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田中圭さんファンミーティング2024でろう者のわたしがうれしかったこと


はじめに


2022年の田中圭さんファンミーティングで下記のnoteを書かせて頂いた。あの時のことは忘れないだろう。

https://note.com/lilielily/n/n716184a7645e

今回2024のミーティングでもろう者の私にとって嬉しくて、絶対忘れらなくて、noteにしたためたいと思うことが2つあった。ろう者で推し活していると色々壁もあって気力がなくなったり凹んだりすることもある。
それを包んでくれるような、それこそこれからの気力をチャージできるようなことだった。

1 伝えるということ・伝わるということ

2022年初参加したファンミーティングから2年。
『たなかけい ファンミーティング2024 ゆる~っとチャージ。』の名前で再びファンミーティングが開催されることになり、私は2回参加できることになった。
前回と今回と一番違うところ。それはお見送りはないけど、主役が会場を歩き回ってどんな奥の席でも2階席でも近くで顔を見れるようにしてくれたことだ。
必然、ボード(スケッチブック)やうちわを作って、見てもらおうという参加者が多分回を追うごとに増えたと思う。

さて、私的1回目。7/5初回昼のあとの夜に参加した。当然前準備では内容が未知だったから、お見送り仕様のスケッチブックを作っていたけど、目の前を通ってくれたけど掲げることはちょっとお見送りに合わせた内容だったので難しいなと思った。だからこんなに田中圭さんも近くで見られるなんて〜!と目をうるうるして見守るのみだった。なんとすらっとしてて、足が長くて、肌がきれいで、白くて、横顔が素敵なんだろうと熱い目線を送った。

次は2回目。どうしようか。
うちわはなんとなく恥ずかしくて作ろうと今までは思わなかった。作るのが大変そうというのもある。
でも推し活コーナーで小さめの黒いうちわを売っているのを見て、これならできそうかも…と、初めてうちわを作ってみた。参加する5日前から夜なべして何種類か作った。アプリで簡単にできることを知り、便利な世の中だと感心した。
途中でこんなハートとかつけたうちわ、私があげてよいのかと恥ずかしくなりかけたけど、なんとか作り終わった。

ハートだらけ💕


うちわができたあと
傍らのスケッチブックを見た。
どうしようかな。うちわで充分かな。
でも前回せっかく書いたのに掲げることができなかった。最後の退場の時にチャンスがありそうなら掲げてみよう。
そう思い、うちわと違い、手書きで手作り感が満載のメッセージをスケッチブックに書いた。
うちわとスケッチブックはファンミのグッズの鞄にピッタリ収まった。
時間は前日の3時をまわっていた。

そうして迎えた、ラストから2番目の7/20横浜昼。
田中圭さんはやっぱり2階席から現れたし、通路を縦横無尽に歩き回り、トークの途中で私のすぐ前を通ってくれた。すかさずうちわを掲げてみたけど、真ん前だと案外視線が遠くになるので(背が高いからなのもあると思う)、視野に入らなかった。でも目線をあちこち細かく飛ばしていろいろ見てるのがわかったし、声で答えている様子が見てとれたし、片手でハートを作ってるのも見た。「指ハートして」とでも書かれていたのだろうか。

そして本当に最後の退場の時。心臓がすごいバクバクしていた。どうしよう。スケッチブック出しても薄暗いし視野に入るの難しいよね。でもせっかく書いたし…
私の座右の銘?が「やらない後悔より、やって後悔」である(苦笑)
ええい、神さま!(なんの神さま?)
震える手でそっと開いた。
圭さんはステージを降りてちょっとわたしからは離れた通路を上がり、交差してるところでそのまま私とは反対方向に曲がって退場しそうだった。曲がり角に来た時ちょうど、数メートル。私のスケッチブックを圭さんの視線がとらえた。
その瞬間、表情が変わって(一瞬私がページを何か間違えた?と思ったくらい変わった)、目を合わせて「ありがとう」とわかるように口を動かしてくれて、そして、手をちょっとあげて「ありがとうね」というような気持ちを表してくれた。
スローモーションに見えたけどほんの一瞬のできごとだった。
見てくれた…!
身体の震えが止まらなかった。

スケッチブックを書く時、私は心に決めていたことがあった。それは耳が聞こえないと書くこと。

結構ごちゃごちゃだ よく読めたなぁ…

わざわざ耳のこと書かなくてもいいんじゃないかと思われる方も多いだろう。
でももし読んでくれたとして、その後の反応がわたしには聞き取れないのだ。目線が合わないと自分に向けてくれたものかすらも分からない。そしてそれに対しての自分の反応もできない。
前にちょっと似たようなシチュエーションでわたしが耳のことを書かずに声だけにしたばかりに怪訝な顔をされたことがある。多分声かけたのに反応がないなって。私は圭さんにそんな怪訝な思いをさせたくなかった。そんな顔をさせたくなかった。ずっと後悔していた。まさにやらなかった後悔だった。

だからあえて耳のことを※印つけて書いた。
田中圭さんは歩きながら瞬時にそれを読み取り、聞こえない人だと認識してくれたんだと思う。
しっかり目をみてくれた。手もそっと動かしてくれた。私も慌てて、受け取ったことがわかるよう、圭さんの届いたよ!と、ぺこっと頭を少し下げることができた。キャッチボールがぽーんぽーんぽんとかえった。

反応してもらった皆さんのレポを見る限り、本当にいろんなことに気がついて、いろんなところを見ている。見えたものに対し、咄嗟に的確かつ、ウイットに富んだ最適解の反応をしてくれている。今回も私に確実に伝わるやり方をしてくれた。2年前に「ありがとう」の手話を正確に読み取り、また返してくれたように。

その優しさにじんわり心があたたかくなった。ろう者だと字幕や手話がないとわからないとか、いろんな壁に凹むことも多いけど、なにかが満たされて、そう、ファンミーティングの名前のとおり、チャージされた。

皆さんのうちわやボード(スケッチブック)には想いがこもっている。視野に入らなくても、入っても、うちわたちにかけた時間と想いは同じ。

掲げていいのかな、恥ずかしいな、という気持ちはあったけれど、反応が欲しいというよりも、何よりファンミを開いてくれたお礼は言いたかったから。感謝の気持ちでいっぱいだよって。「共有」してくれようとしたその気持ちがうれしかったよって。伝えたかったから。
伝わったのだとしたらうれしい。読んだのを確認できて嬉しい。それに反応できて嬉しい。

私の好きな人はやっぱり素敵なひとだった。

目を閉じれば、明確に思い出せる。
あの時のスローモーションにも思えた光景はそっと心の中のだいじなものを入れる箱に仕舞った。
それは、ほんわかとした、やさしい、やさしい色をしている。

↓(供養)最初の東京の時に出さなかったスケッチブック。こっちの方がキチンと書けてるな…(苦笑)2回目はうちわでちょっと力尽きてた。

2その場でわかるということ

ここからは少し固いお話。
ふたつ目は手話通訳者に同行してもらってファンミーティングに参加できたこと。私の近くの席の方は気がついておられたのではないだろうか。
実はファンミーティングは開催地ごとに運営会社が分かれていて、東京と横浜は同じ会社だった。
問い合わせたところ、同行可とのお返事をいただき、同行してもらってファンミーティングに参加した。通訳していると飲み物も飲めないので通訳者はチケット代(お土産はなし)もワンドリンクも免除。参加者として楽しむのではなく、同行という形だから。
実はこの春、2024年4月から障害者差別解消法の改正がなされ、行政だけでなく事業者も合理的配慮の提供が義務化になっていた。今までの努力義務から義務へ。それはエンターテイメントの世界でも同じことで、一つの企業として字幕やサポートを付けることを考えてほしかった。
問い合わせたとき、色々確認してくださったようで、検討しますではなくて、すぐ対応可のお返事をいただいた。
それが嬉しかった。
その場でわかるということ。これが一番大事。
みんなと同じタイミングで笑い、トークの行方を一緒に見守れる。
圭さんが笑ったり、面白がったり、悔しがったり、焦ったり、いろんな豊かな感情をみせてくれるのだけど、どうしてそうなっているのかみんなと同じようにわかるということ。孤独を感じずに楽しめること。当たり前のようでいて、わたしには難しかったから。
もちろん全てを完全に通訳できるわけではなくて、直前に舞台があって、その名前がメディスンで圭さん演じる主人公がジョンということは知らないから、メディスンとか聞こえるけど合ってるのか不安だったらしいし、ジョンって誰?という状態だそう。また、『歌うたいのバラッド』を歌ってくれたのだが、その歌を通訳者さんも知らなくて、「うたうたいのバラ?」となって、お互い「???」となったが、あとで私がSNSでみて、「バラじゃなくてバラッドだよ」と教えたら、そうか!となっていた。その方の知識とか得意分野がどうしてもあるから、同じファンの方で通訳できるレベルで手話ができる方がいたら過去作もキャラクターも台詞も知ってるから最強だろうなと思う(いませんか?!苦笑)
あと、本来通訳は話し手と通訳が同じ目線になるように対面でやるものだけど、横並びでやってくださいとなったから圭さん見たり、通訳さん見たり忙しいし、ずっと圭さん見ていたいけど見れない。そして90分程度の時は通訳者は交代交代でやるものなのだけど、一人のみということなので一人の方に頑張ってもらった。
また運営会社により異なるので次も同じ対応していただけるかは実はわからない(チケット代不要など)できればこれが当たり前になってほしい。
全てを希望通りには行かなかったけど、やっぱり同行できてよかった。
例えば、理想の上司は?という質問で答えが圭さんの予想に反して、小牧だったとき。
膝から崩れ落ちて「つえぇ」と言ったと通訳してくれたんだけど、その「つえぇ」という言い方がチャーミングというか人柄がでている。
「強いなー」だとまた違うし「つえぇ」だったんだと分かるのはファンとして大事なことだ。ささやかなことだけど。師匠が関西弁なのもできるかぎり口形で再現してくれていた。
歌うまえに、いったん終わりのふりをしてはけるときも、ちょっとわざと軽めの言い方をしてるんだろうけど、通訳も軽めにしてくれたから口調の軽重がわかった。
いろんな情報がいっぱい詰まってて、宝箱のよう。それを一つ一つ味わえる贅沢さ。
これは通訳者がいないと味わえなかったと思う。
本当にありがたかった。

終わりに


いろんな方に支えられて私は推し活ができている。感謝を忘れずにいたいし、伝えていきたい。
期せずして「ありがとう」ということばにまつわる話となった。「ありがとう」は大切なことば。大切にしたいことば。

圭さん、ファンミーティングありがとう。
顔の見える会場がいいといい、できる限りキャッチして返そうとしていた田中圭さん。参加者はその他大勢ではなくて、ひとりひとり見たいというその姿勢がまた虜にさせるんだ。
大変だと思うけど、またファンミやってね。楽しみにしています!






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