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現代アートを考える

現代アートは大体なんでも自由だし、アートって言ったもん勝ちがする。でもそれまでのアートと比較したら、なんか悲壮感というか社会に対する絶望感みたいなものが見える気がして、見ていると体力が奪われる。昔の絵画とかもその時の社会をある程度は描いていたのかもしれないけど、(私にはそれを理解できるほどの経験と知識がないだけというのもあるが、)パトロンの指示のもと、もしくはアカデミーの評価基準にあったものとなるときっと難しかったんじゃないかって。(美術での近代っていつだろう。)


ポップアートとかでも色とか構図は明るい雰囲気があってもなんだか見てると虚しくなってくる気がする。

宗教画、平面的・立体的な絵画、遠近法を使った絵画、写実的なもの、自然に注目したもの、色の濃淡、光に注目したもの、幾何学的なもの、抽象画、立体の全ての面を平面に落とし込もうとしたもの、もはや現実の域を超えたもの。

前は現代の写真、もしくは目に見えないものを描く(宗教画とか物語とか?)のような存在であればよかったものが、写真や動画が一般的な存在になったことでアートの範囲がみてもわかるものじゃなくなったというのが大きいのか。


社会が転換期にある時って、その他のものも同じく変化していく。社会的なつながりが強い美術は、政治にも利用される。数日前に行ったスウェーデンの美術館(Moderna Museet) では建築と政治のつながりのパネルで「1920年から数十年、建築は民主主義と福祉を促進する見込みのあるものだと見られていた。建築家と政治家は全ての人が平等な国をつくるという共通のビジョンを共有していた。…(意訳)」と紹介されていた。イタリアのファシズムでも芸術は大いに利用されていた。そしてスウェーデンの近代建築はイタリアのファシズム建築と似てる気がした。同時代だからかな。伝えたいビジョンが違うけど。人間にとって、家(建築物)からの影響は計り知れないなあと。どうやったら人間がどれくらい影響を受けたのかわかるんだろう。

Giacomo Balla, Velocità d’automobile (1913)
Moderna Museet, Stockholm, Sweden


Giacomo BallaのVelocità d’automobile(1913)を初めてみたんだけど、想像していたのより大きくてびっくりした。

そういえば1930年のストックホルム万博がターニングポイントとして説明されていた。よく知らないから、今度調べてみよう。


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最初の話に戻るが、現代アートは(もちろん全部じゃないが)悲しく感じる。私が悲観的なだけかもしれない。というかむしろ恐怖かも。なにか得体の知れないものを見ているときの。作品を通して作者の感性を見るのが少し怖いのかもしれない。でも嫌いじゃない、むしろワクワクして美術館に入る。

経済成長し、なんでも自動化する世界で人間ができることは、考えることだけ。今人力でやってても結局は機械に置き換わる。考えることさえ置き換わるかも。そんなVUCAの時代。

毎回脱線するが、今回は見てて疲れる現代アート(ほぼ2つの世界大戦の頃の)について。




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