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人間の原始の思考から”溶ける”デザインについて考える(2/2)

liloデザイナー 古谷阿土です。
前回のnoteでは原始の人間の思考を探り、そこから愛着の発生源を探りました。そして、人間と道具の心理的な境界線は存在せず、また、養老孟司先生の言葉をお借りして人間と自然の物理的な境界線もまた、存在しないことを確認しました。そして、この全てにおいて境界線が存在しないという感覚を”溶ける”と表現し、デザインにおいて最重要視していると話を進めました。

今回のnoteでは、そんな”溶ける”感覚がデザインにおいて何故重要なのか、考察を進めたいと思います。私の主観的な意見ばかりを並べているのでどうか温かく読み進めていただけると幸いです。

人間は大きな流れの中で流動的に生きているという感覚。

非常に東洋思想的なのですが、私は、人はひとつの大きな流れの中に生きていると考えています。
その大きな流れの中には、年月の流れ、気の流れ、体の流れなど無数に流れがあり、それぞれが関わり合っていて絶えず流動的に動いています。なので、毎日全く同じことは起きませんし、似たような日々でも少ずつ違った毎日を送っています。

江戸時代の儒学者、貝原益軒の記した健康に関しての指南書「養生訓」では人間の体や心の中には気が流れていて、それが外的な気の流れ(天気や気温、近くの人の機嫌など)によって影響をされ体調や気分に影響を及ぼすと記されています。そして、規則正しく節制した生活を送ることで外からの気の流れに影響されにくい強い気を体内に循環させることができると展開します。

このような人間生活を大きな流れとイメージする思考はアジア東部によくみられます。インドのアーユルヴェーダや中国のタオイズムなど細部は違えど同じような思考系統です。このあたりもとても面白いのでnoteにまとめようと思います。

少し横道に逸れましたが、この大きな流れをイメージすることが”溶ける”デザインにおいて非常に重要だと私は考えています。

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引用:https://museprintables.com/download/how-to-draw/how-to-draw-a-yin-and-yang-symbol/

道教の思想の根源となった陰陽道のシンボル、太極図です。森羅万象は常に隣り合わせで流動していると示しています。

流れの中に生きているからこそ”溶ける”必要がある。

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人間は流れの中で生きていると話しましたが、絶えず流動的に生きているからこそ、道具がそこに”溶ける”という感覚が必要です。

例えば、流れの中に大きな石を投げ込む様な刺激的な道具は、初めは大きな波紋を描きますがその石が底に沈んでしまうと、なかったかのように忘れさられてしまいます。
しかし、その流れに溶け込む様な道具は、常に寄り添うように永く人生に作用を続け、愛着をもって大切に使われます。
前者の例は、一過性のトレンドアイテムなどが挙げられ、後者はいわゆる用の美を携えたシンプルな道具であることが多いと感じます。

この視点で私の身の回りを見回してみると、やはり強く愛着を感じる道具は私の生活に溶け込んでいて特別感も異質感もありません。ただ、強い愛着だけが存在しています。
この状態こそが道具と人との正しい関係で、デザインはこの関係性をさまざまな切り口で再現していく作業なのかなと私は考えています。

人間生活に溶け込む道具の条件。

ここまで人間生活を大きな流れに見立て、その流れに道具を溶け込ませることの重要性と効果を見てきました。ここからは私が大事にしている”溶ける”道具を作るための考えを書き連ねていきたいと思います。

初めに、異質感の排除について。
私は全く何もない状態から新しいものが生まれることはないと考えていて、自らの経験や見てきたものの記憶の蓄積の中で、異なるもの同士が合理的に繋がり新たなものとなって出てくるというイメージを持っています。
注目されている建築やプロダクトなどのデザイナーのインタビューを読んでいると必ずその着想源に言及しているように、どんなに新しい概念をもたらしてくれるものでも、非常に遠い領域のもの同志の掛け合わせの上に成り立っています。

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引用:https://high-brands.com/interior-product.php?id=31

世界初のスチールパイプ椅子、ワシリーチェアです。当時椅子のフレームは木製が基本でしたが、デザイナー、マルセル・ブロイヤーはここに自転車のフレームをmix。冷たい印象のスチールパイプに自転車のフレームの既視感を纏わせた結果、その後の椅子のデザインに大きな影響を与える名作が生まれました。

着想源に対して様々な面で忠実になることで、そのものが持っている既視感を帯びることができ、異質感を排除することができます。そうすると、スッと人間生活の流れの中に溶け込んでいくように私は考えています。

そして、ひたすらな機能集約が大事だと考えています。
生活に道具が溶け込むためには、使用に際してストレスがないことが大前提です。そのために、無駄な機能を省き、一つのデザインにできる限りの機能集約をする必要があり、この機能集約は加飾とそぎ落としのプロセスを経て完成します。

ここに、いわゆる民藝品の発展過程を当てはめて考えると、とてもスムーズです。民藝品とは、民衆的工芸品の略語です。大正時代に柳宗悦によって提唱された民藝運動によって作られた言葉で、日本の無名の職人たちによって作られた生活の道具をさします。

その道具が使われることに極限まで忠実で、だからこそ無駄がなく質素で美しいという用の美と名付けられた新たな価値観を生み出しました。
民藝運動に関して懇々と語ったnoteがあるので、よかったら読んでみてください。


この、用の美を備えた民藝品の発展過程は、生活の中で長い時間をかけてじっくりと無駄な機能が削ぎ落とされ、機能が集約されていき自然にスリムで美しいものになったものですが、ここにはデザインの意図が存在しません。ひたすらに使用に対して忠実であったからこそ長い時間をかけて最適化されたようなイメージです。

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引用:https://www.takashimaya.co.jp/shopping/interior/roji/0500004882/0500004893/0500004902/product.html?p_cd=0001362293&sub_cd=001

民藝品の代表、南部鉄器の鉄瓶です。一見デザインの様に見える表面の突起は表面積を増やして保温性を高める狙いもあるのだとか。これは格好良すぎますね。。。

デザインの意図を持って、この民藝品の発展過程を辿ることが機能集約において非常に良いヒントとなってくれます。
とことんそのものに加飾できそうな機能を挙げ、それを搭載した上で使用者の立場に立ち無駄な機能を削ぎ落としていく。日本の手仕事の現場に立つ無名の職人さんたちが、私にかけがえのないとても大事なことを教えてくれました。

思うままに書き連ねていきましたが、人間生活に道具が溶け込むことは、いかに使用者の立場に立ちトゲをなくし、柔らかく優しいデザインをできるかという点に尽きるなと思います。

最後に。

今回のnoteでは、原始の人間の思考を元にliloのデザイナーとして最重要視している “溶ける”デザインについてこってりと考察しました。お買い上げいただいたお客様のもとで一生愛されるような道具を作るため、極限までお客様の立場に立ち、どうすれば心地いい時間をliloを通じてご提供できるか。liloの思考のひとつの局地として”溶ける”という言葉に行きつきました。

しかし溶けるという感覚に終わりはありません。

これからもliloは”溶ける”感覚を追求し続けます。

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私たちが作り上げているliloを下記のリンクよりご覧いただけるととても嬉しく思います。


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