Spotify「Mike Oldfield 20」
〜 処女作にはその作家 (アーティスト) のすべてがある〜 、この格言が Mike Oldfield ほどピッタリくる例もないでしょう。Mike Oldfield といえばチューブラ・ベルズ、チューブラ・ベルズといえば Mile Oldfield。彼のプレイリストを作成するにあたり、まず頭をよぎったのはそのことです。とはいえ「Tublar Bells」だけが Mike のすべてなのか、と問われると、即座に NO を訴えたくなるのは、単なるファン心理の天邪鬼でしょうか。
現代ミュージック・シーンの天才 Mike Oldfield。本稿では、その天才たる所以を詳らかにしていきます。昔からのファンとは懐古の情を共有しながら、Mike Oldfield 未経験者には幸せの出会いを願いながら。後者のかた、はっきり言って人生かなり損していましたね。
エクソシストのテーマ
多くの人と同じように、ぼくもまた最初に「Tublar Bells」を知ったのは映画「エクソシスト」のテーマ曲として、です。1974年 (中1)、サブカルに詳しい同級生がやけに吹聴していたのを覚えています。ところが、これまた多くの人と同じように、ぼくもまた Mike Oldfield の音楽そのものにはすぐに飛びつきませんでした。前1973年にはブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大流行しており、あの頃はお祭騒ぎになるような映画が年に一作はありました (翌1975年は「ジョーズ」だったなあ)。要は、どうしてもそっちの話題に引っ張られたわけですね。ただのサントラ盤だろうと。
しかも「エクソシスト」のおかけで、触わりの (出だしの) メロディだけは何度も耳にしました。また、その後プログレを聴くようなると、弱冠19歳の若者がたった一人で「Tublar Bells」を制作した、2400回ものダビングをして、等々の耳年増にもなりました。なので、いつの間にか「知っている」気分になっちゃったのです。そんな状態で LP片面 1曲ずつの大作をいまさら買うのは、かなりの勇気と坦力が要ります。結局ぼくが Mike Oldfield を正しく聴くのは、それから数年後だったように思います。「食わず嫌い」ならぬ「食った気だけの満腹感」で。
初めてトータルで聴いた「Tublar Bells」は、それまでのぼくの音楽体験のなかでも屈指の感動を呼び起こしました。あまりに壮大なロック・シンフォニーが、緑の草原を、吹き渡る風を、荒れ狂う海を、次々とぼくの脳裏に映しだしました。同時に、それはどこかノスタルジックであり、普遍的なヒューマニズムに包まれた優しさのようなものも感じられたのです。この世にこんな音楽があったのか。しかもこの一大傑作を産みだしたのが、全楽器を演奏したのが、わずか19歳の新人。ぼくが立て続けに 2nd「Hergest Ridge」3rd「Ommadawn」を購入したのは言うまでもありません 。
初期三部作
まだ1978年「呪文」は出ていなかったはず。つまり、いわゆる初期三部作を揃えることで Mike Oldfield はコンプリートできたのです。
で、ぼくの評価としては、概括的にはどれも似ていて 1st を 100点とするなら 2nd は 85点、3rd は 120点、といった感じでした。「Hergest Ridge」はややパストラルに寄りすぎた間延び感が気になり、ところが「Ommadawn」ではそれを克服し、かつデビュー作をも超えてきたところに Mike の凄さを思い知りました。とくに「パート1」の12分30秒から聞こえる土着性の強いリズム、そこにかぶさってくるミニマル・シーケンサー、16分20秒から泣きのギターが盛りあげ、17分30秒からはもうギターとパーカッションが超怒涛のスパーク。この凄まじいエンディングにはいまでも眩暈を覚えます。
それで、ぼくがさらに Mike にのめりこんだのかというと、実はそうではありません。音楽性ではなく、カテゴリーの問題でぼくは Mike Oldfield を持て余します。一体このアーティストはどのジャンルに入るのか。まあプログレだろうが、ロックバンドではない。でもコンポーザーとしてもアレンジャーとしても一流で、プレイヤー=ギタリストの腕も申し分ない。天は二物も三物も与える (しかもイケメンだし)。たしかレコード店では、Tomita Isao、Jean-Michel Jarre、Vangelis、などと並んでいたような……。プログレ・バンドの隅で申し訳なさそうに……。
これらのソロ・アーティストはシンセ (キーボード) 中心のコンポーザーであって、やはり違和感は拭いきれません。おそらく、当時のぼくは分かっていなかったのです。カテゴライズ不能の天才に貼るレッテルは「天才」でいいのだ、ということを。あるいは、三部作の完成度の高さに圧倒され、この先はもうないかもしれない、といった無意識の予感が「敬して遠ざけ」ようとしていたのでしょうか。
そうです、初期三部作の Mike Oldfield にはそういったイメージがたしかにあったと思います。繊細で、神経質なオタクっぽく、そのくせ完全主義者のために妥協を許さない。孤高の、という形容詞が「天才」にピッタリであるように。そのうえ音楽雑誌の情報で、やれ Mike が精神的に病んだ、やれ長期療養に入ったらしい、等々が洩れ伝わると、このまま夭折してしまうのではないか、という直感的な畏れさえ抱いたほどです。いや正確には逆で、天才とは夭折する宿命なのだ、という先入観が抜きがたくあったのです。とくに Mike のあの風貌には (やっぱりイケメンだし)。
本国イギリスでの人気
その印象がガラッと変わるのが1982年、ぼくが渡英留学したときでした。プログレの本場で知った Mike Oldfield の評判は、文字どおりのカルチャーショックでした。きっかけはホストファミリーとの会話。「日本にはサキがあるだろ?」「サキ? サケ?」「あれは強いアルコールだろ?」「ああ、酒ね」「知ってるか、ピンクフロイドが日本公演へ行ったときはドラッグが手に入らなかったから、酒を飲んで演奏したんだぞ」「ええ? ピンクフロイド?」。ぼくが反応した単語は、日本酒とは違うほうでした。右も左も分からない異国で耳にしたプログレ関連ワードに、思わず嬉し涙が込みあげてきました。「実はぼくもプログ・ロックが大好きでさ……」。あとは堰を切ったように拙い英語の一人語り……。
ひとしきりぼくは Yes、Genesis、King Crimson、への敬愛ぶりを口にしました。ホストファミリーは満足げに頷いていましたが、しかし Pink Floyd に対するようなリアクションではありませんでした。なんというか、Floyd はプログレに限定されたバンドではない、といった感じだったのです。「じゃ、いちばん好きなのはフロイドだね?」とぼくが訊いたときです。彼はノーノ―と指を横にふり「No.1 はマイク・オールドフィールドさ」と自明のように言いました。Pink Floyd と Mike Oldfield はちょっと別格で、もはや「国民の音楽」ってニュアンスでした。
本場イギリスにおける Mike Oldfield の人気は、日本では考えられないものでした。80年頃の日本で例えるならジュリーこと沢田研二かな (無理があるなあ)、とにかく子供から老人までみんなに知られ、愛されている、といった空気でした。テレビの音楽番組ではしょっちゅう見かけるし、「ブルーピーター」というBBC の子供番組ではそのテーマ曲も手がけるし。ぼくは拍子抜けすると同時に、笑顔の、日常の、Mike との近さにおのずと笑みが零れてきたのです。ここに市井で暮らす等身大の Mike がいる、と。ちょうど「クライシス」ツアーを開始する 1年ほど前の話です。
Mike Oldfield の全作品のなかで、ぼくは78年「呪文」~ 84年「ディスカバリー」の時期がもっとも好きです。初期三部作の偉大さを充分に認めつつも、とりわけ 80年「QE2」以降のポップ路線のほうが好きなのです。これはぼく的にかなり例外で、他のプログレ・バンドなら断然 70年代を推すのに、Mike だけは 80年代の楽曲の短尺化、イージーリスニング化が時代の要請とうまくマッチしたと思っています。なにより彼自身の肩の力が抜けたようで、安心して聴けます。1985年には「The Complete」という 2枚組コンピ盤がリリースされます。A面がインスト小品、B面がヴォーカル小品、C面が大作の抜粋、D面がライブ音源、こんなふうに再構成されるようになった時代性こそが、まさにぼくが 80年代 Mike を推す理由でもあります。
例えるなら、それはクラシック名曲との接しかたに似ているのかもしれません。大衆はベートーベンの「月光」を聴くとき、それが正式には「ピアノソナタ第 14番」の第 1楽章であることを知りません。ドビュッシーの「月の光」にしても、「ベルガマスク組曲」の第 3曲。しかし、それでなんの問題があるでしょう、原曲の価値はなにも変わらず、その名曲に接する敷居だけを下げてくれるのなら (例はどちらも moonlight ね)。
もうひとつ、Mike のポップ化推しの背景には、N川くんの影響もありました。N川くんはマイペースでプログレを聴いており、世間的流行よりは若干タイミングがズレていました。だからこそ、彼の耳は本質を聴き分けるところがあり、ぼくは絶大なる信頼を寄せていました。前期クリムゾンではもっとも評判が悪かった「アイランド」を、あれはいい、と見直したのも N川くんでした。その N川くんがイギリスにいたぼくへの手紙で「呪文・パート 4」12分18秒のサイロフォン ~ ラストが目茶苦茶いいね、と。「この部分だけを切り取っても充分傑作です」。
来たる10年を予見したような慧眼。リチャード・ブランソン (Virgin 総帥) のみならず、多くのファンは同じ目線に立っていたのでしょう。
天才は万人に愛される
デビューアルバムの印象が強すぎるため、Mike Oldfield には大作傾向の偏見を持ってしまいがちです。LP 1枚約50分、居ずまいを正して拝聴するのはたしかに 70年代の聴きかたかもしれません。しかし真の傑作なら、神はその細部に宿ります。奇しくも 80年代 Mike の作品はそれを証明したのではないでしょうか。「Moonlight Shadow」の切なさが、「To France」の美しさが、人々の心を離さないのは偶然ではありません。逆にいうなら、単なる BGM として聞き流す場合でも鑑賞に耐えうるクオリティーを内包している点こそが、天才の天才たる聞かせどころです。
Mike Oldfield は何度でも想起されます。80年代に入ってすぐ Talking Heads や The Police が非西欧的な周縁世界のリズムをロックに持ちこんだのは、5年前にMike がすでに「Ommadawn」で試みたことです。88年に Enya が登場してニューエイジが持て囃されたときも (アンビエントも含む)、ワールドミュージックが流行ったときも (ケルト音楽も含む)、さらにはポストロックやエレクトロニカの文脈でミニマリズムがクローズアップされたときも (現代音楽も含む)、必ずと言っていいほど Mike Oldfield の功績は甦ったものです。天才はみずからの作品によって永遠の生命を得るのです。
あるいは、こうも言えるでしょう。天才は「孤高」などではない、むしろ万人に愛される、と (イケメンはなおさら)。
最後にプレイリストについて言及すると、縦の時間軸を「Tublar Bells」で貫き (Ⅰ~Ⅲ &「The Millennium Bell」)、そのあいだにぼくの愛聴アイテムを散りばめています。アンコールの位置に「North Star」。いつ聴き直しても、Mike の根本にはただのトラッドフォークでは片づけられない、より大きな「人間の記憶」というか「生命愛」というか、人間は信じるに値するものだ、といったメッセージを感じます。なにかの SF 映画で異星人へコンタクト・メッセージを送るシーンがありましたが (地球人の自己紹介も兼ねて)、それは Mike Oldfield で必要十分だとぼくは思っています。
周知のとおり「North Star」原曲は現代音楽家 Philip Glass の作品です。聴き比べると、上の真意も分かっていただけるでしょう。
それでは、また。
See you soon on Spotify (on note).
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