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慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #12 退職後の生活

 令和4年3月31日に私は退職した。慢性骨髄性白血病の治療を開始して5年目の春だった。よくドラマなどでは、職場で花束をもらって、家族から「長い間お疲れさま。」と声をかけられて…という描写がある。だが、休職をしていた私に生活の変化はない。ただ一日が過ぎていっただけだった。

 早期退職をするのはもったいないとする見方もあっただろう。だが、復帰できる見込みが不明なのにいつまでも休職でいることは心苦しかった。4月1日になると、目に見えないしがらみから解き放たれたような気がしてホッとしたことを覚えている。

 報道が下火になったとは言え、まだコロナウイルス感染症対策の重要性が求められていた時期だった。そんな中、仕事を共にした方々は責任ある立場で御苦労をされていただろう。とても恐ろしくて自分にはできない。過去に同業だった方々の動向を羨ましく思う気持ちは欠片も生まれなかった。

 血液内科でBCR-ABL融合遺伝子検査の結果を伺うと、連続して白血病細胞は「検出せず」になっていた。このまま「検出せず」が続けばMR5.0というレベルで極めて深い完全寛解となる。おそらく今後も分子標的薬を服用する必要はないだろう。

 線維筋痛症に類する症状は、相変わらず変化が激しかった。痛みなどの症状の他に、味覚がおかしくなるときがあれば気温の変化を感じにくくなるときもあった。外気温が35℃の日、自動車を運転したときに寒くてウインドブレーカーを着たことがある。もちろん冷房なんて使用していなかった。

 体調の変化は激しかったが、調子の良い日は家の掃除を頑張ることができた。また、庭で作業をすることもできた。庭にいると、近所の方が外で飼っている猫たちが訪れることがあった。野良猫の習性があり、すり寄ってくることはなかったが、庭で一緒の時間を過ごすことが癒やしになっていた。

 さて、今は令和4年12月である。BCR-ABL融合遺伝子検査の結果は、安定して「検出せず」になり完全寛解したと言えるだろう。線維筋痛症に類する症状も次第に改善され、今ではパソコンのキーボードを打てるまで回復してきた。経済的には大きな不安があるが、何となく幸福感は高い。

 慢性骨髄性白血病の治療を開始したときの入院では「病気に勝った自分」を思い浮かべていた。果たして私は病気に勝ったのだろうか?命が助かって完全寛解したのだから病気に勝ったと言えるだろう。でも職は失った。その点では病気に負けたのかもしれない。

 5年の闘病生活を経て、あらためて考えてみると病気に勝ち負けなんてないのである。大概ほとんどの人は病気で亡くなっていく。その人の告別式で「病気に負けたんですね。」などと言う喪主や弔問客はいるだろうか?病気になる人生を選ぶ人なんて誰もいない。でも、病気になったら現実を受け入れ、その時点での最善策を探していくしかないのだ。

 最近、小さな幸せを感じられることがあった。ディズニーリゾートが大好きな我が子は、大学生になってからディズニーリゾートのアルバイトに応募した。しばらくすると合格してキャストになることができた。家に帰ってくると楽しそうにディズニーリゾートの話をしてくれる。アルバイトではあるが、我が子が夢の一つを叶えた姿が見られて本当に良かった。
妻も私を気遣いながら気丈に働いてくれている。十分幸せである。

 先日、私の平衡機能に障害があることが分かった。自動車を運転すると浮遊性めまいが起こって運転できなくなるのだ。線維筋痛症に係る薬の副作用らしい。医師からは運転を控えるよう指示があった。どうも私の闘病はまだまだ続くようだ。でも落胆することはない。現実を受け入れ、これからもこの幸せが続くように今時点での最善策を探していきたい。

~#13 あとがきに続く~

 

 

 

 


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