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遠くて思ったより近い

「この街は私には合わないな」「OOの人たちは全く英語が話せないんだよ、信じられないよね」「観光する分にはいいけど、住むのはちょっと」「早くほかの街に引っ越したい」「夏は北欧でバイトしようかな」

最近こういう言葉を聞く。悲しいかなイタリア人の友達はほぼ0なので、エラスムス(EU圏の留学プログラム、大体1セメスター留学することが多い。)の人たちか、他の地域から来た正規学生(私の取っているコースは英語開講が多いため、イタリア語が話せない学生が相当数いる)たちなど様々。

私も渡航し、そろそろ2か月が経とうとしている。来てすぐはローマを東京とケアンズ(オーストラリア、高校時代の留学先)と比べた。先日アテネに旅行した時は、いろいろなところを今度はローマと比べた。

・物価
・人々
・公共交通機関
・言語
・食
・文化
・衛生面

比較するものはたくさんある。確かに比べてしまえば優劣が出てくるし、好きな都市・住みたいと思う都市が出てくる。人によって国籍、文化、それまで経験した人生は異なるし、何を一番に優先するかなども違う。


住んでから気づいたことだけれど、ヨーロッパって広くて狭い。島国で生まれ育った私とは感覚が違う。全部陸続きだし、列車やバスで国境が越えられる。もちろん当たり前のことだし、わかっていたつもりだったけど実際国境の行き来が激しい。気づいたら、友達がスペインにいたり、イギリスにいたり、モロッコにいたり、そして次の日には普通に授業に来てる。EUを作ったのも頷ける。

そんなヨーロッパを拠点にする人々は、エラスムス制度を利用して複数の大学で授業を受けることが普通の事だし、国は違えど、まあそこそこ似たような国で生きているし、その結果言語も複数話すようになる。

ちなみにオーストラリアは違った。まだ高校生だったというのもあったが、海外との距離感は日本と同じような感じだったように思う。近めのニュージーランドでさえ遠かったし、言ってしまえば私の住んでいた北東部から、南西部(例えばパースとか)なんて違う国みたいな感覚だった。(実際オーストラリアは大きいのだが。)

まあ、そんなこんなでヨーロッパの距離感というのがなかなか新鮮。だからこそ、どこに住むか、という話が出てくる。その国の言語が話せなくって英語さえ話せれば最低限の生活はできるし、仕事さえあれば正直どこに住んでいても同じようなもの。そんな雰囲気を周りから感じる。

「現地語を話せなくても、仕事さえあればどこでも!」という感覚に違和感を感じないかといったらちょっと嘘になるし、4年間(人によっては5年間)一つの言語(もしくは複数言語)を学び続けている外大生としては、そんなわけあるか!と言いたくなる。でも実際私の周りの友達は英語のみでイタリア生活をしてるので、まあそんなもんか、とも思ったりもする。

私はむしろ、「イタリア留学してるんだからイタリア語で話さなきゃ!」と自分にプレッシャーをかけ続けていたのだが、ある日ちょっと疲れて、英語で話してみたら意外と通じて「なんだー英語でもいいのか」なんて思ったこともあった。


多くの人には、そんなこと当たり前でしょ、って感じかも。文字にしたら大したことないけれど、私にとってはなんだか新しかった。
ヨーロッパ内はインターナショナルで、同時に閉鎖的(ユーロセントリック)。東アジアなんて遠すぎて未だによくわかってない人が多い。それが私の今の感想。

A presto! またね!

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