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日本語を教え始めて気づいたこと。

ネパールに来てやり始めたことがある。それはネパール人に対して日本語を教えるということ。今まで外国人に日本語を教えたことがなかったのでやる前はすごく不安だった。


日本語を教え始めて気づいたこと。それは日本語の複雑さだ。では、その複雑さの理由を3つ紹介しよう。

1つ目は、ひらがな、カタカナ、漢字の3種類があるということ。外国人にとって、カタカナとひらがなの使い分けは難しい。特に意識しておらずこれを使い分けている日本人は凄い。また漢字も書き方が複雑であること、読み方が複数ある点で難しい。

2つ目は、接続詞及び前置詞などもろもろ。日本語はこれらが多すぎる。接続詞は全部で9個もある。とにかく多い。

3つ目が言葉の変化。例えば「表す」は状況によっては「表し」と送り仮名が変化する。
時間によっても変化する。敬語、尊敬語、謙譲語なんかもある。

日本人が普段何気なく使っている日本語は、外国人に教え始めて気づいたがとにかく難しい。
これを習得しようとしている外国人学生は本当に凄い。

日本語を教え始めて気づいたことがもうひとつある。それは大学の外国人教師の大変さだ。

同じ立場になって初めて気づいた。なんと大変難しいことをしているのかと。自分の場合は、全ての生徒が日本語を学びたくて来ている。だが大学では、別にみんなが英語に興味があって授業を受けている訳では無い。そんな生徒たちを相手にしている外国人教師の方々のメンタルがなんと強いことだろう。そう日本語を教えていて思った。自分がもし同じ立場であったならば、1人でも退屈そうな態度をとっていたりしている生徒がいればメンタルがかなり削られているだろう。

また、教え方も素晴らしく上手いことがわかった。自分が日本語の最善の教え方を考えていても、行き着く方法は大学のコミュニケーション英語の授業内容と同じやり方なのだ。いかに外国人の先生が最善の方法を実践していたのかがよく分かった。もしこれから外国人の先生が教える授業を受けることがあった時は、尊敬の目でしか見れないだろう。

これらが日本語を教え始めて気づいた、感じたことだ。あと数週間日本語を教えるので、引き続き精一杯やっていこうと思う。


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