びを振りかえるという学びのメタ認知までがセットになっていて、「わかる学力」まっしぐらになっていると理解した。
その教育をきちんとうけとめることができているのかは、それぞれの子どもによるところで、わが子はどうなのか…一番の不安はそこだと再認識した次第。もう少し子どもとこの世界を旅することにしよう
参考文献(これまで読んだ本)