学校って本当に行くべきものなの?

 九月一日の悲劇を少しでもなくしたい。『死ぬ勇気より生きる勇気を』『自ら命を絶つ以外の選択肢を。』と同じく、誰かに届くことを願って書きます。
 水無月は教育研究家ではないですが、僭越ながら、水無月の実体験と、考え方を通して“こういう考えがあってもいいんだ”と感じて参考にしていただければと思います。

 もし今この記事を読んでいるあなたのお子さんが
「学校に行きたくない」
 と言っていたら、決して叱らず、嘆かず、「じゃあしばらく休もうか」と声を掛けて欲しいのです。親が思う以上に、子どもは悩み苦しんでいます

 かく言う水無月も、学校という場所が苦しかったことがあります。まだ十代にもなっていない頃でした。通っていた学校は学級崩壊していました。一人だけがいじめに遭うというレベルではなかった。精神的に追い詰められる場所、学校。そんなところに行く意味を感じられませんでした。それで水無月は学校に 行 か な い ことを選びました。

 学校、行きたくないと感じるならいく必要ないのでは。幼い頃から疑問を持っていました。
 もちろん、学校が楽しいと感じる場所なら通えばいいです。いじめが蔓延している現代のなかでも、いじめがなく、楽しい学び舎としてある学校もあると思います。でも、苦しみを感じ死にたいと思わせる学校には、通う価値ってどこにあるのでしょうか? 身体的にも精神的にも傷つけられるところに行く必要などない、と水無月はそう考えずにはいられません。

 かつては、多くの学校が、たくさん学ぶことが出来る学び舎だったと思います。良き先生、良き友人がいて、たくさんの発見を教えてくれる場所。
 そうした学校が悲しいことに減っているいま、学校に行かない、という選択はある意味の自己防衛なのかなと感じます。
 不登校なんて言葉は使いたくありません。登校しないことが、さも悪いかのような言い回し。学校の現状を知ると、行かないという選択は先ほど述べたように自己防衛と思うからです。

 では登校していない間は何をしているの? 何をすればいいの? という風に聞かれそうですので水無月なりの考えをお話しします。
 まずは心のケアではないでしょうか。こう言ってしまうと精神科や診療を連想されそうですが、必ずしもそうとは限りません。もちろん、そういったケアが必要な子には適切にケアしてあげてください。そして自然に触れ、動物に触れることも忘れないで欲しいです。水無月は自然、動物に助けられました。

 それから、水無月は読書が好きだったのでたくさんの本を読みました。本に救われましたし、読解力がついたおかげでその後の勉強でもついていくことが出来ました。これは人それぞれですが。

 死ぬことはないんです。生きることをやめてしまってはもったいない。
 学校がすべてでは無いですから。

 悲劇の日が永遠に訪れないことを祈っています。

創作のためにサポートを使わせていただきます。さらに磨きのかかった良い作品を創れるように活かしたいと思います。