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『敵は、本能寺にあり!』 第二十六話『心の温度』

「……いつもの事じゃ。築山殿つきやまどの(家康正室)信康にいびられては泣きついて帰って来よる。九つで嫁にやったのも良くなかった。それこそ武田の松姫のように、正室預かりの格好を取って手元に置いておく方が賢かったかの」
信長は痛むこめかみ辺りを揉みながら、もう一つ桃に手を出す。

築山殿つきやまどのは“質素倹約の鬼”のようだと、随分前に帰蝶様より聞いた事がございます」と光秀は回顧。

「徳姫が幼い時分に里帰りした折、帰蝶としゃぼん玉で遊んでおったら、迎えに参った築山殿が『里心がつきますので』と酷い剣幕で取り上げてなぁ。
あぁそうじゃ、『かすていらを欲しがり叱られた』と徳姫が言うもんで、帰蝶がこんふぇいと(金平糖)を硝子瓶に入れ、土産の着物の中に忍ばせておいたら、築山殿が着物ごと突き返してきよった事も……。帰蝶は大層嘆いておったわ」

「“こんふぇいと”や“かすていら”などの南蛮菓子は勿論の事、“さぼん(石鹸)”にせよ簡単には手に入りませぬからなぁ。堺を御膝元に置く信長様じゃからこそ高価で珍しい品々を手に出来るのです」
光秀の正論に信長は心からの溜め息をいた。

「幼な子の舌が覚えてしもうたら、どうしようもないのう……。
築山殿は何かある度、帰蝶が甘やかし過ぎたから、わしが贅沢をさせ過ぎたからと徳姫を邪険に扱う。帰蝶も腹を立て彼此かれこれ十年程も不仲が続いておるわ。
まぁ築山殿も嫁を貰ったというより子を貰ったようなもんで厳しくなるんじゃろうが……。
徳姫には質素倹約を強いるが、本人は金使いが荒く贅沢三昧な暮らしをしておるのがせぬ。
近頃は信忠だけでなく徳姫も帰蝶の網を使い動いとるようで、わしは気を揉むばかりじゃ……」

 結婚や同盟の難しさに、ほとほとうんざりする信長へ、更なる火の粉が降り掛からぬよう祈る光秀であったが、嫌な予感は案外早く現実のものとなる――。

 ◇

 目の前に並んで座る帰蝶と徳姫の顔を一見し、信長は悪い話だと悟った。口火を切ったのは帰蝶だ。

築山殿つきやまどのが徳姫に辛く当たられるのは、彼女の伯父である今川 義元 公を、信長様が桶狭間おけはざまにてお討ちになられたからです。
築山殿の御両親は、娘婿である家康様がかたきの信長様と同盟を結ばれた事で、今川方より切腹を言い渡され、お亡くなりになりました。
今川家と生家が破滅に追い込まれ、一族衰亡の姫となった築山殿は、今も御二人を憎しみ恨んでおられ油断なりませぬ。
彼女は勝頼殿の(信玄の後継)息が掛かる医師 減敬げんけいと密通(不倫)、それにより武田と内通しております――。
勝頼殿は、家康様と貴方様を亡きものにし武田が天下を取った暁には、信康様と築山殿に相応の地位を与えると仰り、味方に取り込んでおられるのです」

 帰蝶が間諜網により調べ上げた事実は、耳を疑うものであった。怒りを露わにする信長へ、感情を昂らせた徳姫が畳み掛ける。

「父上、築山殿は 女子おなごしか産めぬ私に『役立たず』と罵声を浴びせ、『男の御子を産むために』と信康に当てた側室は、有ろう事か勝頼殿が家康様暗殺に差し向けた間者でございました――。
その事を話してくれた侍女を信康は私の目の前で『口軽め――!』と罵り、口を裂き、首を掻っ切ったのです……! 私は怖くなり逃げて参り……、もう彼のもとへは帰りとうございません!
信康は元々気性が荒く、踊り子が振りを間違えれば弓の的にし射殺。鷹狩りで獲物がなければ通り掛かった僧の所為せいにし、僧の首を縄にかけ、馬に繋ぎ走らせ、笑いながら殺した事も――。凄まじく狂っているのです!」

 ◇

 事を重く見た信長は、安土まで家康を召致。
心中穏やかでないのは明白であるにもかかわらず、至って冷静に諭す温度がかえって怖さを増幅させる。

わしは何度もお前に頼んだはずじゃ。徳姫を大切にしてくれと……。それがどうじゃ。また信康の狂乱に震え上がり帰って来たではないか――。
お主の正妻 築山殿は武田の医師と密通(不倫)、息子共々揃いも揃って武田に付き、お前の暗殺を企てておるのじゃぞ。――裏切り者はいかがいたす……。
家康の思う通りにすれば良い――」

 自分だけでなく、信長をもほろぼそうとした身内の不始末に、家康は床にり込むほど平伏し切る。

「誠に恥辱の極み――。弁明の余地もございませぬ。二人に問い質した所、少しの齟齬そごあれど、概ね認め深く陳謝して参りました。
息子らの近臣は二人を一切庇う事なく、全て事実だと認めております。
恥晒しの処遇を一任して下さった御配慮に、厚く御礼申し上げ奉り候。信長様の御心みこころに適う様、此の家康、何時如何なる時も信義を貫き、厚く忠義を尽くす所存にございます」

 ◇

 家康と築山殿は桶狭間おけはざまの戦い以降別居状態にあり、彼女はずっと信康と暮らしてきた。だからこそ信康が幽閉された城へ、彼女も向かう。

 其の道すがら、護衛の家臣より自害を迫られた築山殿は、頑なに拒んだ。しかし家臣は、金蘭や銀蘭の花々を愛でる後ろ首をね殺害。
幽閉されていた信康に母の最期が報されると、彼は後を追うように切腹。

 二人の首は安土城の信長の前で、並んだ――。




“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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