1.芸能事務所キーストンプロ所属
私のnoteでは、かつての芸人時代の体験を物語として綴っています。本日のテーマは「芸能事務所所属」です。最後までお付き合いいただければ幸いです。
2006年
新宿の繁華街を人混みをかき分けながら、息も切れるほどの速さで駆け抜けていた。何もしなくても汗が吹き出るというのに全速力でダッシュをしていた。
遅刻が5分なのか1時間なのかの違いはあれど遅刻しない日は無かった。今日ももれなく遅刻をしていた。先日、M-1の予選を寝坊で飛ばしたばかりなのに僕はもう遅刻をしていた。もう遅刻しないと謝ったばかりなのに遅刻をしていた。反省していないわけではない。でも反省したところで遅刻癖は治らなかった。
会場の近くで相方の今川さんと待ち合わせをした。へらへらしながら謝る僕に今川さんは愛想笑いで返した。
ネタ見せの前に予定していたネタ合わせは出来なくなった。毎度毎度申し訳ない気持ちは当然ある。でも真剣に謝った事はなかった。笑ってごまかしていた。
その分今日のネタ見せで最高のパフォーマンスをして返そうと思っていた。トリオからコンビになって初めてのネタ見せだった。自信はあった。
今日は、キーストンプロという芸能事務所のネタ見せである。後にTHE MANZAIを制するハマカーンさんの所属事務所である。
だが芸能事務所とはとても思えない場所にキーストンプロの事務所はあった。ボロアパートの様な雑居ビルの一室がキーストンプロの事務所だった。事務所というより普通のワンルームのアパートのようだった。事務所に入ると坊主でこわもての社長が迎え入れてくれた。
社長自身もキングという芸名で活動する現役の芸人とのことだった。キング(敬称略)はビルの一階の劇場まで僕らを案内した。一階は新宿FUという劇場だった。空調はきいていたがあまりのホコリ臭さに気分が下がりそうだった。
ネタ見せはミスもなく元気に出来た。元気にやるというのがテーマであった。キングはクスりともしなかったが興味津々に僕らのネタを見てくれていた。ネタが終わるとキングは開口一番信じられない事を言った。
「何で自分らそんなうまいん?めっちゃうまいやん!いやうまいって言ってもそのキャリアの中ではって意味やけど」
誉められ慣れていない僕らは謙遜しながらもニヤニヤが顔に出ていたと思う。
その後場所を事務所に移して、キングから今日のダメ出しを受けた。キングはダメ出しがとても的確で分かりやすく、説得力があった。ネタの構成、見せ方に留まらずネタの作り方や練習方法にまでアドバイスをくれた。土日にみっちり練習をしていた練習法は30分でいいから毎日練習するスタイルに変更するようアドバイスをされた。
そして、何より気になるのは事務所所属出来るのかどうなのかである。キングははっきり言わなかったが
「自分らキーストンで絶対人気出ると思うわ」
その言葉がネタ見せ合格を意味していた。
キーストンプロのお家芸である、チケットの手売りをやるからいついつ◯◯に来るようにと伝えられた。書類にサインしたりするのかと思ったらその様な手続きは何もなかった。
僕は新宿からあえて各駅停車に乗って帰ることにした。相模大野までの約一時間が、今の僕には必要だった。携帯を触りたかったのだ。真っ先にポケットから折りたたみ式の携帯電話を取り出し、心臓が高鳴るのを感じながら、友達や家族に向けて、一斉にメールを送信した。
「芸能事務所に所属が決まったよ!」
指先が小さなキーを叩くたび、これまでの努力が思い出される。何度も壁にぶつかり、挫折し、でもそのたびに立ち上がってきた自分を誇らしく思った。メールを送信した瞬間、静かな車両の中で、まるで時が止まったように感じた。
周りの人々はそれぞれの世界に浸り、無関心な顔で窓の外を眺めていた。だけど、僕はその瞬間、自分の人生が大きく動き出す予感を抱いていた。小さな画面に映る文字が、未来への扉を開く鍵のように思えた。
その時、携帯が震えた。返信が来たのだ。心臓が再び高鳴り、ドキドキとした気持ちを抑えながら、画面を覗き込む。友達の一人からのメッセージが表示されていた。
「おめでとう!すごいじゃん!飲みに行こう!」
その言葉に、僕の中に嬉しさが広がった。心の中の期待と不安が交錯する中、僕はこの新たな旅の始まりを確信していた。車両は静かに走り続けるが、僕の心はもう一段高く舞い上がっていた。
後に吉本に所属するのだがその時の比じゃないくらいキーストンプロに所属が決まった時は嬉しかった。やっと事務所が決まった。その事がとにかく嬉しかった。この数年コケにされていたこと全てがこれでチャラになった。トリオからコンビになってネタもやりやすくなり楽しくもなっていた。
しかし、所属が安定のように思っていた事が勘違いでありこの先甘くはないということをこの時はまだ何も知らなかった。
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