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誰も、『お世話係』を望んでない。

私は、昭和生まれの発達障害者だ。 

この回では、普通学級に入れられた当事者としての意見を書いていこうと思う。

昭和生まれの障がい児は、実に不憫だ。まだ、障がいが浸透してないのもあるが親が認めたがらないのも原因だ。

 そんな中に、『お世話係』という言葉がある。普通学級に入れられた障がい児を健常児が面倒を見るシステムである。
 そのシステムは、兎に角厄介だ。障がい児は、誰もお世話係を望んではない。しかし、担任が無用な心配をし障がい児の面倒を健常児にやらせるのである。障がいがあろうがなかろうが、自分のクラスの子の面倒を見るのは担任の仕事だ。だが、担任は自分の仕事を放棄し健常児に押し付けるのである。
 お世話係だって、子供だ。当然、強く負担になる。自由がなくなり精神的にも限界がくる。扱いが面倒な厄介な障がい児だって少なくはないだろう。そして、お世話係の子の親が子供の負担を不憫に思い心配して問題として取り上げる。中には障がい児に問題があるように悪者として扱う者までいる。

それでは、障がい児の立場に立ってみては、どうだろうか?

障がい児だって、辛い。
本来、支援学級に入るべきだった筈なのに、親の見栄で普通学級に入れられ足りない脳を必死に周りに合わせて、やっていく…
当然、何やってもうまくいかない。
無理して健常者のレベルに合わせてやっていく…
担任からは嫌われ、周りに苛つかれ嫌われる…
お世話係はフラストレーションが貯まり限界が来る、そしてその子と親から嫌悪される。

障がい児の親が、子供を健常児だと思い続け障がいを微塵も疑わないのが原因で、障がい児は悪者として認識され学校では居場所がない。

当の私は、お世話係に割り振られた子から苛つかれことある事に嫌がらせを受けた。トイレに連れてかれ『苛つく』とボコられた。

私だって申し訳ないし、こんなことは予想してなかった。だが、親は私の事を普通の子と思い続け私を叱り続けた。私は周りに味方がいない中で、惨めな思いをして過ごしてきた。

そして、私は対人恐怖が強くなっていき今でもまともに人とコミニケーションが出来ない。


 見栄を張る親も、お世話係をつける担任の先生も何もわかってはいない。 
 親のつまらない見栄で、障がい児は普通学級に入れられ苦しむ。担任は、本来、自分のするべき仕事を子供にやらせ、トラブルを起こす。自分の児童の面倒を見るのは、本来は担任の仕事ではないだろうか?職務放棄してはいないだろうか?お世話係になってしました子の負担は考えてないのだろうか?

お世話係の子にも障がい児にも強いストレスとトラウマを引き起こさせる…

そんな悲劇は、誰も望んでいない。

 親は、少しでも、自分の子に対して何か言われたり違和感を感じたら、クリニックや精神科に連れて行って見てもらってほしい。そして、見栄を張らずに、その子が何とか適応できるクラスに入れてほしい。支援学級を躊躇する親も少なくはないと思うが、自分の子供が伸び伸びとやっていける環境を第一に考えてほしいと、思うのだ。

取り返しのつかないように。
 


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