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小説 三年経ったら

彼女は僕の3人目の客だった。美容師になって、僕にもお客さんと呼べる人が出来て、それだけで満足だった。彼女は3人目の客だが継続して僕のところに来てくれる、そんな人は彼女しか残らなかった。
彼女が初めて来店したのは三ヶ月前、閑静な街にあるこの美容院に彼女は来た。

今から髪を切ってもらえる。予約はしていないんだけど。大丈夫ですよ。そうなのよかった。

僕の前に座る彼女は携帯を慌ただしく操作する。なんてことはなくてただ僕の手をじっと見ていた。なんとなくやりづらさを感じて、どんなご希望がありますか。どんな感じに。と目線を遮った。彼女は僕の手から目を離して枝毛を切って欲しい。とだけ伝えた。枝毛。枝毛を切る。そんなメニューはないし、そんな経験もない。彼女は目線を少し下に落としていた。このまま。
僕は彼女の枝毛を切り始めた。僕の手には簡単にはおさまらないと逃げるようにさらさらと滑り落ちる。光を通さない色が僕には対照に眩しかった。
僕は見せた。僕の初めての経験を。初めてのお客さんに。彼女はその、彼女の持つ髪と似た色の瞳に光を通してはにかんだ。

今、僕はどうしていただろう。彼女の瞳を見て、何を思って何をしていただろうか。しばらく彼女に見惚れていたのだろうか。彼女は帰る準備をしていた。
また来てください。ありがとうございました。
何を言うべきか思いつかなかったのに言いたいことはまだあった。そんな意識だけは僕に残り続けた。

来た。姿を捕える。
長さはどうします。いいの。このまま。
彼女のために枝毛を切り、また言いたいことを言葉に乗せず彼女を帰す。
三回目の彼女は、あと何回来るかな。どう思う。短いの、あたし似合うかな。
彼女は僕の手から目線を外し、大きな瞳に僕を光と共に吸い込んで言う。
僕には意味がわからなかった。なんでそんなことを聞くの。なんでも似合うと思うよ。
最後に来たのは確か三月。彼女は来なくなった。僕が枝毛を切った。もう充分になったのだろうか。そんなことを考えつつも、彼女の感触、手触りは他の人の髪を切って、切っても、消えなかった。

あれから三年が経った三月、彼女には僕の記憶のままで。
僕が瞳に映していた彼女のままで。飲み込まずに、言葉に乗せたい。このまま。



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