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慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #8 病休から休職へ

 私のスプリセル服用末期から服用中止、そして入院してタシグナを試す…といった期間は、水泳の池江璃花子さんが白血病を発症して治療に専念していた時期と重なる。正に世の中の報道が白血病一色といった感じで私も相当心を動かされた。

 池江さんのタイプは急性リンパ性白血病であり、私の慢性骨髄性白血病とは治療方法が異なる。別の病気と思ってもよいくらいだ。しかし、テレビで「白血病」が連呼され、いかに悲惨な病気かを繰り返し伝えられると心がダメージを受けてしまう。これも無気力感につながった遠因かもしれない。

 妻の仕事や私の体調の関係から、新築の住宅には完成から2ヶ月経って入居することにした。私の病休期間も延長して、少しでも体調の良いときに引っ越しの準備をしたり新居に入れる家具を購入したりした。夏の暑さの中、体から力が抜けてしまうような感覚を抱いて作業をするのは大変だった。

 引っ越しや購入した家具の搬入は無事に終わった。経済的には辛かったが新居は快適だった。私の体調を考慮して階段の段差を通常より低くしたり浴室を大きくしたりした。ベッドの寝心地やエアコンの効きも良かった。何より病院に近くて通いやすい。療養する身としては本当に有り難かった。

 当時は週に2回程度病院に通っていた。分子標的薬の服用から排便困難となって痔を患い消化器外科。ニキビや表皮の腫瘍を患い皮膚科。リウマチのような症状が出て整形外科。もちろん血液内科。受診科が多すぎて混乱してしまい精神科の医師によるカウンセリングを受けて状況を整理していた。

 診察以外にMRI検査などが行われ腫瘍は良性で安堵した。リウマチの可能性も一旦否定されたが、そうなるとリウマチのような症状はどこからきているのかということになる。タシグナの副作用が続いているのであろうということになって経過観察となった。

 秋まで病休を延長したが体調は回復しなかった。しかしタシグナの服用を止めて3ヶ月程度経ったので復職した。私の不在の期間が長かったため職場は1名増員されていた。職場に迷惑をかけていることは心苦しかったが1名の増員にはとても感謝した。私が無事に復活することへの期待とも感じた。しかし、その後も体や頭は思うように動かなかった。

 自分の体調と周囲の意識とのずれも顕著に感じるようになった。例えば、体を引きずるような思いで出勤しても杖をついていなければ「元気そうで良かった」と声をかけられた。感染症予防でマスクをしていれば「自分はマスクをしない。なぜならば…。」とマスクの効果への疑問を投げかけられた。

 分子標的薬の副作用で苦しんでいることを伝えても「だから自分は薬を極力飲まない。」と返された。これらは大病を罹患した経験の無い人が、悪気がなく思ったままを述べているに過ぎない。健常な状態なら私も話を合わせられたであろう。しかし顔面が強ばっているときには口もうまく動かない。

 私の体調が良くなったり悪くなったりしたことも困惑を深めた。普通、病気が快方に向かえばその後も順調に回復すると誰もが思う。私の体調も一時的に良くなることがあった。その時は私も周囲も今後に期待してしまう。しかし、しばらくすると次第に体も頭も動かなくなっていき落胆させられた。

 このような状況で冬まで短時間勤務や休暇を繰り返していた。あるとき私の職場を管轄する部署から使者がきた。降格と休職の打診だった。少しでも長く職場で頑張れるよう助言してくださる方もいたが、私はすでに限界を感じていた。仕事の区切れが良いところで休職に入ることを決断した。

 この頃は、手の強ばりなどリウマチに似た症状が顕著に見られた時期だった。しかし血液検査の結果は陰性だった。そこで整形外科の医師から線維筋痛症外来の受診を勧められた。本県に線維筋痛症の診断ができる医師はほとんどいない。自宅から19km離れた病院を新たに受診することにした。

 ~#9 治療の中心は線維筋痛症外来へに続く~

 

 

 

 


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