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随筆系日記Vol.03「私は考える、だから私は生きている」

                  Photo by Mark Zuravski on Unsplash

9月に入った。
私は、卒業論文が予定通りに進まず、焦っていた。
周りの友人たちが着実に就職や進学を決めている中、自分はまだ何も掴めていない。
焦って、無理やり書こうとするが、余計に焦り、不安が募る。
負のジレンマに憑りつかれた。
どうしよう。自分がやっていることに自信が持てない。こんなことをやって何か意味があるのだろうか?友人たちのように就職して、仕事をした方が、社会に有用な人間なのではないだろうか…。
今までは考えもしなかった、不安や考えが黒い塊として肥大化して目の前に立ちはだかった。

頭を動かしている方が不安が減ると思い、本を無理に手にしていた。
私が卒論で扱っているのはジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』である。
『嘔吐』にはあのルネ・デカルトの有名な言葉が出てくる。

“je pense donc je suis”
我思う故に、我在り

その一文を眺めていると、
デカルトの授業の時には湧き上がることのなかった、何か熱いものがこみ上げてきた。

私は考えている、だから生きているのだ!!!!!

つまり、生きている実感を感じていたのだ、私は。
不安、焦り、涙、不眠、手の震え、、、すべては生きているという実感で、生きようともがいていたのだ。
そして、自分が文章を書くことの楽しさを忘れてしまっていたことに気が付いた。
そうか、私は文章を書くことが楽しくて、自分のこみ上げた感情を言葉という方法で具現化することが楽しくて仕方なかったんだ。それをすっかり忘れていた。自分が書く文章に自信なんてない。でも、すごく楽しいんだ。
私は考えて、文章に起こす。それは私が生きていることの証明なのだ。
それは私が唯一自分の色を表現できる方法であるのだ。
こんな簡単な事実に気づいてしまったら、あとは楽しんで卒論に挑むだけだ。

しかし、このnoteにもきっと私と同じように自分の頭で思い描いたものを昇華させようともがき、焦り、不安になっている人がいるだろう。そんな同士にエールを送りたい。

“なんの意味があるの?なにかの役に立つの?”
そんな言葉をかけられても、恐るるなかれ。
絵に感銘を受け、音楽を聴いて感動し、小説に涙してきただろう。
私たちの信じているものは、正しい。そして、楽しもう!
それが、私たちの生きている証明だ。

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                  Photo by Mark Zuravski on Unsplash

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