違いがわかるとはどういうことなのか。見えればあるが、見えなきゃないのと同じ。
結局のところ、見えるかどうか、です。
見えたらわかるし、見えなければわからない。
見えた人にはそれは存在するし、見えない人にはないのと同じ。
仕事のできる人には見えるし、そうじゃない人には何が違うかわからない。
気の回る人には見えてるけど、そうじゃない人はいつまでも気がつかない。
身の回りでもそんなこと、ないですか?
かく言うワタシは、まったくもって見えてませんでした。
何がといえば、壁面にずらりと飾られた能面、全部同じに見えてました。
今からさかのぼること4年前、「能面師」という師匠の生き様にビビッと来て能面打ちをはじめたわけですが、正直「能面」のことを何一つ知らなかったんです。
全くのド素人。知識も経験もゼロからのスタート。
「やります!」と言ったはいいものの、壁面にずらりと並ぶ女面たちが全部同じに見える始末。
どこがどう違うの???
とにもかくにも習い始めてお手本を見ながらとにかく彫る。せっせと彫る。
能面歴の長い諸先輩方が目の形がどうの、鼻の形がどうのと話しているのを聞いていてもチンプンカンプン。言っている意味がさっぱりわかりません。
とにかく師匠の手本をたよりに、無我夢中でひたすら彫る。
そして月日が流れたある日。
「ん?」
ふと壁面を見上げて、びっくり!
ある日突然、壁面の女面たちが全部違って見える!!
種類の違いが分かるようになったんです。
わかったら、見えた。
見えたら、わかる。
今まで見えなかったものが見えてくる。
不思議です。
そしたら、見えていなかった時には「ちゃんとできた」と思えた作品の、「ここもダメ。ここもできていない」というのが突如浮かび上がって見えてくる。見えなかった時には存在しなかったアラやら不出来な箇所がアチコチあるわけです。
見えない時には存在しなかった。
見えたら、ある。
それはなんにも変わってないのに。以前とまったく同じはずなのに。
もし仮に、技術的に上手であったとしても、見えていなければ直しようがないわけで。見えてはじめて直せるわけで。
つまるところ、見えるかどうかにかかっている。
今では種類もわかるし、細かな違いも見てとれるようになったし、誰の作品かとか、ほんのわずかな表情の違いなんかも見えるように。
恐らくこれには際限はなく、これからまだまだ見えるようになることがあって、わかるようになることがあって、と続いていくのでしょう。
これは能面の話だけじゃなく、何事にも言えること。
いくら言ってもわからない人は、見えていないのかもしれないし。
自分も見えているつもりで見えていないこともあるだろうし。
もしかしたら見えない方がいいってこともあるかもしれない。
見える人がいる一方、見えない人もいるってことを知っておくだけでも、また見え方が違ってくるんじゃないかな、なんて思います。
能面をやっていて面白いなぁと思うのは、作ること以外にもこうした気づきがあること。
能面道、奥深し!
そんなわけで、これからもがんばって精進してまいります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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