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#ゾンビと僧 9

アキラの日記
 
私には目標がある。働く大人たちの健康寿命をのばしたい。父を亡くして以来、働く大人たちへのケアが必要だと感じるようになった。父の生活は仕事と家庭の往復で、いずれの場所でも彼は責任と義務を背負って生きていた。私たち家族は父の疲弊を気にかけたが、彼は私たちがそのような素振りをみせるといつも大丈夫だよといって、立ち止まろうとはしなかった。父は植物生理学の研究者で、家のそこら中に研究とインテリアを兼ねた植物があったが、父が亡くなってからは世話が大変なので、近隣の洒落たお店や緑好きな人たちにもらってもらった。すると家の中がとてもすっきりして新鮮な解放を感じた。この充足は父の死とひきかえにもたらされたものであったから、いささか不謹慎に感じつつも私は母はどうかとたずねると母も私と同じで不思議な充足に満たされていた。私は父が亡くなったのはこの緑のせいじゃないかと疑った。
 
直接的にも間接的にも父の生活は緑で埋め尽くされていた。毛細血管のすみずみまで緑だった。父の生活のどこに私たち家族は存在していたのだろうか。私たち家族は父の死に涙しつつ、父の所持品を整理して、法的な手続きや関係者への連絡や、遺産整理、日々のお金のやりとりなどリアルで具体的な処理がつぎからつぎへとやってくるのに辟易した。父の死後しばらくの間故人を悼む余裕がなかった。私は父の死を母とふたりで思い出に耽りつつ過ごしたかった。しかしこの国が法治国家である以上私のこの想いは叶わない。残された者は死者の除籍をしなければならないうえに、その他の慣れない手続きが山のようにある。死者を悼む余裕さえない。人は死んでからも忙しい。
 
葬儀を切り盛りする残された者が健康な生産年齢である期間に、年長者はなるべく死なないで欲しい。健康体を維持して長生きすることを目的として私はジムをつくった。適切な運動をして身体の免疫機能を持続させ、さらには家と職場に限定されていた働く大人の生活空間に強制的に運動を放り込むことで、彼らのメンタルの風通しをよくすることができるのではないかと考えた。滞留すると澱むから動かすの発想。
 
ジムの経営は順調で、やっぱりみんな第三の場を必要としていたのだと思う。家と仕事と運動。運動をして身体を動かそう。澱みをなくそう。それからはやく死ぬと残された者たちに迷惑をかけるから、適度に長生きをするように。ジムの競合はエンタメだと思う。現代のエンタメはゲームやネトフリやエロコンテンツだからなかなか手強い。身体を動かすのが好きな人は主体的に運動を志向するのでいいのだが、そうじゃない人に運動してもらうのはひと工夫いる。ゲーマーやネトフリはだいたいが強めのインドアである。彼らは細胞レベルで運動不足を感じていて、ちょっとしたプロモーションをかければ身体を動かす気にもなってくれるのだが、エロコンテンツは中途半端である。エロコンテンツの正体はエロだが、そうかといって彼らは自慰さえも運動ととらえる節があるので絶対的な運動不足の自覚がない。だから彼らの脳細胞はエロで埋め尽くされているので健康や運動を仕向ける隙がない。運動不足でも健康でいてくれたらいいのだが、おそらく生物体としてこの理屈は成り立たないだろう。エロい大人をジムに仕向けるにはどうすればいいか課題である。

つづきます

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