雑感記録(46)
【ヒーローって何だろう?】
昨日から上記状況から自宅待機をしている僕は体調は絶好調なのに一応家の中ではプチ隔離状態である。結果が月曜日に分かるとのことらしいのでそこまでの辛抱である。しかし、まあ体力が有り余っているのに外へ出られないのはインドアである僕にとってみても辛いものがある。
さて何をして過ごそうかと考えた時、ここが読書好きの強みだなと思うのだが読みたい本が大分あるのでそれらを読んで過ごすことができる。今日はジジェクの『イデオロギーの崇高な対象』を朝早くから読んでいて改めてマルクスとか、ラカンとか挑戦してみるかなという機運が徐々に高まりつつある。また、古井由吉の『楽天記』を購入していたからそれもちょこちょこ読み始めてみた。さすがと僕が偉そうに言えたことではないが、あの言語体験程まどろむものはない。
しかし、朝から本をずっと読み通すということは如何に本好きであろうとも実は骨が折れることでもある。勿論、好きなことをしていることは十分に理解しているのだけれども、それでも適宜休憩を挟みたくなるものである。僕はそういった時に画集や映画などを挟んで言語を言語で考えることから少し離れ、ビジュアルから言語で考えるというようにしている。
それで、昨日夜中からアマゾンプライムで『仮面ライダーBlack Sun』なるものを見ているのだが、これが非常に面白い。元々僕は特撮が好きで小さい頃から、まあこれは少年時代を過ごした男性諸君なら理解していただけるのかもしれないが、戦隊ヒーローであったりそれこそ仮面ライダー、極地まで行くとゴジラになるのかな?そういったものに心奪われるということがあるだろう。
僕は仮面ライダーよりかはゴジラを好んで見ていたのだが、勿論仮面ライダーも通って来た。僕の世代だとそうだな…『仮面ライダークウガ』とか『仮面ライダー龍騎』がドンピシャなのだが、機会があればもう1度見たいなと思う。それぐらいには好きだったと思う。……もしかして、そんなに愛が強くないかも…。しかし、まあ僕はゴジラの方が好きだしな…。
それで話を戻す訳だけれど、『仮面ライダーBlack Sun』が本当にドンピシャだった。こうなんだろうな、多分小さい子、幼稚園の子たちがこの作品を見ても恐らく「うーん」となるのが関の山かもしれないが、大人(と言っていいものなのか?いや、厳密には「子ども心を忘れていない大人」だろうな)たちが見れば大分愉しく見れるだろうと僕は勝手ながらに感じた。
そこで今日の記録は『仮面ライダーBlack Sun』を見て考えたことを記録に残してみたいと思う。
この『仮面ライダーBlack Sun』を見てまず思ったのは時代考証とでも言えばいいのか?そこに怪人の歴史をうまく擦り合わせているところが非常に面白いなと思った。
若干のネタバレになるが、この『仮面ライダーBlack Sun』は頻繁に1972年と2022年を行き来している。その1972年のビジュアルというか、そこの時代性が見ている側の時代性と非常にあっている。よくよく見てもらえば分かるが、学生運動テイストの雰囲気がどことなく漂っている。ヘルメットやらゲバ棒やらを持った怪人という何とも不思議な光景だが、そういう時代性を考慮されていると思う。
少し時代は遡るが1960年代から1970年代というのは学生運動が非常に盛んな時代であり、1969年あたりからだとよく僕らも知っている三島由紀夫と東大全共闘の討論会が開かれたり、あとは時代が先だが早稲田大学構内リンチ事件など様々な事件が起きていた。詳しくは以下のリンクから購入して一読していただけるとよいかもしれない。そうすると当時の時代背景がよく分かる。
怪人たちもそういった中で、自分たちの自由というより権利を求めて奮闘する。さらに面白いのがその中に仮面ライダーが一緒に参加していることにある。本来のというか、一般的な認識だと仮面ライダーが怪人を倒すという構図なのだが、むしろその怪人たちを擁護する側の立場として描かれる。悪の組織に仮面ライダーにさせられたとはいえ、それに対する悪の根絶ではない。ある意味で『仮面ライダーBlack Sun』は50年におよぶ内ゲバの話なのである。
僕は学生運動をあまり知らないため深く掘れないのが非常に悔しいのではあるのだけれども、それだとしても見れば何となく雰囲気ぐらいはつかめるのではないかと思う。
個人的に1番気になったのはやけにゴリ推しされる多様性の問題である。何というのか、これは内容の特性上仕方のないことかもしれないが「怪人/人間」という二項対立で物事が全て進んでいるのだが、その中間層として「怪人兼人間」という存在がある。その立場を担うのが主に仮面ライダーである。これは非常に面白いなと個人的には思った。
とこういう風な書き方をすると「無理矢理デリダに持って行こうとしているな」と思われるかもしれないが、申し訳ない。デリダは絶賛勉強中の立場であるからあまり突っ込めない。ただ、敢えて言うのならこの二項対立を成立させている、下支えしているのは「人間」という存在であり「怪人」という存在である。つまり、比較を可能にする場所が存在しているということになる。この二項対立は実は三項対立であるということである。
ソシュールの言葉を借りる訳ではないが、「差異は同一性に先立つ」のである。ここで言えば人間と怪人を比較することで各々の価値が初めて現出するのである。しかし、仮面ライダーはどのポジションに属するのだろうか。人間?それとも怪人?どちらの場に於いて彼らの価値は生まれるのだろうか。
人間という場に於いては怪人を倒し、平和な世の中に向けて進むという構図なのだろう。これが従来的な構図である。従前の仮面ライダーたちはあくまで人間という場に於いて価値を見出す。ところが本作品に於いては人間を守るという立場とは微妙な立ち位置にいる。あくまで怪人側の立場からの戦いをしているのである。先の言葉を借りるなら「内ゲバ」に過ぎない。
そうすると、仮面ライダーというヒーロー像というものはどこかへ置き去りにされてしまった感が否めない。人間の味方であるところが怪人の味方であるというようにも捉えかねない。仮面ライダーというヒーロー像ではなく、仮面ライダーそのものとして描かれているような気がする。そういった点で非常に面白い視点だなと感じた。
ヒーローとはなんだろうか。僕らが想定するヒーローというのは一般的に僕らの味方であり、世界を平和に導く戦士のようなものではないだろうか。こと仮面ライダーという特撮であれば「勧善懲悪」といった世界観、これが重要である訳だ。つまり「正義は勝ち、悪は負ける」この構図だ。しかし、今回の仮面ライダーにはそういったものがどこか曖昧にされている。
仮面ライダーブラックサン以外に仮面ライダーシャドームーンなる存在が出てくる。これも1つの重要な点であるように思う。勿論、内ゲバであるのだがこれを成立させるために重要なのが仮面ライダーシャドームーンであるように思われる。
仮面ライダーブラックサンは怪人の立場も守りつつ人間との共存を模索しながら戦う訳だが、仮面ライダーシャドームーンに関しては完全な怪人側の立場として「怪人そのままの姿で生活できるように、人間を駆逐する」というような思考性の持ち主なのだ。こうして考えて見ると、基本軸に置かれているのは「怪人」という立場であり、「勧善懲悪」という構図そのものが成り立たなくなる。
これは以前の、いつの記録だが忘れてしまったが「正義と悪は紙一重である」というようなことを書いた気がする。見方によってそれが正義であるともいえるし、悪であるともいえるという難しい状況があるということである。オウム真理教事件であったり、あさま山荘事件であったり。彼ら自身はそれを「正義」と思って進める訳だが、そのコミュニティから抜け客観的な視線で見れば悪となり得る。またこれは逆も然りで、「自己批判」なるものは悪であるとは承知しながらも、それは所属するコミュニティでは正義とみなされるのである。
仮面ライダーシャドームーンはそれを体現している存在として上手に描かれていると僕は個人的に思っている。これが仮に仮面ライダーブラックサンのみの演出であったなら、彼自身の葛藤などは描けなかったのではないだろうかと考えてしまう。
ヒーローとはなんだろうか。とある立場から離れた、所謂中立の立場から僕らを救うものがヒーローなのだろうか。どちらの立場も取りつつ、どちらの立場にも所属しながら双方を救うものがヒーローなのだろうか。それは諸刃の剣なのではないだろうかと僕は思う。何というか、ヒーローとしての脆弱性とでも表現しておこうか。
ヒーローは多分、僕らが想定しているより弱いのだと思う。それが精神的なものであったりとか、生い立ちとかそういったことではなく、ヒーローという立場そのものが危うい立ち位置なのであると僕は思う。
どちらの立場にもいい顔をして、双方が完全な納得をする解決をするなど不可能に等しい。うまくやれたとしても、それをよく思わない者たちが居てヒーローが排斥されるということは十分にあり得る話なのである。常に危うい立場にいるのだ。いつ何時狙われても仕方がない。
そういった意味で、僕はこの『仮面ライダーBlack Sun』はそこを見事に回避しているような気がしてならない。つまり、仮面ライダーはヒーローではないということをまざまざと見せつけられている気分になった。
そういった意味で僕の中では非常に革新的な仮面ライダーであったと思う。
纏まりがつかない文章にまたしてもなってしまった。この作品は本当に面白い作品であったと思う。ここ最近見た特撮の作品の中では勉強になったし、面白いものであった。ぜひお時間があれば見て欲しい。大人テイストの仮面ライダーも良いものです。
あ。そうそう。PCR検査、陰性でした。一安心。よしなに。
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