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障害を治す考え方は、別に間違いではない話。

「ASDを治したい」や「ADHDを治したい」などの言葉に異論を唱える者が居るが、私は、人それぞれで良いのではないかと思う。
「障害を受け入れよう」「特性を受け入れよう」と、言われてもどうしても受け入れられない人だっている。特に、ASDだと感覚が少数派で理解されず孤独に過ごす。それは、当人にとってとてつもなく苦しみでしかない。
ADHDにしてもだ。ポンコツ具合に嫌気が刺す人が多いと思う。
とりわけ、無才で障害年金降りない人だって少なくないはずだ。彼らは、ストレス抱えながら過剰適応して生きていかなくてはならない。だから、「治す」「治る」という言葉で苦しみを和らげるしかない部分も出てくる。
だから、無理して自分の障害を受け入れなくても良いのでは?と、私は思う。返って、ストレスがかかり、障害が悪化してしまう恐れがあるだろう。
他者に迷惑さえかけなければ、それでいいと思う。
受け入れたい人は受け入れればいいし、受け入れるのに苦痛が伴う人は受け入れなくてもいいと思う。
外部が、とやかく諭すものではない。

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