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雑感記録(275)

【「フワフワ」じゃダメなの?】


些か唐突な話だが、僕はシフォンケーキが好きだ。

地元に居た時、確か…たまご村?というお店だったろうか。そこのシフォンケーキが美味しくて、時たま買っていた。いつだったかの母の日はそのお店のシフォンケーキを大量に買い込み、母親に渡したら「こんなに食えんわ!」とツッコまれたことを思い出す。僕は「いや、こんだけふわふわなら食えるだろ」と思って買ったつもりだったが…どうやら誤算だったらしい。

時たま、生クリームを添える人も居るらしいが
僕はシンプルにこのままかぶりつくのが好きである。

シフォンケーキの良さは、個人的にだがフワフワした生地であると思っている。味も様々な種類がある訳で、当然にそれも重要だとは思うが、やはりあのフワフワ感が堪らない。それなのに!なのにだ。意外と腹持ちが良い。1度にホールで食べようとすると中々苦しい。食べたいのは山々だが諦めるのが僕の常である。


ところで、世の中にはフワフワしたものがわりとある。例えば綿菓子なんかそうだろう。砂糖をただ溶かしただけと言葉にしてしまうと、凄く陳腐なものに聞こえてしまうが、あのフワフワ感というのは中々出せるものでは無い。あとは、メレンゲなんかもそうだろう。これも卵白をただ素早くかきまぜただけと言葉にしてしまうと、凄く粗野なものに聞こえてしまうが実際あれを眼にしたら驚くだろう。最近ではそういった変わったオムライスがあるらしい。

そう考えてみると、「フワフワ」と言うものはそのものを言葉を以て説明すると何だか禍々しく感じられる。今回はたった2例程しか挙げなかったので他にも「フワフワ」の例があればぜひ教えて頂きたいものである。「フワフワ」を説明しようとすると言葉が重くなる。何だか面白い現象だなとも思う。いかにも軽そうなことを説明している言葉自体が重くなるとは本末転倒なような気がしなくもないと思うのは僕だけだろうか。

さて、それでシフォンケーキの話に戻る訳だけれども、ケーキ類の「フワフワ」とはどういう仕組みであそこまで「フワフワ」させているのか分からない。一応、僕は先程クックパッドでレシピを読んでみたのだが、その肝心の「フワフワ」の過程がさっぱり分からないものだから、ただ純粋に「シフォンケーキを作りたい人」として画面と睨めっこをしていたことになる。

結局、僕はその「フワフワ」の原因はどこにあるかと探って行くのだが、どうも分からない。ドツボに嵌まってしまったような、そんな印象を受けた。レシピの文言と睨めっこしながら、その秘密を暴こうと言葉を読み、言葉を読み、よだれを垂らし…。とそうこうしているうちに何故だか不思議と腹がいっぱいになって来た。「もう、いいよ…ごっつぁんです!」という感じである。

僕は「フワフワ」でお腹がいっぱいとは、不思議な話である。


そういえば、こうして文章を書いたり読んだりしていると、どうも「フワフワ」したものが許されない傾向にある。きっちりとしたロジックの上に、理路整然とした文章が好まれるような傾向にある。スタイリッシュで、小難しく書いてあり、それでいて芸術的な文章が重宝される訳である。そこでは言ってしまえば「文学的要素」が重要となる。特に批評の世界に於いては。

僕はニーチェが好きなんだが、あれは哲学書というよりももはや物語であり、文学性という観点で言えば他者を追随させないレヴェルではないかと思っている。特に『ツァラトゥストラ』などはそうだろう。あくまで個人的な肌感である。

そう考えると、哲学書や批評などの文章には所謂「フワフワ」したものが無いなと思う。つまり、「フワフワ」語るということである。

僕はいつも思うのだけれども、言葉で全て表現できるほどこの世界はそんなに小さくないと思う。ともすれば、言葉にだって限界はあるはずだ。その人の持つ言語が乏しければそれを的確に語ることは困難かもしれない。あるいは言語を多く持っていれば語る手段は豊富にある訳だ。だが、もしかしたらこういうことはあるかもしれない。

言葉を多く所有しているが故に、説明してしまえるというある種の特権を得たことにより、その時のこと全てを言語化するという欲求が出てくる。だが、それでもそれら言語で表現できない何かに遭遇した時、それを無理矢理言葉に落とし込もうとする。しかも、それが「分かる」という前提の下で進められる。そう考えてみると、逆に言葉を多く所有しているような批評家や哲学者の方が言葉に乏しいような気がしてならない。

そうして言葉をあまり持たない人間の方が、もしかしたら世界を純な眼で見ることが出来るのかもしれない…というのはあくまで僕の願望だ。


だから、僕は批評とか哲学にもっと「フワフワ」みたいな要素が入って良いんじゃないかなと思う。それは何だって言い。例えば「何となくこうじゃない」とか「(ソースや根拠は無いけど)こう思うけどね」っていうことが起こりえても良いんじゃないかなと思う。中野重治が昔『批評の人間性』って本を書いていたけど、タイトル通りじゃない。

シフォンケーキは「フワフワ」である。しかし、食べると結構お腹に溜まる。批評や哲学もそんな感じだったら面白いかもなっていうくだらない話さね。

フワフワも積もれば山となる。

よしなに。



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