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芸人時代の話

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2011年まで吉本興業で芸人をやっていました。吉本に所属する前のキーストンプロ時代の話から始まり、演劇をかじっていた話や、お笑い養成所である東京NSCのお話などをしていきます。 …
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7  2011.3.11東日本大震災。解散、引退

7 2011.3.11東日本大震災。解散、引退

2010年

相方の近江君から解散したいと打ち明けられた。あまりに突然だった。

いつ、どこでどんな風に切り出されたのかなど細かなシチュエーションをほとんど覚えていない。

そのくらいショッキングな出来事だった。

ただ覚えているのは、普段温厚な相方とは違ってその日は怒気を放っていたことだ。

解散の予兆は自分目線からは一切感じられなかった。既に次の相方は決まっているとのことで随分前から動いていた

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6.吉本所属。吉本の縦社会と絶対的な先輩

6.吉本所属。吉本の縦社会と絶対的な先輩

僕のNSCでの最大の使命は相方を探すことだった。ピンでやれる能力がない訳だから相方探しはマストだった。

最初に組んだのは木暮君という19歳の子だった。24で入学した自分には子供に思えた。そして、当時の僕は相方や同期に説教をするなど激イタの尖りかたをしていた。

その日はたまたま遅刻してきた木暮君が僕の方へ走って向かって来ていた。遅刻を怒られると思って焦っていたのだろう。彼は木の根っこにつまづいて

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5. 2007年東京NSC入学。お笑いの養成所とはどんな場所なのか?

5. 2007年東京NSC入学。お笑いの養成所とはどんな場所なのか?

東京NSC入学
2006年に事務所(キーストンプロ)が消滅し、コンビも解散した僕は相方を探すべく2007年、吉本興業の養成所である東京NSCに13期生として入学することになった。

キーストンプロの先輩である年中無休のまっこんさんと宮川さんは同期になった。年中無休さんは吉本に入りボーイフレンドという新たなコンビで再スタートをした。今まで先輩だった人が同期になるというのは不思議な感覚だった。

ここ

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4.夢追い人は詐欺師に気を付けろ!

4.夢追い人は詐欺師に気を付けろ!

相方の今川さんと初めて出会ったのは役者を目指していた時だった。事務所の演技レッスンが同じ曜日だったのだ。そう、僕は演劇を目指している時期があった。そのレッスンで仲が良くなった。

初めてその事務所と関わるようになったのはスカウトだった。バイトに向かうために新百合ヶ丘の駅を降りたところでスカウトをされた。

今に思えば新百合ヶ丘でスカウトの時点で怪しいが

「芸能界興味ありませんか?」

と唐突に聞

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3.これからお笑い芸人目指す方必見。僕が相方と別れて分かった3つのこと

3.これからお笑い芸人目指す方必見。僕が相方と別れて分かった3つのこと

何か月ぶりかの出演となったトゥインクルコーポレーションの事務所ライブだった。舞台袖で見ていて客席は温かかった。僕らは久々の出番だったので是が非でも昇格したかった。

必死だった。

でも、つかみでいきなりこけた。

温かかったはずなのに、スベった。

意地でも昇格したいのに、スベった。

挽回するべく次のボケでは笑いをとりたい。

しかし、立て続けにスベった。

昇格がどうとかそんなレベルじゃなく

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2.事務所所属を目指すなら吉本?他事務所?フリー?

2.事務所所属を目指すなら吉本?他事務所?フリー?


プロとアマの違いとは?

2006年キーストンプロに所属が決まってなぜそんなに浮かれたのか?

それには理由があった。2年近く僕らは事務所が決まらずフリーで活動をしていた。フリーというのは心細かった。勝手に芸人と名乗っているだけという感覚が消えなかった。

芸人にとってプロとアマチュアの境界線はどこなんだろう?

当時僕らは事務所に所属しているかしていないかをプロアマの違いと認識していた。だから

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1.芸能事務所キーストンプロ所属

1.芸能事務所キーストンプロ所属

2006年新宿の繁華街を人混みをかき分けながら、息も切れるほどの速さで駆け抜けていた。何もしなくても汗が吹き出るというのに全速力でダッシュをしていた。

遅刻が5分なのか1時間なのかの違いはあれど遅刻しない日は無かった。今日ももれなく遅刻をしていた。先日、M-1の予選を寝坊で飛ばしたばかりなのに僕はもう遅刻をしていた。もう遅刻しないと謝ったばかりなのに遅刻をしていた。反省していないわけではない。で

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