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慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど

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慢性骨髄性白血病患者です。分子標的薬を2年弱服用しました。その後服用を中止して3年以上になりますが、最近の1年間はBCR-ABL1遺伝子量検査の結果が連続して「検出せず」になって…
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#13 あとがき          ~慢性骨髄性白血病患者の皆さんへ~

 私は、平成29年10月から治療を開始した慢性骨髄性白血病患者です。  慢性骨髄性白血病の発症率は、およそ年間10万人に1人と言われています。つまり、世の中にほとんど患者がいない珍しい病気です。そして、患者が少なければ参考になる闘病記も少なくなります。この「慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど」は、新たに患者になられた皆さんへ少しでも支援になればと思って執筆しました。  20年ほど前までは、慢性骨髄性白血病を発症すると命を失なう可能性が非常に高い状況でした。今は分子標的薬

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #12 退職後の生活

 令和4年3月31日に私は退職した。慢性骨髄性白血病の治療を開始して5年目の春だった。よくドラマなどでは、職場で花束をもらって、家族から「長い間お疲れさま。」と声をかけられて…という描写がある。だが、休職をしていた私に生活の変化はない。ただ一日が過ぎていっただけだった。  早期退職をするのはもったいないとする見方もあっただろう。だが、復帰できる見込みが不明なのにいつまでも休職でいることは心苦しかった。4月1日になると、目に見えないしがらみから解き放たれたような気がしてホッと

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #11 早期退職の決断

 なぜ私の白血病細胞が次第に減少していたのか。それは今の医学では分からない。ただ、治療を始めたときに、がん担当の看護師とこんな会話をしたことがある。体内で起こる異常な現象が原因であることを理解した上で 「なぜ慢性骨髄性白血病になるのでしょう?」 と私が問い掛けた。すると、医学的な証明はないと断った上で 「内々では過労とストレスが原因と言われているんですよ。」 と答えてくれた。  休職中はもちろん過労などない。仕事に追われて焦燥感を高めることもない。ストレスは突き詰めると人間

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #10 新型コロナウイルス感染症の感染拡大

 線維筋痛症外来に通い始めた頃、空咳がずっと続いていた。「冬だからだろうか?軽く風邪をひいた?」と思って放置していた。しかし、線維筋痛症外来の医師は、私の胸に聴診器を当てて「少し音がおかしい。」と述べた。肺のレントゲン画像も見た上で呼吸器内科の受診を促した。  血液内科で受診している病院には呼吸器内科もあったので早速受診した。胸のCTを撮ると軽度の気管支壁肥厚があり、ぜんそくとのことだった。錠剤の咳止めや吸入薬が処方された。痔の治療が終わり消化器外科の受診が無くなったばかり

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #9 治療の中心は線維筋痛症外来へ

 今から2年前の冬に始めて線維筋痛症外来を受診した。その病院は自宅から19kmも離れているが、バスなら乗り換えなしで自宅近くのバス停から病院前のバス停まで行けるし電車でも行きやすかった。また、その地域の大病院で診療科の数や検査態勢も充実していて安心だった。  初診は1時間くらいかけて丁寧に問診や触診をされた。当時は手の強ばりが特に強く手足や背中に痺れや強い痛みがあったが、体を触ってもどこが痛いかわからなかった。線維筋痛症の診断では体の数カ所を押して痛みが出るかという点を重要

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #8 病休から休職へ

 私のスプリセル服用末期から服用中止、そして入院してタシグナを試す…といった期間は、水泳の池江璃花子さんが白血病を発症して治療に専念していた時期と重なる。正に世の中の報道が白血病一色といった感じで私も相当心を動かされた。  池江さんのタイプは急性リンパ性白血病であり、私の慢性骨髄性白血病とは治療方法が異なる。別の病気と思ってもよいくらいだ。しかし、テレビで「白血病」が連呼され、いかに悲惨な病気かを繰り返し伝えられると心がダメージを受けてしまう。これも無気力感につながった遠因

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #7 タシグナ服用中止

 スプリセルの服用中止中には職場の異動があり忙しく、その後は入院だった。この期間は新築住宅の工事期間だった。住宅メーカーとの打合せは大変だったが、工事が始まれば施主は上棟時の確認だけで他はメーカー任せだった。大きな施工ミスもなく順調に完成に向かっていると報告を受けていた。  退院の頃に住宅が完成した。退院の際には看護師から退院後の過ごし方について指導を受けるのだが、その内容には血液内科系の患者が一般的にカビや感染症に弱いこと、分子標的薬の特性からもカビには注意が必要であるこ

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #6 入院②<タシグナ対応>

 住宅メーカーとの打合せが概ね終了する頃には冬になっていた。寒さからだろうか体の随所から痛みや強ばりが感じられ浮腫も酷かった。頭や全身の不快感にも悩まされ続けていた。不眠症やめまいも時々出現していた。以前からある数々のニキビは化膿を伴って肥大化し、皮膚科の医師からニキビへの刺激を避けるため髭剃りを止められるほどだった。  常に頭の中が霧に覆われているようで何かに押しつぶされているような感じが抜けず、試しに精神科の医師に話を聞いてもらった。過大に暗く落ち込んでいるわけではない

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #5 土地を買って家を新築

 当時は、私の親に子どもの面倒を見てもらいつつ、年老いた親の支援も身近でできるように実家から70mの場所で戸建ての借家に住んでいた。病気になる前は妻と「退職後は海に近い暖かい土地で家を建てよう」と夢を語っていたが、実際には実家の土地で家を建て替えるのだろうと思っていた。   ところが血液内科で御世話になっている病院は、当時私が住んでいた家から19kmも離れていた。この距離の運転は副作用で体が不自由になっていた私にとって大変だった。最寄りの駅までの道も1.7kmのうち半分近く

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #4 経済的な逼迫

 私の医療費は、高額療養費制度や所得税の還付などを活用しても1年間で600,000円以上かかっていた。しかも、これは還付後の金額なので病院や薬局の会計では自分で請求額を支払う必要がある。入院が複数の月に渡ったケースでは入院費や薬代で一ヶ月に500,000円程度払ったこともある。  もちろん、この金額は私が現役世代として収入を得ているからであり、高齢者などの収入が少ないケースでは幾分か金額は減るだろう。ただ主治医の「一生薬を飲んでもらうんですけれどね。」 という言葉どおりなら

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #3 副作用と仕事

 骨髄穿刺の結果は「慢性骨髄性白血病 慢性期」だった。3段階ある病気の進行度の中で、もっとも急を要しないレベルだった。そこで、3週間近く入院した後、数日の自宅療養で職場復帰した。仕事が気になってしまい、主治医と相談の上で少し復帰時期を早めたのである。  復帰したときの私は、浮腫で顔がパンパン。二重まぶたが一重になっていた。また、少しずつ全身に強ばりが出てきて動きにくい。発疹の数も多く、特に顔のニキビがひどかった。それでも、体が薬に慣れれば治まるだろうと思い、まずは前と同じよ

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #2 入院①<スプリセル対応>

 入院する日。妻にも同行してもらって手続きをした。限度額適用認定証が必要なのだが、てっきり病院を通して手続きをするものだと思っていた。しかし、加入する健康保険の機関に自分で手続きをするものらしく、最初から御指導をいただいてしまった。  大部屋や個室が空いていないとのことで機能を停止した無菌室で一週間ほど過ごした。血液内科の入院病棟に行って驚いたのは、医療従事者や患者のほとんどがマスクをしていたことである。それまでマスクをしていなかった私は常時マスクをすることに馴染めていない

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど   #1 告知

 もう5年以上前の話になる。他の病院からの紹介で血液内科のある大病院を受診した。私は半年ほど継続的に白血球の数値が高く、念のためということだった。  担当した30代頃と見られる男性医師は白血病について説明してくれたが白血球の数値が白血病にしては低いらしく、おそらく違うだろうという感じで話をしていた。検査結果は一ヶ月後ということで病院を後にした。  その頃、私は強い疲労を継続して感じていた。また、人間ドックでは脾臓の肥大を指摘されていた。妻はインターネットでいろいろと調べ「