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慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #3 副作用と仕事

 骨髄穿刺の結果は「慢性骨髄性白血病 慢性期」だった。3段階ある病気の進行度の中で、もっとも急を要しないレベルだった。そこで、3週間近く入院した後、数日の自宅療養で職場復帰した。仕事が気になってしまい、主治医と相談の上で少し復帰時期を早めたのである。

 復帰したときの私は、浮腫で顔がパンパン。二重まぶたが一重になっていた。また、少しずつ全身に強ばりが出てきて動きにくい。発疹の数も多く、特に顔のニキビがひどかった。それでも、体が薬に慣れれば治まるだろうと思い、まずは前と同じように仕事ができる姿を皆に見せたい一心だった。

 ところが、副作用の症状は次第に悪化していく。浮腫は酷くなり顔や足は常にパンパン。一時は胸水の症状まで現れた。また、たくさんのニキビは大きく化膿して痛みが強い。全身に痛みと強ばりが出現して一時は杖をついて歩いていた。出勤時に自家用車を運転しても、異常に眩しさを感じたり、めまいが起こったりして、まともに運転ができないこともあった。

 そして、常に全身が疲労感や倦怠感に似たような感覚で包まれていた。さらに頭の中が常に霧の中にいるようで、時々急激な無気力にも襲われた。これでは日常生活が普通に行えないので副作用を抑える薬が処方された。一時は頓服薬や塗り薬も含めて16種類もの薬が処方されていた。

 このような状況では、まともに仕事などできるはずがない。ただ、見た目はそれほど変化していないので回りは今までの自分と同じ姿を期待する。自分もその期待に応えたかった。そこで、主治医に内緒で「スプリセル」の服用量を極端に減らした。その期間は体が楽になり仕事を順調に行えた。

 白血病細胞の検査を行うと一時的に数値が悪化するときがあった。「スプリセル」の服用量を減らしたのだから当然である。何も知らない主治医は、
「結果には波が出るときがあります。だから心配することはありません。」
と一生懸命フォローしてくれた。このときは本当に胸が痛んだ。

 「スプリセル」を勝手に減量したことについては、妻にも心配をかけた。
命に関わることを素人が軽率に判断しているのだから当然である。主治医にも妻にも申し訳なく、また我が身の安全も心配になり薬の減量はやめた。すると継続的に白血病細胞の数は減少していった。

 しかし、当然のように副作用の症状も悪化していった。杖をついて歩く期間が増え、次第に呼吸もしづらくなっていた。通院日以外でも、布団から起き上がれず出勤できない日が出てきた。そこで、主治医と相談の上、一時的に「スプリセル」の服用量を1日100mgから70mgに減らすことにした。  

~#4 経済的な逼迫に続く~

 

 

 

 


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