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慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #11 早期退職の決断

 なぜ私の白血病細胞が次第に減少していたのか。それは今の医学では分からない。ただ、治療を始めたときに、がん担当の看護師とこんな会話をしたことがある。体内で起こる異常な現象が原因であることを理解した上で
「なぜ慢性骨髄性白血病になるのでしょう?」
と私が問い掛けた。すると、医学的な証明はないと断った上で
「内々では過労とストレスが原因と言われているんですよ。」
と答えてくれた。

 休職中はもちろん過労などない。仕事に追われて焦燥感を高めることもない。ストレスは突き詰めると人間関係によることが多い。休職中は人間関係が少なくなるからストレス軽減に好都合だった。思い切って、家族や近所の方との交流以外すべてシャットダウンするつもりで過ごしてみた。

 治療を開始してから4年が経った頃、BCR-ABL融合遺伝子検査をすると白血病細胞を「検出せず」が出るようになってきていた。血液内科の主治医は受診の度に驚いていた。素人考えだが、もしかすると過労とストレスを完全に無くした生活が功を奏したのかもしれない。

 このように書くと、分子標的薬の服用に困難を抱えている慢性骨髄性白血病患者の方は「民間療法にチャレンジだ!」とか「白血病は自然治癒できるのではないか?」と期待を抱いてしまうかもしれない。しかし、それは早計である。私も治療を開始してから2年近くは分子標的薬を服用してきた。

 おそらく治療を開始した際に服用したスプリセルやタシグナの効果が大きかったのだろう。これらの薬は第二世代と呼ばれるもので、急激に白血病細胞を減少させることが分かっている。その効果があってこそ、服用を中止しても白血病細胞を極めて深いレベルまで減少させることができたのだろう。

 治療を開始して満4年になる頃は、復職、休職の継続、早期退職の選択をしなければならない時期だった。線維筋痛症に類する症状での体調の変化は改善と悪化を繰り返していた。安定して毎日勤務するには不安があった。ただ、職場からは軽々に退職を選択することのないよう慰留を受けていた。

 体調が回復して復職できれば、それが1番望ましい。ただ、当時の私は、病状の報告などで職場の方と電話で会話をすることさえ困難を抱えていた。
それなりに気を遣って会話をしていると数分会話をしただけでもぐったりとしてしまう。そして、その後の日常生活に大きな影響が出ていた。

 BCR-ABL融合遺伝子検査の費用は高く、線維筋痛症関係の薬もけして安くはなかった。それでも分子標的薬の服用と比べれば格段に医療費は安くなった。勤務をしているときには、当然のように支出していたガソリン代や飲食費、服飾費なども激減していた。思ったより休職中は支出が少なかった。

 早期退職をして定期的な収入がなくなったとしても、支出が少なければ当面の暮らしは何とかなりそうだ。でも、子どもの学費を考えると…。慢性骨髄性白血病では命の心配は無くなった。でも線維筋痛症の症状を抱えていては勤務は難しい。コロナウイルス感染症も怖い。悩みは深かった。

 そんなとき、子どもが成人式の着物を着て前撮りをする機会があった。その際には家族も写真撮影スタジオに出掛けて一緒に撮影をするとのことだった。私は普段あまり外出をしていなかったが、子どもの一生に一度のことである。散髪をして久しぶりにスーツを着用して撮影に臨んだ。

 まずは子どもが撮影してもらっているのを親は鑑賞する。30分、1時間と時が過ぎていく。普通の親なら微笑ましくその姿を鑑賞できるのだろう。しかし、私は少しずつ体の違和感を感じるようになってきており、その場にいることが耐えられない。横たわって休憩しても体調は回復しなかった。

 結局、撮影の順番を変更してもらい親や祖母を入れた記念撮影を先にしてもらった。私は子どもとの撮影に少しでも悪影響が出ないように、体調の悪化を堪えて笑顔を作っていた。そして、子どもには悪かったが先に帰らせてもらった。本当に限界だった。

 私の母親は普段私と暮らしていない。子どももそうである。以前は「見た目は変わらなくとも体調が急変することがある」と話しても、にわかには信じられないようだった。しかし、今回の前撮りで発作が起きたように苦しみだしたので、少しだけ状況を理解できたようだった。

 この前撮りの時の体調の悪化は私に決断を促した。このようなことが続くようであれば責任のある仕事を毎日行うことは無理である。プロスポーツの選手だって、怪我や病気で満足なプレーができなくなれば引退するではないか。経済的な面は心配だが仕方がない。潔く早期退職をしようと決断した。

~#12 退職後の生活に続く~

 

 

 

 


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