高校生 5

そうやって作り上げられていった壁は自分の最大の武器を身につけたかのように思えた。

高校3年生になった頃、美容学校のAO入試を受けた。はやめに受けたら夏休みに内定者実習に行ける。美容師になりたくてなりたくて高校生という時間をずっと足踏みしていた私は、早々にAO内定が欲しくて先生に打診した。

認められなかった高校生活だったけれど、中学2年生の頃から志していた美容師という夢に対してはずっとひたむきに向き合い続けていた。美容師は夢であり、美容は私の武器だったからずっとそばにあった。そう、私は誰よりも進路に”向き合い続け、真面目に考え続け”ていたのだ。なんせ高校進学をせずに美容学校に行ってもいいとさえ思っていたくらいだ。夏前にはどうしても内定が欲しい。夢を、武器を、もっとそばで感じたい。高校2年生の時にはすでに志望校も決めていたわけだから誰よりもスムーズであるはずだった。

「規則を守れない生徒を一番最初の内定者にするわけにはいかない」

これが学校からの回答だった。10月まで待って足並み揃えてAO入試を受けろ。そう言われた。納得はできるはずがなかった。

学校というものは難しいもので、成績が良く真面目な生徒が評価される。社会では必ずしもそういう人種が評価されるわけではない。私は見た目や素行で評価されることはなかったけれど夢に対してブレたり中途半端なことをしてたことは一度もなかった。高校という狭い世界の中で私が認められることは無く、私が誰よりも夢と向き合い続け、志しを燃やし続けたことが評価されることは無かった。

内緒でAO入試を受けた。夏前に内定をもらった。バレた。怒られるのはいつものことだけれど、いつもよりも怒られた。

今思えば先生にも立場があっただろうし、自分が全面的に悪い。夢を叶える術を考え続けていたのにそれをスムーズに行ける自分でいることはできなかったし、確かにちゃんと報告をするべきだった。でも伝える環境も関係性もできてなかった。若かった。

担任の先生にめちゃくちゃ怒られた後に「おめでとう」と言われた。その辺りから担任の先生とは和解していくのだが、高校生活を通してこの先生には謝罪と感謝を伝えたい。たくさん呼び出されたし認めてもらえない現実に心底腹を立てた。悔しすぎて、教師になろうかまで考えた。それでも見捨てられることは無かった。高校3年生の後半、安定に呼び出された時「俺もわかってあげたいけれど立場上怒らなきゃいけないからすまんけどみんなの前で怒らせてくれ」と言われた。教室から出た廊下で声を上げて怒られた。そのあと、目を合わせて笑った。就職先が決まった時、就職することを電話したのだが、そんなことよりも私は今の自分をこの人に知って欲しい。私の志しは、絶やされることなく燃え続け、たくさんの人に求められる人になったんだと。高校生の時からの武器を本物にしたんだと。ほらみろ、と、大人になれなかった高校時代を守ってくれた感謝を。

認めてもらえることは無かった。でも美容師として原宿で一旗上げてる今も私の夢は美容師で居続けること。来世も美容師でいたい。人生を何度やっても美容師を選びたい。死ぬまでにあと何回美容師という職業を好きになって何回美容師になってよかったと思いながら夜を過ごすんだろう、と。

憧れてた自分になれた。その代わり先生からは底辺の生徒であっただろう。存分に私を誇っていいよ。時間はかかったけれど、もしかしたら耳に入ることはないかもしれないけれど、26歳。人生を通して私は18歳の自分を守った。




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