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雑感記録(127)

【『聖域』を読んで】


コムドットやまと氏の『聖域』を読んだ。

これから書くことは氏を何等「批判」しようという画策の元に書かれるものではないことを先に断っておく。とある動画が私の興味関心を触発し、自分の意志で手に取ったものである。あくまで私自身が感じたことを書き連ねる。きっと氏の考えるところの「批判」に奇しくも該当してしまうことになるであろうが、氏に読まれることはきっと無いだろうから思いきり書かせて頂くことにしよう。


まず以て私には些か信じられないことが続く。氏は本著の中で以下のように述べている。

ありがたいことに日本でトップクラスに入るであろう多忙な毎日を送っているが、その隙間を縫って本を年間200冊読むほど「知りたがり」だ。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.34

高校に上がってからは、学校の取り組みで、3年間の課題図書が100冊あった。定期テストのたびに学術書、古典文学、小説などの様々なジャンルから6冊の課題図書が提示され、それに関する問題がテストで出題されるのだ。(中略)もちろん100冊読み切り、ついでに本を読むスピードも上がった。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.90

僕は、子どもの頃から本が好きでした。本によっていろいろなことを考えさせられ、成長させられて今の自分があります。僕の純粋な「知りたい」という欲求をいつも本が叶えてくれて、大袈裟かもしれないのですが、僕にとって本は親友みたいな存在です。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.190

氏は本著全体を通じて「自分は読書好きである」ということを豪語している。私よりも激務な氏が年間200冊と具体的なまでの数字を提示し、忙しさの中でも読んだ本の冊数はカウント出来るのだなと思わず関心した。氏の読書経験は遡ると幼少期かららしく、上記では引用しなかったものの「幼少期には絵本に囲まれていた」といった内容の記述が見られる。

なるほど、氏は大変な読書家であると言えよう。そのせいぜい200冊から得られた知識が本著では思う存分に披露されている訳だ。しかし、よくよく読んでみるとどこの誰でも言いそうなことがただのべつまくなしに書かれているという印象を受けた。ご丁寧に重要なところは文字の色まで変えてくれており、親切なことこの上ない。これだけ読めば事足りる仕様であり、読書した気になれる。

私はどんどん読み進めていくうちに1つの疑問に辿り着く。氏は自称「年間200冊読むほど」の読書家らしいが、そうとは思えないような文章力のなさに驚嘆せざるを得なかった。私は落胆にも似た得も言われぬ感情に襲われた。

自然とあふれ出るユーモアの洪水に毎日「クラシアン」を呼ばなければならない僕ですが、これに関してはジョークではありません。心からそう思っています。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.22

こうして弱点をさらすことで、「やまとくんも人間で安心した」「やまとくんなら怖がってるのもカッコいい」という黄色い声援で日本中が包まれ、プーさんのハニーハント状態になっていることだろう。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.39

大した挑戦をせずに「夢や好きなことが見つからない」と嘆いているのは、ポッチャマしか持たずにマサラタウンにいるのと同じ状態だ。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.51

いちいち全てを列挙するのは骨が折れてしまうので引用はここまでにしよう。高校時代に学術書や古典文学、そして小説100冊を読み通し、現在も年間200冊読まれる氏の表現力には思わず脱帽してしまうばかりだ。私には到底「クラシアン」だの「プーさんのハニーハント」だの、「ポッチャマ」だのと仮に思いついたとしてもそれを実際に使用する勇気など恥ずかしさのあまり出来ないだろう。

僕の趣味は読書だ。本を読んでいる時間が一番幸せだ。自分の中に、未知の情報が入り込んでくるのが快感で堪らない。あまり人に話すと引かれてしまうので、ここだけの話に留めて欲しい。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.92

なるほど、氏の仰る通りここだけの話にしておく方がいいだろう。私には氏がどのような読書経験を積まれたかは分からない。しかし、書かれた文章のみを見るのであれば、私には到底及ばない程の特殊な読書経験を積まれていることは間違いないだろう。私はさらに脱帽した。氏の表現力の凄みに圧倒されてしまったのだ。


氏が本著で強調していることは氏自身が読書家であるということ以外にもう1つある。それが「変人」であるという点である。氏の「変人」エピソードなるものが各所に散りばめられている。その浅薄さには驚嘆するばかりである。

変人でいることに味を占めた僕は、大学に入り、周りの友達がみんなサークル活動をしている時、あえてサークルには入らなかった。代わりに、1年生ながら学校のミスターコンテストに応募し、見事選考をくぐり抜けた。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.31

僕はすぐに「候補者」を決める選考にプロフィールを送り、エントリーした。最終選考に残り、迎えた最終面接の日。僕はスーツを着た20人くらいの運営陣の前で、持ち前の「変わり者」を発動し、福山雅治のモノマネをした。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.50

後者の引用についてはおませちゃんブラザーズのわるい本田氏が非常に聡明な感想を述べているので、私が語ることは不要と考え控えさせて頂く。気になる方が居れば以下の動画を参照されたし。非常に興味深い分析を行っており、参考になるであろう。

氏は「あえてサークルに入らなかった」と書いている。私は「あえて」ではなく単純に面倒くさくサークルには所属しなかった人間である。それを進んで実践する氏には脱帽するばかりである。ミスターコンテストに参加することはサークル活動の一端を担っているということはさておき、氏の仰々しい表現の仕方にたじろぐばかりである。

本著全体を通じ、氏の「変わり者」エピソードに基づく経験が記されるのだろうという期待も虚しく唯々平凡な経験談を書き続ける精神力に私は称賛の拍手を送りたい。そして私は私の理解力の乏しさに悲嘆する。氏のエピソードに通底する一般性しか見い出せず、その特異性を見つける努力を怠ってしまったのだろうと自省する。

氏が本著を上梓したのは若干23歳だ。私は氏と2歳差であり、恥ずかしながらそこまでの人生経験をしていない。年齢を引き合いに出すのは些か卑怯な話ではあるが、この作品に23年のもの経験が凝縮されているわりに浅薄なことしか書かれていない。どこか聞いたことのあるような言葉ばかりで、「変わり者」と呼ばれる人が到底書くような文章とは思えないのは私だけだろうか。


氏は本著にてこんなことを述べている。

しかし、一冊の本を書くという行為は想像以上に熾烈を極めました。読んでくれる人のことを常に想像しながら、自分の言いたいことを文章にしてストレートに人の心に届けるというのは、本当に難しい作業でした。

コムドット やまと『聖域』
(KADOKAWA 2021年)P.190

氏がどれほどの読者を想定して書かれたか私の知る所ではないが、仮に「自分の言いたいことを文章にして」いるのだとしたらやはり氏には才能があると言わざるを得ない。それは「クラシアン」「プーさんのハニーハント」「ポッチャマ」などという言葉がストレートに自分のことを表現できると考える氏の思考には感嘆するばかりである。

私は本著を通じて、慇懃に生きることの大切さを学んだ。

さて、明日にでもBOOK OFFに売りに行こう。

よしなに。

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