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【1周年】年間ベスト記事

note を始めてなんとか 1周年を迎えられました。これもひとえにフォロワーの皆様のお力添えがあってこそ、本当にありがとうございました。

投稿記事が先週時点で55本。プロパー記事の文字数を考えると、毎週土曜の週 1アップを続けられたのは、自分自身を褒めてやってもいいのかな、と思います。そこで、今回はぼくの記事におけるスキ数💓ベスト5を皆様と共有しながら、この一年を振り返りましょう。コレやるの、念願だったのです。ビュー数もスキ率も度外視して、純粋なスキ数💓のみのランキングです。それでは、カウントダウン方式で第5位から (ドラムロール)。


スキ数ベスト5

(一般ウケのよかった記事)


第5位「NSに聴く曲5選」💓76

サブ企画「XXに聴く曲5選」で最多スキのこの記事が、総合の第5位に入りました。最初にスキ数60を超えたのは「TCに聴く曲5選」だったのですが、いつの間にか「NS」のほうが追い抜きました。きっと YMO追悼の NHK番組とうまくリンクしたからでしょう。その実、フュージョン特集の一面もある記事です。ぼくとしては、泉陸奥彦を紹介できたことでけっこう溜飲を下げた感があります。ところで、ビュー数の上位常連にずっと「BTに聴く曲5選」と「JKに聴く曲5選」が入っており、スキ数は全然のびない、といった不思議な現象が続いています。最近になってその理由が判明。前者は「BTS」と勘違い、後者は「女子高生」と思い込み、ぼくの記事をクリックしちゃった、という双方に失望だけが残る現実。


第4位「The Police 20」💓79

Spotify の自作プレイリスト解説のなかでもっともスキ数を集めたのが、このポリスです (総合で第4位)。楽屋話で恐縮ですが、ぼくの note の一義的位置づけにある自作プレイリスト解説に限っては、なぜか作者側の熱意/達成感と読者側のレスポンス/スキ数が順相関にならないことが多いのです。ところが、このポリスだけは例外。つまり、ぼくも自己満足していて、かつ読者のスキ数も多かった、というきわめてハッピーな結果になっています。なので、喜びも倍増です。この記事、投稿直前に600文字ほどバッサリ削除したのも、あるいは良かったのかもしれません。

ちなみに削除した部分は、シンセ導入と 3ピース・バンドのサポート・メンバーの必要性について。別の記事でまた書くかも。


第3位「1983年の英国ライブ」💓88

第3位は、イギリス留学中のおもいでのライブ記事。タイトルの頭に年号を付けたのは、のちのちぼくの人生を回顧するときのインデックス代わりにするためです。「1973年プログレ絶頂説」で最初に試してから、なんとなく続けているうちに定型化しちゃった感じ。イギリス留学中の体験は、他にも記事ネタとして面白そうなものがたくさんあるので、この調子でもっと続けてみたいですね。

それにしても、ぼく的に驚いたのは Peter Hammill や The Enid の知られていないこと。BLOG全盛時にはプログレ関連の強者ブロガーが多数いて、VDGG あるいは Peter Hammill といえば、もう1・2を争う叙述対象だったように記憶しています。あの人達はどこへ消えたのか、あるいは、note の認知がまだまだ広がっていないのか。いずれにしろ、ぼくの聴いてきた音楽がずっとマイナー路線だったことに改めて気づいた次第です、ハア〜。


第2位「ロック史に輝く名曲」💓91

第2位のこの記事は、↑ の「The Police 20」という瓢箪から出た駒みたいなものです。ポリスの「孤独のメッセージ」はロック史のなかでも 5本の指に入る名曲だ、と書いたのがきっかけで、あとの 4曲は何だろう、と胸に手を当てたのがスタートですから。執筆中はノーストレスで筆が進み、日頃から漠然と考えていたことをほぼ伝えることはできたかな、と思っています。もちろんスキ数が伸びたのは、扱った名曲が誰もが知る有名なものばかりだからでしょう。ちょっと後ろ髪が引かれるのは、「左手の五指」がイマイチ自分でも納得できていない点でしょうか。右手のオルタナティブとして提出する以上は、もっと斬新な切口が欲しかったのですが (最後の最後でツメが甘くなった自省があります)。


第1位「1981年のレコード店」💓92

輝ける第1位が、このアルバイト雑記。登場人物にユーモアがあり、採りあげた楽曲も松田聖子から大瀧詠一まで J-POP のヒット作品だったことが、たぶんスキ数トップの原因だと思います。多くの読者に懐かしんでもらえたのなら、嬉しいかぎり。着物屋の聖子ちゃん、可愛かったなあ

この記事は身内ウケもよく、続編はあるやろな、といった催促だか脅迫だかよく分からない言葉をもらっています。ぼくがいわゆるポップス/流行歌について書けるネタは、実際に愛聴してきたコンテンツから言っても、そうそうありません。なので、多くの読者からスキをもらえ、なおかつ当時のリアルを知る身内からも認めてもらえるのは、非常に稀なこと。そういった意味でも、ベスト1にふさわしいのかもしれません。

ところで、次なる1年は note の継続をめぐる闘いになりそうです。自分自身との闘いではなく、リアルな世界の外部環境との。

万一 note の更新が難しくなった場合は、そのまま放置することなく、静かに退場しようと思います。もともと目指したところ/最終形態がぼくの終活雑記だったので、最悪ぼくの子孫にだけ残せればいい、あるいは、身内の仲間だけで昔を懐かしむ溜まり場になればいい、と腹は括っています。なんというか、それが最後の拠所みたいな。というわけで、ぼくにとっては第一読者であり、この note の一蓮托生メンバーである仲間たちが、この1年間の記事で特に支持してくれたベスト3を付け加えておきます (スキ数ランキングが表なら、こちらは裏の番外編)。


スキ裏ベスト3

(身内ウケのよかった記事)


裏3位「Bacalov 三部作」
裏3位「はじめてのレッスン」

まず裏3位ですが、二本の記事が同位エントリーです。「Bacalov 三部作」のほうは、ぼくらにとって青春時代を喚起する New Trolls「Concerto Grosso Per 1」を採りあげたことが大きく、身内の誰もが「あの曲でいっぺんにあの頃に戻れるよなあ」と言います。誰にでも、そんな一曲はあるでしょう。ある人にとっては John Lennon「Imagine」がそうかもしれない、また別の人にとっては Whiteberry「夏祭り」がそうかもしれない。で、ユーロ・プログレに嵌っていた当時のぼくらのそれが、まさに「コン・グロ」です。いま聴いても、背筋がゾクッと震えます。

もう一方の「はじめてのレッスン」。こちらは Simon & Garfunkel の名曲のネイティブ・レッスンを受けた、個人的なおもいでの記事です。幼馴染ツーちゃんのことを書きたかったのですが、初稿から決定稿までかなり手を加えました。特に最終章「後日の記憶整理」には難儀しました。スキ数が伸びたのは、もちろん「明日に架ける橋」のおかげでしょうね。ツーちゃんの人柄にも感謝したい気分です。


裏2位「喫茶キャサベル」

裏2位は、ぶっちぎりでこの記事「喫茶キャサベル」です。ぼくらの青春そのものであり、ぼくの黒歴史の拠点でもあります。この記事、執筆中は完全にゾーンに入りこんでおり、添付した動画音源を聴きながら書いていると涙が止まらない状態に。ところが (物書きあるある)、そういう場合に限ってあとで冷静になって読み返すと、とても他人様に見せられるような代物ではないのですよね。投稿する寸前まで、公開するかどうか悩みに悩みました。そしてアップ後、さまざまなフォロワーさまからコメントを頂戴して救われました。お名前を上げるのは控えますが、スキ裏ベスト3にコメントをくださった方々を、コメント欄のスキも含めて、ぼくは生涯忘れないでしょう。衷心より拝謝申しあげます。

身内からは LINEにキャサベル・ネタが送られてきます。あんなこともあった、こんなやつ (有名人) もおった、だから早く続きを書け、という注文でしょう。しかし、コトはそう単純でもなく、作者としてはあれ以上のものを書ける気がしません。というのも、この記事のクロージング部分、全然意図しなかった展開が自然と生まれ、自分でも説明のつかないところで一気呵成に書き切った感があるからです。憑依した、というと大袈裟ですが、文章を書いていると誰にも一度ならず似たような経験はあるでしょう。この種の興奮は、冷静な計算では勝てないものです。


裏1位「13歳の臆病者」

栄えある裏1位は、まさかの「13歳の臆病者」です。まさか、というのは仲間うちではずっと「喫茶キャサベル」がダントツで、それを超えるものは出ないだろう、と思われていたからです。ぼく自身も、書きだした当初はこんな結末を考えてはいませんでした。いや逆ですね、結末だけが先に決まっていて、そこへ至る展開が手探りでした。前半終了部の「恐怖の席替」シーンを両義的に/曖昧にいったん投げだし、ラストで回収する構成は、ぼく的にはかなりの冒険だったのです。そのポイントが作為的に過ぎると批判する読者はいるでしょうし、文学ツウほどそういった傾向があることは知っています。その塩梅が難しい。まあ、しかし、身内のあいだでは概ね好評で、「これは泣ける」と太鼓判を押してくれる友人もいます。

作中の主人公 T田さんは、実はぼくらの仲間全員と同級生になったことがあります。S木くんとは幼・小・中、I 藤くんとは中・高、N川くんとは高、とそれぞれ同窓だったので、この記事が身内の誰にとっても刺さる地盤は最初から整っていたのかもしれません。

結局、身内ウケのよかった記事は、同世代に受け入れやすい内容になっています。そのように創作したわけではなく、それしか書けない、というのが実情ですね。ボケ防止のためもあり、常に音楽シーンの最前線と関わっていたい、ロックの革新性と向き合いたい、といった願望はたしかにあります。しかし、自分を偽ってまで媚びる必要もないわけで、書きたいものを書きたいように書く、という根本姿勢は今後も守りたいと思います。

1周年が終われば「13歳の臆病者」を固定された記事として貼り付けるかもしれません。それを超える新作が書けるまで。




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